悪天候に断念~遥かなる八十里越え~ 文=国井雅比古(会長)

最終更新: 2019年9月10日

【国井会長レポート】

 ※スペースの関係上『J.Trekker』vol.56に載せきれなかった全文を掲載します。


 関東甲信越地方が梅雨に入った凡そ一週間後の6月15日、かねてから踏破したいと願っていた八十里越えに挑戦した。八十里越えは以前この『J.Trekker』 でも紹介したが、新潟県三条市(𠮷が平)と福島県只見町(叶津)を結ぶ凡そ30キロの険しい山道で(登山のコースとしては20キロ)、江戸時代には会津と越後の人々が行きかう暮らしの道でもあったが、今では荒廃してしまい、その面影がわずかにのこる程度である。司馬遼太郎の「峠」に登場する主人公、長岡藩家老の河井継之助が薩長軍に追われ敗走した道としても知られている。

  このイヴェントを企画したのは三条市の特定非営利法人「しただの里」の大竹晴義さんたちだ。参加したのは地元の人たちや我々外部の人間合わせて12人。この中には継之助を主人公にした映画「峠」の関係者や三条に生まれた越後ごぜ小林はるを取り上げた映画を製作したスタッフも加わっていた。(2本とも来年春公開予定)

 6月14日夕方、𠮷が平の山荘に到着。驚いたことにすぐそばの林の中で月の輪熊の子供が遊んでいた。近づいてカメラを向けても全く逃げようとはしない。やがて山側から親熊がむかえに来た。こちらは危険よりも𠮷が平のおおらかな自然を改めて感じた次第。

 翌朝、4時起床。予報では低気圧が日本海を北上し能登沖にとどまり、梅雨前線を刺激して中越、奥会津は大荒れの天気になるという。外を見ると強風がすでに吹き始め木々の幹は激しく揺れ、枝先の葉はゲラゲラ大笑いしている。雨はまだふっていない。しかし、いつザザーときてもおかしくない。鉛色の雲がせまってきている。もともとの計画では、𠮷が平から4~5時間の番屋乗越(のっこし)でテントをはり、翌日、只見にぬけるという、比較的楽ちん(?)な行程であった。(今年、古希を迎え、脚力が心配される私への配慮もあった!)果たして、強風と大雨のなかでテント泊が出来るかどうか。たとえ出来たとしても、継之助やわずか11歳の目の不自由な小林はるが越えた当時にゆっくり思いをはせられる夜になるかどうか。急きょ、大竹さんたちが協議する。そして予想される悪天候を前に計画を大幅に変更し途中からルートを南にとり入広瀬村大白川のヒュッテに泊まることになった。

 私にとってもう4度目となった𠮷が平からの道を登る。4時間ほどでテントを張る予定だった番屋乗越に到着。ここで昼食。いつもならすでに汗みどろになっているはずなのに、強い風にあおられて汗は蒸発してしまい、むしろすがすがしい。見上げると、雲が飛んでいく。時折、青空ものぞく。その下に守門岳のなだらかな稜線が広がる。誰かが皆の気持を代表するように「きょうは、まったくの登山びよりだよ」という。

 しかし、いつ大粒の水滴が落ちてくるかわからない。昼食をそこそこに切り上げて鞍掛峠にむかう。登山道は多くの沢の流れによって崩れ落とされている。そのたびに沢の底に降りたり登ったりを繰り返し、所によっては5,6メートルのロープをつたわねばならず、体力の消耗が激しい。沢水に膝まで浸かることもあった。いつもの登山靴に代えてスパイクのついた長靴を履かされた理由がわかる。

 今年は雪が少なかったそうだが、雪渓が所々に残っていた。美味しそうなウドの若芽が顔をだしている。地元で貴重な山菜だというヤチあざみも教えてもらった。可憐なひめさゆりの淡いピンクが先を急ぐ私たちの足をしばし止めた。

鞍掛峠を越え田代平についたのは夕方4時を過ぎていた。大竹さんから「もうすこし」と何度もはげまされ(うまく騙され?)大白川のヒュッテに着いたのは6時を少し回った頃であった。出発から凡そ12時間。参加者の万歩計で3万9000歩の旅であった。

去年秋のヒマラヤトレッキングの長路に勝るとも劣らない厳しいものだった。

 それでも、風呂に入り、つめたいビールを飲み、ヒュッテの好意でだして頂いた山菜の天ぷらをほうばると膝の痛みも忘れてしまった。遥かなる八十里越え再挑戦の日が楽しみだ。

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