もうひとつのオリンピック海編

オリンピック国立公園連載(ビーパル)の山編も終わり、今店頭に並んでいる4月号では、最期の海編が掲載されています。この国立公園なればこそのウイルダネス海岸を2泊3日でバックパッキング。海岸歩きがいかにバックパッカーに似合うか、ぜひ、ビーパルをお読みください。流木の堆積のなかでのキャンプ。そして、霧に包まれた神秘の海。足元に蠢く生き物たちの微妙に魅せられ歩く磯。
そして、同じく海歩きの魅力として、昨年6月に歩いたカナダのバンクーバー島にあるウエスト・コースト・トレイル(このブログでも昨年7月にアップ)は5月号で掲載します。これもお楽しみに。
今回は、オリンピック国立公園海編の写真を何枚かお楽しみください。







もうひとつのオリンピック part2
4泊目、厳しい稜線に張ったテント脇に現われたマウンテン・ゴート
みなさま、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
昨年夏、日本の歴史上はじめて国民が政権を選んだ、ある意味革命的な出来事に興奮したわたしでした。戦後一貫して、民主主義といわれながら、ほんの短い期間を除き、一貫して自民党の一党支配が続いていた、いわば似非民主主義国家だった日本に対し、国民が政治を監視し、政権選択をできる本物の民主主義が定着することを待ち望んできたわたしでした。
その政権交代が実現する前も後も、ずっとわたしが言っていたのは、経験も情報もなかった民主党政権は、とにかく右往左往、ぎくしゃくと足腰の定まらない政権になるはず。でも、国民には、青二才の民主党を大人に成長させるという義務があり、そのため、国民の寛容が求められるということでした。つまり、国民があまりにも失敗ばかりで不安定な政権に、「やっぱりダメか」と見切りをつけ、再び自民党政権に戻してしまうことを、わたしは最も恐れています。長年の一党支配による古び錆びついた構造を改革すると同時に、自民党には旧態とした体制を徹底的に変革してもらうことが、まさに今回の政権交代の意義です。その反省もまともにできぬまま、再び今のままの自民党に政権がもどれば、元の木阿弥です。
が、現況は、最悪。古い体質を持った強持て、傲慢、かつ自民党となんらかわらない金まみれのような政治家が実際は力を持ち、結局は新政権を牛耳っていることが明確になった今、果たして、どこまで国民は我慢できるかです。結局、民主党も自民党時代と変わらないじゃないかと、民主党に期待していた国民の大多数ががっかりしているのが、現状でしょう。
と、どろくさい話しから入りましたが、前回書きましたように、昨年の夏、ワシントン州にあるオリンピック国立公園の海、森、山の合計140キロを歩いたドキュメントをビーパルで短期連載しています。その「もうひとつのオリンピック」part2を、現在書店に並んでいる2月号で書いています。星野秀樹カメラマンの写真とわたしの文章で構成された作品ですが、今回もまた、わたしが撮ったそのpart 2エリアの写真をここで何枚かアップします。
前回は雨の森、巨木の森を歩いたエリアのお話しでしたが、今回は森を抜け、ハイアルパインの世界に入りました。しかも、途中からは「beyond the trails」。すなわち、ベイリー・レンジという山脈のトレイルなき山肌をトラバースしていきます。かなり厳しいエリアで、人の踏み跡程度はあるのですが、ところどころ岩にしがみつき、3点確保で一歩一歩踏み出すような危険な箇所があります。しかも30キロ超のバックパックを背負って、バランスを保ちながらの挑戦ですので、より緊張感が走ります。実際のストーリーは、ぜひ、本誌をお読みください。
アメリカ本土2番目の規模を誇るオリンポス氷河の一部。歩く右手には常にこのオリンポス山塊
右の山塊がオリンポス、左の山脈がベイリー・レンジ。ここがBeyond the Trailsのエリア
急勾配の花畑をトラバース。このあたりは踏み跡がはっきりしている
このような厳しい箇所をいくつも越える。バックパックの重量がバランスを難しくさせる
でも、常にあるのは自由と静寂。そして心の安寧
歩く間、このような花々に囲まれ酔いしれる
もうひとつのオリンピック

5ヵ月半ぶりです。いつもがっかりしている方、ごめんなさい。
そして、アパラチアンブックを期待されている方、ごめんなさい。今度こそ、間違いないでしょう。来春発売がほぼ決定です。平凡社からです。
この夏、いつものように、アメリカ漬けでした。合計、約80日間ほどでかけ、8月30日と31日の2日間だけ、歴史的選挙に立ち会いたくて帰国したりしたほど、行ったり来たりの連続でした。
その時の取材のひとつ、ワシントン州にあるオリンピック国立公園を歩いたときのドキュメントを、BE-PAL新年号(すでに書店に並んでいます)から短期集中連載を始めました。冬季オリンピックがおこなわれるバンクーバーから、距離にしてわずか100キロほど南にあるアメリカの国立公園です。
この国立公園は日本人にはあまり知られていないのですが、アメリカ人憧れの国立公園なのです。その理由は自然の豊かさにあります。海あり、雨の森あり氷河あり、そして、ロスアンゼルスほどの乾燥地帯ありと、自然史博物館といわれるほどのバリエーション豊かな国立公園です。
そのバリエーションのできるだけ多くを体感したくて、海、森、山の合計140キロほどをバックパッキングしてきました。新年号から3月号までの三回を森と山を歩いた120キロのロングトレイルドキュメント。そして5月号がコースト・トレイルを歩いたドキュメントです。
歩いたドラマもそうですが、星野秀樹さんの写真がすばらしいので、ぜひ、お読みください。
ここでは、第一回で書いている雨の森を歩いたときの、稚拙ながらわたしが撮った写真を、掲載します。レインフォーレストといわれ、スプルース(トウヒ)、ヘムロック(ツガ)、ダグラスファー(米マツ)、レッドシーダー(スギ)などの巨木が林立し、コケに覆われた神秘の森です。ここを40キロほど歩き、ハイアルパインの世界に登っていきます。その世界は2月号以降で掲載します。
ついでですが、BE-PAL4月号では、前回アップしたカナダのウエスト・コースト・トレイルの記事を掲載、5月号、6月号では、コロラド14ners(コロラド州にある14000フィート=4267m以上の山)を4座登ったときのストーリーが掲載されます
ちなみにBE-PALでは1年以上前から「バックパッカーの虫眼鏡」という連載もしています。お堅いわたしならではの、「自然と政治」をテーマにした一頁コラムです。ということで、5月号は虫眼鏡とオリンピックとコロラドの3本記事になります。
あれもこれもと集中して掲載されるので、わかりにくいかもしれませんね。
みなさま、どうぞ、良いお年をお迎えください!

レインフォーレストを歩く星野秀樹カメラマン

直径2メートルほどのトウヒ

標識も、やがて朽ちていく

巨大オランウータンの腕?この森はコケの博物館でもある

抱き合うダグラスファー(米マツ)とレッドシーダー(赤スギ)の巨木

太平洋から流れるこの霧が雨の森、巨木の森を創る
West Coast Trail 75km!

突如、ひょこっ!と戻ってきました。どれだけの人が心配されているか。ブログは一向に動かない、アパラチアン・トレイルの本は未だ出ない。加藤さんは、どうなってるんですか? と。
言い訳はしません。といいいながら、言い訳をすると、ブログは怠け者だからです。アパラチアンブックは、編集作業に手間取っているからです。今年中にはなんとかと、先日編集者と話をしました。
今月半ばすぎから10月にかけて、アメリカを4往復。合計80日間ほど留守をするというスケジュールですので、なかなかたいへんですが、とにかく、早く出したいと最も強く思っているのは、わたしです。
ご心配かけてもうしわけありません。
先月、面白いトレイルを歩いてきました。カナダ在住でヤムナスカという組織でカナディアンロッキーの山岳ガイドをしているチャコ&タイチという友人夫妻と、バンクーバー島にあるウエスト・コースト・トレイル75キロを5泊6日で歩いてきました。
10年ほど前から興味を持ち、いつかはと思っていたのですが、タイチからロッキーでの仕事が忙しくなる前にWCTを歩くという話を聞き、それならば一緒にということで、実現することになったのです。
コーストということで、海岸ばかりを歩くというイメージがあると思いますが、じつは、このあたりはレインフォーレストという直径2メートル、3メートルもの温帯雨林の巨木がニョキニョキと生い茂る深い森が海岸線までせり出し、75キロのうち60パーセント以上は森歩き、残りが砂浜や磯歩きとなる、とにかく変化に富んだトレイルなのです。
トレイルはパシフィック・リム国立公園にあり、「パークス・カナダ」というアメリカで言えば国立公園局に当たる組織が管理しています。歩く前に40分ほどのオリエンテーション(レクチャー)があり、一日の人数制限があり、パーミット取得には150ドルほどの費用もかかるという、徹底した管理がされています。カナダ人バックパッカーの間で、一度は歩いてみたいトレイルとして、高い人気を誇っています。
予備知識からその面白さはわかっていたのですが、実際に歩いてみていやいや、これほどまでの冒険心をくすぐり、バリエーション豊かなフィールドだったということに驚き、魅せられながら歩きました。
なにせ、75キロにわたるワイルドなフィールド・アスレチックそのものでした。
このストーリーは、まだいつかは決まっていないのですが、ビーパルで紹介するつもりです。ぜひぜひお楽しみに。そして、興味があれば、チャレンジしてみてください。ただし、年間、驚くほどの人数がレスキュー隊の世話になるほど、事故が多いところですよ。それがまた、魅力的!
写真を何枚かアップしますので、想像してみてください。また、タイチのブログでも、より詳細にたくさんの写真で紹介されていますので、ご覧になってみてください。

まずは、ポンコツバスでトレイルヘッドへ

いきなりラダーの連続に息が切れる

直径1メートルのスカンク・キャベージ! 日本語ではミズバショウ!

キャンプは連日、砂浜で。若いドイツ人カップルがムードを盛り上げる

こんな面白い乗り物も!

海岸歩きは楽しい!

直径2メートル以上のレッドシーダーとタイチ。こんなのがニョキニョキ

砂浜歩きは消耗する。チャコも疲れた! でもいろんな楽しいものがころがっている。

6日めに無事、到着。最後はフェリーで川の対岸に送ってもらう
悲しくも、心麗しく

Free

simple

pure
盛りの夏が過ぎ、憂愁の秋を経て、悲しみの冬。あまりにも悲しすぎる世相、世情に俯く。俯けば怒りがこみ上げ、怒る自らが悲しくもなる。150年も前に、ヘンリー・デイヴィッド・ソローが「人は道具の道具に成り下がった」と嘆いた。そのソローが書いた「メインの森」でこの秋に撮った心麗しくなる秋の3点が、このフリー、ピュアー、シンプル。人間本来持つ、自然性を象徴した表現としてわたしがよく使う言葉。
ところが、今や人の心や社会はソローの時代より遥かに退化し、自然性が失われている。
人の持つ喜怒哀楽、優しさや愛おしみ、慈しみの心を無碍にし、単なるモノとして切り捨てる。切り捨てられ塒を追い出された人々の路頭に迷う様をも心に留めず、ただ企業という金の成る木を守ることにすべてを注ぐ。企業は本来、働く人に支えられて金が成るもの。にもかかわらず大企業は、心こめ愛を注ぎモノを作る人の人格よりも、損得勘定のみで動く株主を選ぶ。
モンスター化した投機バブルがもたらした金融危機は確かだが、株もまたモンスター化している。いかに儲かるかの一点に心血を注ぎ株取引をするその投資家あっての企業となり、企業は投資家あっての道具となる。こうしてすべては金が世の中を凌駕しつくし、人情は市場から凌駕されつくされ、ゴミのように扱われる。アメリカ型市場原理主義が世界を席捲しつくした資本主義の崩壊。利害のみで成り立つゲゼルシャフトが血の通うゲマインシャフトを打ち砕く。こんな社会でいいはずはない。にもかかわらず、性善説に基づき形作られてきた資本主義のシステムは、拝金そのものがイズムたる資本主義に成り下がった。アメリカに発した新自由主義、市場原理主義は、小泉イズムにより、日本でも法制化され、あっという間に格差が広がった。
こんな社会には住みたくはなくても、そうはいかない。本来日本の社会を支えてきた心の和と自然性を取り戻そう。これを機会に根本から日本なればこそのシステムを構築しなおさなくてはいけない。聖域なき改革は悪の改革。今のこの危機だからこそ、人の心、命にかかわる社会福祉、医療、教育、自然を根幹にした構造に変えていく発想が必要。にもかかわらず、このような発想に基づく具体的な動きは政治行政、あるいは経済界に、まったくと言っていいほどない。単に傷口をいかに手当し、自由経済主義を守り抜こうとする動きでしかない。
日本には大鉈を振るうという言葉はあっても、大鉈を振るう人が見つからない。とりわけ昭和以降の日本の政治に大鉈振るいはいない。ロングタームヴィジョンもないままに作られる抜け穴だらけの法律が性悪な人々の思う壷として利用されている。
そんな時代にあって、自然と政治をテーマに「Be-Pal」で1ページだけの連載を始めました。タイトルはバックパッカーの虫眼鏡。12月号は「オバマ vs ブッシュ」。今書店に並んでいる新年号では「金融危機で自然を取り戻せ!」。1月10日発売2月号では「国立公園にもっと光を!」。自然の視点から政治を見ることがめったにないからこその連載。お堅い連載かもしれませんが、ぜひ、目を通してください。
また、「山と渓谷」の4月号から国立公園の連載も始めます。国立公園意識の低い日本人にもっと意識を高めてもらいたいという意図からです。それに先立って、自然観点からのすばらしい施策を次々にされてきた千葉県知事の堂本暁子さんとの対談記事が3月号で掲載されます。「Be-Pal」2月号でも堂本さんにインタビューしていますので、ぜひ、ご覧ください。
冒頭の写真は10月に行ったメインの森で撮ったものです。優しさの色に心穏やかになってください。
コロラド・ハイ!!
デンバー空港に降り立つと、土砂降りの雨。肌をさすほどの冷たい風に思わず身を縮め、はじめてのコロラドがなんとしたお出迎えなのだと、苦笑いしたほどでした。8月15日。真夏のこの時期、半袖、半ズボンで旅をすることがあたりまえのぼくには予想外の天気でした。その無防備さに自らをあざ笑ってもしまいました。気温摂氏7度。
シアトルからデンバーに向かうジェットがロッキー山脈上空を飛行しているころ、激しい揺れの連続。おそらく、天気は悪いだろうことは予想していたのですが、これほど気温が低いとは思ってもみませんでした。コロラド州立大学の大学院に研究留学している友人のマー君に迎えられ、彼の車でボールダーへと向かいます。すると、なんと、そこは気温4度。翌日、ロッキーマウンテン国立公園を訪れ山々を探訪する予定だったぼくたちは、まず間違いなく、山は雪だろうと断言。本来ならば、ロッキー山脈の麓にあるボールダーからロッキーの山々が眺望できるのですが、この天気では四方すべて視界ゼロ。

8月16日のロッキーマウンテン国立公園。気温0度!
マー君の断言には説得力があります。あたりまえ。彼は気象学博士で、気象予報士でもあるのです。その研究でコロラドに来ています。
翌朝、ロッキーマウンテン国立公園に向かいます。山が見えてきました。ハハハ、ハハハ、案の定、山は真っ白。8月半ばにもかかわらず、車窓から見える風景は、冬景色。これはヤバイ!山は冬。冬山装備は持ってきてはいません。それどころか、この様子では、国立公園に入るゲート自体がクローズになっている可能性もあります。
今回は、コロラド州観光局からの依頼によるものです。場所は自由、季節も自由。恵まれた条件のなか、ぼくが選んだのは夏のロッキーマウンテン国立公園でした。北アメリカ大陸を南北に貫くロッキー山脈がコロラド州西部全域を占めます。ここは大陸分水嶺。東はすべてミシシッピー流域でメキシコ湾へと流れこみ、西はコロラド流域で太平洋へ。大陸を東西真っ二つに分ける4000メートル級の山々が連なります。じつは、コロラド州はロッキー山脈が最も高く盛り上がったところです。「フォーティナーズ」という呼び名があります。14000フィート(4267メートル)以上の山々をこう表するのですが、この州だけでもフォーティナーズがなんと54座もあるのです。カナダには一座もなく、コロラド以外のアメリカ本土全体でも数えるほどしかありません。地元の人々の間では、フォーティナーズをすべて制覇することが、日本の100名山制覇のような意味があります。
ロッキーマウンテン国立公園内にはフォーティナーズは一座しかないのですが、風光明媚かつ動物・植物相豊かなこの地をとして多くのアメリカ人をひきつけています。長年国立公園自体がぼくのテーマということもあって、いつかは訪れようと以前から考えていたところでした。
と、これ見よがしの、袖を引くような書き出しでしたが、ここからのストーリーは、じつはフリーマガジン「フィールドライフ」の来春号に書きます。
経過的には、結局、国立公園の標高の低いエリア(とは言っても2600メートルほど)には入れ、ヴィジターセンターやパーミットオフィスには立ち寄れたものの、公園を横断するトレイルリッジ・ロードは閉鎖。当然です。このハイウエイの最標高地点は3713メートル。富士山よりちょっと低いくらいなのです。そのハイアルパインのツンドラのフィールドをワインディングしながらドライブし、ロッキー山脈を越えるという、この国立公園のハイライトが、このハイウエイ。まさにハイウエイ。ぼくの歩く予定のコースも、このハイウエイを利用しなければトレイルヘッドまでたどり着けません。
そこでレンジャーにも相談し、予定を変更し、コロラド南部にあるグレイト・サンド・デューン国立公園という山岳砂丘が見所の国立公園に向かうことにしました。この国立公園は1932年に国立記念物として指定され、2004年に国立公園に昇格したばかり。ロッキー山脈とコロラドプラトー(大平原)との境を南北に伸びるハイウエイをただひたすら南下。ニューメキシコ州にほど近いエリアまでの約8時間のドライブ。そしてたどり着いた標高2500メートルの稀少な造影。標高4000メートルの山々の麓に吹き寄せられ、積もり積もった巨大な砂の山。風と水が形を常に変え、光が刻々と色を変えていきます。砂の蠢き、そして静寂。

グレイト・サンド・デューン国立公園ゲート

風が作り、光が魅せる

曲線が同化する砂と少女
砂が生きている! 砂丘の対岸にあるキャンプサイトでテントを張り、大砂丘を眺めつつそれまで味わったことのない不思議な時間のなか、一晩を過ごしました。
ぼく自身、今回のコロラド訪問の話があるまで、この国立公園の存在を知りませんでした。観光局からお話があり、写真家・小池清通さんの紹介がありました。デンバーに住む小池さんは、この4月、長年通いつめたグレイト・サンド・デューンの写真集を出版されました。自然への慈しみの心をこめ、魂を注ぎ大砂丘の写真を撮り続けました。タイトルは「Whispers From The Sands 大砂丘の声」。
国立公園のヴィジターセンターに書籍コーナーがあります。そこにさまざまな写真集。なかで最も光彩を放っていたのが、小池さんの写真集でした。レンジャーも言いました。一番売れているのが、ミスター・コイケの写真集だよ、と。
たった一日滞在しただけのぼくの表現では、あまりにもはかなすぎます。小池さんのウエブサイトをご覧ください。
翌日、アスペン経由で12時間かけてロッキーマウンテン国立公園に帰ると、天気は一転して快晴。そして、一週間、ロッキーの山に篭り歩き、ムース、エルク、ビッグホーンたちとのラッキーな出逢いなど、心とろけるような日々を送りました。そのストーリーは、来春の「フィールドライフ」でお読みください。ここでは、何枚かの写真をお楽しみください。

巨大エルクのこの姿勢に、一瞬びびる

さらにぬぬっとご登場、巨大ムース。距離は10メートル。これもまたラッキーなご対面

そしてビッグホーン。本来、遥か彼方の稜線上にいる孤高の動物。が、「ちょっと失礼」
コロラドから帰国して、ほぼ一ヶ月。未だにハイの状態にあります。コロラドはさまざまな意味で、どうやら、もうひとつのぼくの宝物になりそうです。
*協力:コロラド州観光局
Alternative YOSEMITEーヨセミテ国立公園、もうひとつの顔

ミスト・トレイルに架かる虹=ヴァーナルフォール付近で

暗雲漂うヨセミテフォール・トレイルより。ハーフドームが雷雨に霞む
Time flies!
ついて行けない時の速さ。恐怖をすら感じます。ほぼ3ヶ月ぶりの更新です。
この夏もまた、45日間ほどアメリカに行っていました。そのことも、更新が滞った理由です。今年は、ヨセミテに約一ヶ月、コロラドに約2週間。どちらも仕事なんだか遊びなんだかわからないような旅でした。これもまた、仕事柄、いつものような旅の感覚です。今回はヨセミテ、次回はコロラドのお話をアップします。ただどちらも、来春あたり、雑誌に書きますので、ここではほんのさわり程度。写真を見ていただきたくてアップしました。さわりとはいえ、例年とは違う異常なヨセミテのお話です。
山火事の多いカリフォルニアですが、この夏は例年を上回る異常さで山火事が続発しました。ぼくがヨセミテ国立公園を訪れているとき、州全体で14の山火事があり、ヨセミテ国立公園だけでも4つの山火事が発生していました。今回のヨセミテはふたつの仕事。ひとつはアルパインツアーの講師役。もうひとつはビーパル取材。ツアーで訪れたとき、すでにヨセミテ渓谷全体が煙で視界が薄ぼんやり。アメリカの国立公園のすばらしいところは、自然発火の山火事は消さないこと。国土が狭く人口密度が高い日本ではありえないことなのですが、本来、山火事を消さないことは正しい姿勢です。山火事も生態系の一部だからです。1916年に国立公園局が設立されて以来、1960年代まで山火事を消し続けていました。その結果、森の生態が変化したことに気づいたのです。山火事は、草木やそこに住む生き物たちすべてにとって、つまり生物多様性にとって最も重要な条件のひとつなのです。これを人工的に消すことによって、途絶えてしまう樹木や草花があったり、樹種が変化したりと、本来あるべき森とは違う森に変移してしまうのです。

煙るハーフドーム=センティネルドームより
その山火事の影響で、パキッとした突き抜けるような青空の下、清澄な空気のなか、谷から1000メートルもの高さに屹立する花崗岩に囲まれ、針葉樹の緑との壮大なコントラスト風景が魅力のヨセミテ渓谷の視界が不良となってしまうことは、訪れるヴィジターにとってはその魅力の多くが失われるということでもあります。でも、すべては生態系あってのこと。運が悪かったと諦めてもらうしかありません。
ビーパルの仕事は、ヨセミテ渓谷を発し、ヨセミテ渓谷にもどってくるという約100キロのループトレイルを10日かけて歩くことでした。これはぼくが以前より歩きたいと思っていたループ。通して歩く人があまりいない孤高のトレイルで、ヨセミテ国立公園の魅力が集約されているのです。このストーリーは、いずれビーパルでお読みください。
そのトレイルを歩いた6日めのこと。西方に灰色の雲がもくもくと湧き上がり、広がっているのを山上からみつけ、あれは、新たな火事ではないかと想像しました。その晩、テントを張り、岩の上からヨセミテ渓谷の方を眺めると、それまでクリアーだった渓谷のあたりが徐々に霞んできたのです。風は西から東に吹いています。明らかに遠方の山火事の煙が漂ってきたのです。太陽が沈もうとしています。その橙色の不気味なこと。煙のなかに異様な輝きを見せながら沈んでいきました。


煙が演出する強烈な夕景

煙るなか、朝日を浴びるエルキャピタン(右。左はセンティネルロック)=フォーマイル・トレイルより
3日後、ヨセミテ渓谷に下り、事実を知りました。国立公園西方100キロあたりで大規模な山火事が発生し、その影響から煙に包まれているということでした。その山火事は「テレグラム・ファイアー」と名づけられました。名がつくほどに規模が大きなものだったのです。
影響は煙にとどまりません。山火事はそこを通っていたパワーライン(送電線)を破壊。その影響でヨセミテ全体の電気がストップしてしまいました。しかし、ここがこの国立公園のすばらしいところ。自家発電設備があるのです。全体の30パーセント弱ですが、宿泊や食事などに支障がない程度に発電を行い、かろうじてヴィジターの需要を充たしていました。
その後、5日ほどで、山火事の影響は遠のき、もとのヨセミテの姿に戻りました。夕刻の黄金色のハーフドームも、それまで見たいつのハーフドームより、より輝いてみえました。
ヨセミテの異常は、もうひとつ。
今回、5回クマに遇いました。それもすべてヨセミテ渓谷でです。本来、野生生物はバックカントリーにいるもの。無論、バックカントリーにもいるのは確かなのですが、合計20日以上歩いて、一度もクマに遇わなかったにもかかわらず、観光客ひしめくヨセミテ渓谷で5回も見たことが、その異常さを表しています。じつは、以前よりヨセミテの大問題のひとつがこのクマ問題でした。一般観光客のなかには意識の低い人がいます。彼らが食べ残したものなどを目当てに、クマが山から下りて住み着いてしまうのです。1987年には800台もの車がクマによって壊されました。食料を車に置いたまま出かけるからです。公園側がキャンペーンを続けている成果から、その最悪の年から車の被害は年々減少はしています。それでも、ひと夏平均100台ほどの車が今でも壊されています。これもまた異常です。本来、ヨセミテがあるシエラネバダ以外では、たとえば、キャンプしてハイキングにでかけるとき、食料は車に入れて出かけます。そのように、教えられます。ところがシエラネバダでは、車に食料を入れたまま出かけないようにというキャンペーンがしつこいほどになされています。シエラネバダのクマは、同じブラックベーにもかかわらず、他のエリアよりずっと賢いのです。

キャンプサイトに現れ、大声に逃げる子グマ。この色でも、ブラックベアー。シエラネバダ独特のDNA
長逗留したヨセミテ国立公園を去るとき、いつものように後ろ髪をひかれ、寂しさが募りました。これを書きながらも、懐かしさに包まれています。
I left my heart in Yosemite

去る前日の夕暮れ。黄金に染まったハーフドームがかつて見たどの夕景よりも輝いて見えた

これが、本来のヨセミテカラー=カセドラルレイク
国立公園を見直そう

糠平湖畔からひがし大雪の雄ニペソツを望む(大雪山国立公園)

旧士幌線の廃線跡に作られた「東大雪の道」(北海道自然歩道の一部)を歩く
これはちょっと困ったことでもあり、ありがたいことでもあり、なるべくしてなったことでもあるのですが、ここのところのぼくの仕事の半分以上はヴォランティア。4月のアースデートークも、5月のナチュラルハイでのトークも、そして、3月の伊豆大島からはじまり、大台ケ原、そして先日(5月28日、29日)の北海道糠平で行われた日本トレッキング協会主催「桜トレッキングイヴェント」も、すべてはヴォランティア。
歳とれば、それまでのささやかでもあってもその経験を社会還元へ、と思い続けていたそのとおりになっているこのごろ。ということは、それ相応の歳になってしまったということでしょうか。嬉しくもあり、悲しくもあります。
.jpg)
照葉樹林に浮かぶオオシマザクラ(伊豆大島ー富士箱根伊豆国立公園)

三原山噴火口
.jpg)
大台ケ原西の境界線尾根から大峰山脈を望む。このルートはまだ一般公開されていない(吉野熊野国立公園)
.jpg)
ヤマザクラ、見事に混じる春もみじ(大台ケ原西側山腹)
桜トレッキングイヴェントは九州から北海道までの、全国29ある国立公園内の桜前線を追いつつ北上していくというアイディア。本格開始は来年度からで、今年はそのトライアルでとりあえず3箇所だけ。日本トレッキング協会副会長で世界の山を歩き尽くす田部井淳子さんが、「やっぱり日本の自然は本当にすばらしい。とりわけ桜咲く日本の風景美は、絶賛もの。この桜前線を追いながらトレッキングするというイヴェントはどうかしら」と発案。
20年ほど前から国立公園をひとつのテーマに仕事をしてきたぼくが、「それならばせっかく全国にわたり29もある国立公園内の桜前線を追うトレッキングにしましょう」と提案。いま、日本の国立公園は危機的な状況にあり、そのすばらしさをもう一度日本人に認識してもらいたいということと、危機的な現況をクローズアップしたいというぼくの思いからでした。
最近、大手新聞紙も含め、テレビや雑誌などのメディアの間に国立公園意識が低くなっていることから、国民の間においても国立公園離れがはじまっています。たとえば、2005年に知床が世界自然遺産に登録されたというニュースのなかに、そこが国立公園だという文言がほとんどないに等しいほどに無視されています。それは屋久島が自然遺産に登録されたときも同じでした。いま、とりわけテレビや雑誌において、世界遺産(文化遺産も含む)がブームになっています。マスメディアが騒げば、国民も騒ぎます。ユネスコにより世界遺産に登録されること自体、決して悪いことではありません。グローバルな視点から人類の遺産として認められたということでもあり、それはとても名誉なことではあるのです。
にもかかわらず、ぼくはそのブームに嫌気がさしています。ブームはやがて去るもの。騒ぐ理由はわかります。メディアも視聴率が稼げるからであり、雑誌も売れ、地元は観光客で儲かります。しかしいま、世界じゅうのあちこちで観光客の押し寄せによる世界遺産危機が叫ばれています。利用過多により自然、文化が痛めつけられているのです。ユネスコは、そのような世界遺産を世界危機遺産として登録しています。そして、いずれは抹消することもできるのです。ブームに沸きやすい日本人の国民性。日本の世界遺産も危機遺産にならないことを望むばかりです。
国立公園は、その騒ぎの片隅に追いやられているのです。本来、国立公園は保護と利用という両面から自然公園法という法律で定められたシステムです。自然のありかた、自然と人間との関係のありかたを学ぶに最もわかりやすく、適したシステムが国立公園だとぼくは考えています。できれば、子供への自然教育として義務教育のなかに取り入れることが望ましいと考えています。自然や自然保護を知る、象徴的なサンプルが国立公園なのです。だからこそ、ぼくはずっと国立公園を歩き、取材を重ねてきました。『日本の国立公園』(平凡社新書)という本も書いています。
国立公園を旅しているにもかかわらず、国立公園にレンジャーがいることすら知らない日本人が圧倒的に多いのが現状です。そして、国立公園の地元の人々があまりにも国立公園のことを知らなすぎます。そこで、桜トレッキングイヴェントでは、環境省と協議をし、それぞれの国立公園のレンジャーにも参加してもらうことにしました。そして、地元の自治体にも声をかけ、プロのガイドにお願いし、トレッキングの後にはトークショーや懇談会を開き、参加者(国立公園利用者)とレンジャーと地元の方々との交流を深めます。ぼくが国立公園の問題点や魅力、概況をお話し、レンジャーに当該国立公園の説明をしてもらいます。ようするに日本トレッキング協会は、そのつなぎ役をするのです。国立公園を管理するレンジャーと歩けるトレッキングは、稀有なことでもあり、とても意義の深いイヴェントになると思っています。
ただ、桜は難しい。先日の北海道糠平(大雪山国立公園のひがし大雪エリア)は、残念ながらすでに、期待していたエゾ桜は去ってしまっていました。今年は桜前線の移動が早かったからです。色とりどりの若葉色の山麓にエゾ桜の濃いピンクが散在するほのぼのとした風景は見ることはできませんでしたが、鮮やかな新緑とひがし大雪の残雪の山々が歩くぼくたちの心を充たしてくれました。
ところで国立公園の危機的状況は、さらに深刻になっています。ひょっとすると国立公園管理が環境省ではなくなる可能性も出てきたのです。国立公園はどこの国でも国が責任をもって保護と利用のバランスをとりながら管理するからこそ、人々は国立公園の価値を感じているのです。にもかかわらず、「管理を都道府県に」という話し合いが、総理府に置かれた委員会「地方分権改革推進委員会」で行われているのです。このことはまた、別の機会にしっかりと書くつもりです。
いよいよこの動きが本格的になってきたときには、ぼくは可能な手立てで、ささやかながらも抵抗しようと考えています。そのときは、このブログを読んでくださっている皆さんも、どうぞ応援してください。
とりあえず「ビーパル」の6月10日発売号で、ぼくが元環境大臣の小池百合子さんにインタビューした記事が出ます。そこで、この問題にも触れていますので、ぜひ、お読みください。
シーカヤック&鯛

野田さん&アレックス
当然のことながら、野田知佑さんをご存知の方は多いでしょう。
日本にはじめて遊びとしてのカヌーを紹介した人で、カヌー犬ガクとともにゆったりと川旅をするなど、アウトドア界の重鎮です。
じつは野田さんがまだ無名のころ、カヌーを始める前からぼくは彼といっしょに遊んだ仲でした。ぼくが編集者のころ、駆け出しの作家としての野田さんと付き合い、それ以降、個人的にいっしょに川遊びを楽しんできました。ぼくの長男(亮といい、いまや30歳)は生まれて4ヶ月の、おしめをしていたころから、野田さんと湖で遊び、川遊びをし、国内外を旅して育ちました。ニュージーランドに一ヶ月とか、冬の北海道に一週間、その足でそのまま西表島で2週間のキャンプ等々。父としてのぼくとは、小学生のころ北極にまで行ったりもしました。第2のお父さんが野田知佑、第3のお父さんがC.W.ニコルというエリートアウトドア少年でした。野田さんたちの「あやしい探検隊」を覚えていらっしゃる方も多いでしょう。彼は、何度か出演し、また、野田さんの初期作品のグラビアに何度も登場している少年です。
その亮と、先日野田宅を訪れ、久しぶりに楽しんできました。
ぼくは3年ぶり、亮は10数年ぶりです。さすがに年はとりましたが、あらためて驚きました。彼はいまだに少年です。5歳の少年です。本物の野人です。
ぼくは少年のころから野生と知性との両輪を目指し、今のぼくがいます。でも、野田さんは違います。別に目指すなどという意識はなく、野生と知性とを、生まれたときからあわせ持った男です(あ、そうか、だから野田知佑なんだ)。生まれつきの知性派野人。だからこそ、彼はカリスマ的な存在として、アウトドア界で最も名が知れ、人気の高い男なのです。
むろん、そんなことは昔から知っていたし、だからこそ、ぼくは長年彼を尊敬し、目指す存在だったのです。でも今回、あらためて、本物の野生人としての面白さ、純粋さ、あどけなさを持つ魅力というものを感じました。
あいにく、天気が悪く、計画していた川遊びはほとんどできませんでしたが、最終日にようやく晴天になり、徳島の海でシーカヤックを堪能してきました。11月だというのに、まだじゅうぶん泳げる海でした。
野田さん曰く、
「亮は、俺の川ガキ第一号なんだから、立派な男に育てよ。俺の育て方が正しかったかどうか、すべてお前にかかっているんだからな」

亮

野田流
2日前、今度は東京湾の剣崎で、友人に誘われて鯛釣りをしてきました。これも久しぶりです。ここ何回か、鯛釣り予定が天候不良のため直前取りやめということが続いていたのですが、今回は、暖か、穏やかな船釣りができました。こちらも亮といっしょに参加。昨年4月に巨大鯛を釣った話は、このブログでも紹介しましたが、今回はサイズこそ小さめだったのですが、亮とふたりで鯛5枚+ソーダ鰹4本の釣果。
さっそく刺身、たたきにして食べました。

自慢
と、遊び三昧と言いたいところですが、仕事に追われ、なかなか思うように遊ぶことのできないこのごろです。せっかくの紅葉シーズンだったのに、以前、このブログでも紹介した信越トレイルと高島トレイル以外、山にも行っていません。高島トレイルはオープンイヴェントでの講演とシンポジウムが目的で、歩いたのは雨中のショートハイクだけでした。しかも、そのどちらも、まだ錦秋には早く、艶やかな色身を楽しむことはできませんでした。
中央分水嶺高島トレイルに興味ある方は、ぜひ、注目してください。冬は信越トレイルと同じでスノーシュー天国ですよ。

これぞ高島トレイルの魅力、幻想ブナの森
し尿担ぎ下ろし@早池峰

3週間前の話になります。
岩手県の早池峰国定公園に行ってきました。すごい、目的です。
ぼくの友人、(岡野といいます)が岩手県の自然保護課長をしていました。彼は埼玉出身で、ぼくと幼馴染。ぼくが山を好きになったのは、まさに彼のおかげです。中学、高校、大学と、彼と小さなハイキングから、おもしろいハイキング、ちょっとした山まで、いろいろなところにでかけました。
ぼくの最初の海外渡航はニューギニア探査でしたが、それも彼と一緒でした。
彼は、千葉大学を卒業し、どういうわけか、縁もゆかりもなかった岩手県に就職しました。東北ののーんびりした山々が大好きで、そうしました。本来、というか、わたしの知り合いで、山が好き!という人はたいがい、八ヶ岳とか(わたし自身が、そうでした)、信州のアルプス麓に移住したりするのに、彼は、彼らしく、東北の自然保護をやりたくて、岩手県を選びました。
以後、順調に自然保護畑を歩いたかといえば、まったく、思うようにはいかず、途中20年もの間、土木にまわされていました。そして、今はまた、財団法人に出向です。
で、本番です。
前日から岡野邸におじゃまし、おもてなしを受け、ひさしぶりのもろもろ会話。実は、彼の細君もまた、
ぼくたち中学生時代の同級生。
翌日、早池峰山に向けて出発。途中、岡野の自然保護課の部下などをピックアップし、麓に。38人ほどのボランティアがすでに集合。
5Lと10Lのボトルをそれぞれがザックにいれて出発。
時期的に、6月中旬のそのころは、早池峰オリジナルの花々も含め、高山性植物が咲き始めるころ。有名なハヤチネウスユキソウには、ちょっと早かったけれども、お花を楽しみながらののんびり登山。天気は上々。遠く、宮古湾まで見渡せる大展望。

イワウメ

ヒメコザクラ
山頂到着。昼食をすませ。いざ、し尿汲み作業。
みなさん、嬉々とした表情。ふつうに思えば、人のし尿を処理するなどという作業をボランティアでやるなどということ自体、ちょっと腰がひけてしまうはず。それを、誇りをもって、やっているのです。
昔の肥えため担ぎの時代を覚えている方はおわかりの、長いひしゃくでマンホールのなかから掬い上げ、それをボトルに移すという作業。大きな如雨露で受けながら、流し込む。ひとりは、それを支えていなければなりません。その役割が、岡野。
35のボトルしかなく、残念ながら、というか、ほっとしたというか、ぼく自身、し尿のはいったボトルがまわってきませんでした。手を挙げればよかったはずですが、写真を撮ることに夢中になって・・・・・
とにかく、それを、それぞれが、食料だって入っているザックに入れ、麓のトイレまで担ぎ下ろします。
麓のトイレにはバキュームカーが入れるので、あとは、それに任すということ。
脱帽でした。
このボランティア作業、じつは地元の山岳会や自然保護団体が協力して15年も前から行なっています。
5年前からは、県もそれを支援。年に数回行い、今回は今年になって、その2回目。前回5月は雨で中止になってしまったそうです。
年々、し尿の量が減っているそうです。その一因は、早くから早池峰が取り入れていた携帯トイレ持参の推奨です。でも、まだまだ、携帯トイレを持参している人は半数以下だそうです。麓のビジターセンターでも購入でき、また、山頂の避難小屋でも購入できます(無人小屋なので料金はデポ式)。
昨年、大雪山縦走で携帯トイレを持参して5泊6日を歩きましたが、日々増えていく糞尿をこれだけの日数分持って歩くことに、多少の抵抗感、あるいは現実味に対する疑問は感じましたが、自然環境を思えば、最善の方法です。ぼくがアメリカから学んだ、穴を掘るという方法も、日本では自然公園法のより厳しく規制されているエリア(たとえば、大雪でも早池峰でも、高山性のデリケートのエリアでは、最も厳しい規制が被せられていて、穴を掘るばかりか、石を動かすことすら、あるいは、落ちている枯葉を持ち帰ることも、本来禁止されているのです。ご存知でしかた?)、では、できないことなのです。さまざま鑑みれば、携帯トイレの推奨は、もっともっと進められるべきです。すばらしい試みです。
早池峰の試みのすばらしいところは、携帯トレイルは、あくまでも自らの糞尿を自らが持っておりるということですが、人の糞尿をザックに詰めて下ろすという、より抵抗感のあることを積極的に進めているところです。
多いに学んだ、すばらしい一日でした。






インタープリター

木村太郎さん

明神岳と前穂高
今年に入ってはじめて、上高地に行ってきました。上高地はぼくにとって、北アルプス登山への玄関口としての存在が大きいのですが、そればかりではなく、じつは上高地自体にとても大きな魅力を感じています。その魅力って、いったいなんだろうか。これが今回の上高地の目的でした。上高地の魅力は何度か、拙著『日本の国立公園』や雑誌(たとえば、「National Geographic」(昨年10月号)で書いているのですが、今回は、主としてエコツーリズムに焦点をあてた取材で、JR東日本の「トランヴェール」8月号に掲載されます(新幹線の座席にある無料配布雑誌です)。
木村太郎さんというナショナルパークガイドについて、上高地のネイチャーガイドをしてもらいました。自然の解説をしながら人々にそのすばらしさを伝える仕事のことをインタープリターという言い方をします。アメリカの自然保護の父と呼ばれるジョン・ミューアが、彼自ら設立したシエラクラブで行なった活動が、その期限だとされています。
つまり、自然を人に通訳するという意味のインタープリターです。人と自然との橋渡しの役割です。
インタープリターはその後、アメリカのナショナルパーク・レンジャーに引き継がれ、科学的、社会的、人文学的要素を、ユーモアを交えながら、わかりやすく説明してくれるその姿を見て、子供たちが憧れとしている仕事です。
日本でも、このインタープリターの仕事をする人は、エコツーリズムの普及とともに年々増えてきています。とりわけ子供たちへの自然教育という観点から見たとき、その役割の大きさは計り知れません。
木村太郎さんは、そのなかでも傑出したインタープリターだということが、今回、彼のお話を聞きながら上高地を巡り、わかりました。自然への知識はもとより、発想力、創造力、ユーモア、どれもが人をひきつけます。
この具体的な内容は、ぼくが担当している記事ではないのですが、ぜひ「トランヴェール」8月号をご覧ください。ぼくはその特集のプロローグとコラムを書いています。

ベニバナイチヤクソウ

明神池を優雅に泳ぐブラウントラウト
*前回書いたお知らせで、大雪山の話を「JOY増刊号」と書きましたが(すでに訂正していますが・・・)、「JOY夏号」でした。ちなみに、今月出る「JOY夏増刊号」では、テント生活Q&Aという記事でそのQにぼくが答えています。
*さらに前回、「ビーパル8月号から3連続短期連載」と書きましたが、なまけもののぼくのせいで、9月 号(8月発売)から4回連載に変更されました。楽しみにしていてください。
西表島縦走
.jpg)
浦内川のオヒルギ(マングローブの一種類)

西表島の亜熱帯雨林

こんな密林デス

一本の木にあらゆる植物がからみ着生し共存する
3月、4月と、けっこうあちこちでかけているのに、なにも書かず45日。こんなにサボってしまいました。いつもいつも言い訳ばかりで、ごめんなさい。
ゴールデンウィーク直前に西表島を友人でクライマーの田口克己さんとふたりで縦走してきました。ぼくにとっては2回目の縦走ですが、彼ははじめてです。島の北東から南西にかけて、亜熱帯ジャングルの縦走です。浦内川からフェリーで20分ほど遡り、そこからスタート。マリュードの滝、カンピレーの滝を経由して、浦内川の源流部まで歩き、分水嶺を越えると仲間川水系。最後は8キロの林道歩きで大浦の集落に抜けます。クワズイモ、オオタニワタリなど、観葉植物としておなじみの植物やヒカゲヘゴ、サキシマスオウ、アダンなどの亜熱帯特有の木々が繁茂する密林を、小さなアップダウンをいやというほど繰り返します。途中、テントで一泊します。
一般の登山とはまったく趣きの違った山歩き。どちらかというと、登山というよりは探検行のイメージです。ぼくはこんな旅が大好きです。でも、クライマーとして、岩登りや冬山の突き抜けた荘厳な景観を楽しむ田口さんにとっては、結構辛かったようです。亜熱帯の密林歩きのため、湿気との勝負。汗だくだくになり、さらに、ヒルの大群が待っています。
亜熱帯の森の、夜の生き物たちの饗宴は、ヤエヤマホタルの乱舞にはじまり、鳥、虫、動物たちの声が飛び交い、”すさまじい”という表現が大げさではないほどに、すさまじいものでした。

森閑という表現は、亜熱帯の密林では通用しない

ヒルに10ヶ所以上食いつかれ、血を吸われた
ぼくがはじめて本格的にロングトレールを歩いたのは1971年にニューギニア探検をしたとき。熱帯雨林を200キロ。一週間かけて歩き、4ヶ月ほど原住民の集落に滞在。帰りも同じ距離を歩いてもどるという経験。これが、ぼくのすべての原点です。
西表島の密林はニューギニアと比べれば、ずっと楽なコースですが、それでも、日本で唯一と言っていいジャングル歩きが堪能できる、お奨めのコース。ただ、雨の後など、何度も渡渉する川は増水し、さらには、濡れた岩がとても滑りやすく、それなりの危険が伴います。あ、そうそう、それ以上に緊張するのは、サキシマハブが生息していることです。登り下りには両手を使わねばならない個所が多く、その都度、岩陰などにハブが潜んでいないか、確認しながら歩かねばなりません。

サキシマスオウの板根に阻まれるながら歩く田口さん

ヒカゲヘゴ

オオタニワタリ

クワズイモ

サキシマツツジ

幻の花といわれ、南国の山の奥の奥にしか咲かないセイシカ(聖紫花)の花がひっそりと落ちていた

コンロンカ(崑崙花)
ぼくは樹木や花が好きな上、蝶が大好きです。小学校高学年のころから、ひとりで捕虫網を持って奥秩父や奥多摩の山を駆け巡ったほどなのです。ぼくにとっての沖縄列島の、とりわけ西表島の最大の魅力は、蝶です。この地方特有の蝶がたくさん生息しています。
ただ、蝶はなかなか写真が撮れません。じっくりと、それのみを目的にすれば撮れるのでしょうが、今回は縦走目的ということで、あまりいい写真が撮れませんでした。イシガキチョウの群れが水辺で吸水していたのですが、近づくと逃げられてしまいました。ぼくの最も好きなアオスジアゲハも撮るチャンスを逃しました。

カバマダラ

アサギマダラ

オオゴマダラ

クロアゲハ
春だのに

聖老人ーなべくら山の巨木ブナ
どっちつかずの嬉しさ漂うこの季節のはずが、今年は心沈みがち。冬がない春なんて、とても祝う気にはなれないのです。雪を抱いたアルプスの山々を背景に、ふきのとうやつくしが顔をだしはじめた安曇野の情景を描いた早春賦は、冬あっての歌。ジョージ・ウィンストンの Winter into Spring というアルバムも、この季節に聴く、ぼくの最も好きなピアノ曲集。未練たっぷりに冬にすがりつく心と、めぐりくるめくるめく光の束を引き寄せたい心。ふたつの心の綱引きがぼくを浮き立たす、名残の冬のきらめきの春という、いつもの2月、3月が、今年はないのです。
科学的な実証があるわけではないと、対策を拒絶する一握りの権力者、そして経済至上主義者たちは100年後の責任を取るつもりもないのでしょうが、彼らとて、地球が滅びれば生きるすべはなくなるのです。温暖化現象は、待ってはくれません。自然の変異を食い止めるためには、科学的実証を待ってはいられないのです。温暖化現象の科学的実証がなくとも、これだけの可能性が指摘される現状があれば、すばやい行動以外に、生きるすべはなくなります。
なんとなんと、冬がないといいつつ、冬篭りしていたかのように、一ヶ月以上も更新せずにいました。はでやかな動きはなかったものの、それなりに活動してきた1月、2月でした。なんといっても、話題の最先端は「ためしてがってん」出演でした。僭越にも、これまでNHKのBSで数本の自然ドキュメンタリー番組に出演したことのあるぼくです。でも、90分ものプログラムにもかかわらず、地味な自然番組なので、近しい方々には、「このような番組がありますので、ぜひ、観てください」というご案内を出さねば、だれも観てくれません。ところが、「ためしてがってん」は視聴率の高い娯楽大衆番組。恥ずかしいこともあって、内緒にしていたにもかかわらず、会う方々から、「見ました!びっくりですー!」などという反響がひきもきらず。放送から50日ほどもたっているのに、昨日も言われました。なにしろ、テーマが「頭痛」。そう、頭痛患者代表としての出演だったのです。ちなみに、3日前も、日本頭痛学会主催の「市民講座」にもオファーされ出席し、インタビューを受けました。ハイ。
それはそれとして、今年もまた、スノーシューに明け暮れ・・・、とは言いすぎですが、前回アップしたイヴェントの後も、いくつかのスノーシューに出かけました。日本トレッキング協会主催の奥日光スノーシューツアーも楽しかったなぁ。冬山の予定も入っていたのですが、この異常気象による雪崩の危険を思い、断念しました。昨年の冬もスノーシューばかりのアップだったのに、今年もまた、能もなく、スノーシューです、ハイ。今回は、仲間と楽しんだ信越トレイルスノーシューツアーにおけるジャンプ・アンソロジーです。

Sky walk!! by Tarmy

Grab!! by Billy

反りっ!! by 飯島秘書官

Dora dance!!

falling by Keisuke!!

falling by Rena !!

Robin!!! 筆者デス

Snow mask!!
信越トレイルスノーフェスティバル、盛大に開催

NPO法人信越トレイルクラブ主催の恒例スノーシューフェスティバルが1月27日(土)、28日(日)に行なわれ、予想を超える参加者が集い、大盛況のうちに終了しました。日本に入っているすべてのスノーシューメーカーが集結し、初日には展示と、参加者によるそれぞれのスノーシュー履き比べ体験ツアーなどが行なわれました。
二日目は、ぼくと歩く信越トレイルスノーシュートレッキングが行なわれ、100人募集だったのが、ガイド、スタッフも含めて160人もの大ツアーになってしまいました。今年は参加者を10班に分け、わたしはそれぞれを渡り歩くという「渡り鳥」役を担いました。
テレビ、新聞を賑わしている暖冬のため、本来ならば豪雪地帯であるこの地方も、ご他聞にもれず、昭和7年以来という積雪量で、果たしてどうなることかと心を曇らせていました。前日、車で向かい、豊田飯山インターを降りると、なんと、雪がない。ところどころ斑状態に雪は残っているものの、積雪量ゼロ。冬だけでも、何十回と通っって、こんな光景ははじめてでした。
それでも、開催会場の森の家に向かい、標高が増すにつれ、少しずつ雪の量もましていきます。森の家では、積雪約70センチほど。昨年の同じ時期に5メートル近くあったことを思えば、なんとも寂しい限りです。豪雪に悩み苦しむ方々にとっては、ありがたいことかもしれません。でも、温暖化という地球環境の深刻な状況を思えば、気持ちが沈んでしまいます。
当日、昨年と同じで、天気予報ははずれ。快晴。コースは、信越トレイルの未開通エリアに向けてのひたすらの登り。スノーキャロットやアスパラの畑を抜け、ミズナラの森からブナの森へと登っていきます。最初は霧のなかだった天気も、登るにつれて青空が広がり、山稜付近では雲ひとつない濃紺の空。残念ながら、日本海側霧が広がっていて、海は見えなかったものの、思いもかけず山稜のブナの枝は霧氷によってデコレートされ、老若男女みな大はしゃぎ。雪が少ないがために、雰囲気がどうかと思っていたぼくも、期待をはるかに超える雰囲気に、大満足。楽しい、楽しい、イヴェントでした。




新年のごあいさつ

あけまして、おめでとうございます。
いつものように、怠惰なお正月を過ごしてしまいました。
アパラチアン・トレイルから戻って、はや14ヶ月以上がたち、ようやく本格的に書籍の執筆にとりかかることにしました。書きたくて、うずうずして過ごした一年間だったのですが、なかなか集中することができないでいたのです。3500キロを歩いたドキュメンタリーだけではなく、何度も山麓を取材して得た、自然、文化、歴史、宗教、政治などの記録をもとにした、いわばアメリカ論のような本になるはずです。出版は今年の年末あたりになるかと思います。どうぞ、楽しみにしていてください。
ブログの更新は、あいかわらずたまにしかやらないでしょうが、飽きずに覗きにきてください。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2006秋色2
「それにしても、秋の盛りの紅葉の美しさ。人の人生における秋は、あれほどに飾られるのだろうかと、錦秋を観るたびに思う。春夏秋冬と季節は移り、草木の栄枯盛衰は人生そのものだ。その枯れゆく直前の盛装は、何にたとえられるのだろうか。最後の花を咲かせるということなのか。最後の花道なのだろうか。季節は輪廻し、草木は転生する。あの紅葉の華々しさと、季節の輪廻転生とが、どれほどに人の生に勇気を与えてきたことだろうか」
ウェブサイト「Yahoo セカンドライフ」の旅カテゴリーで連載中の「国立公園・季節を遊ぶ」10月号の一節だ。歳を追うごとに、季節の深みへとはまっていく。
10日ほど遅れてしまいましたが、ぼくがかかわっている「信越トレイル」のある関田山脈と里の秋を数枚お届けします。ついでに訪れた「かやの平」もアップします。

温井集落の秋
.jpg)
温井集落の秋2

緑までもがあでやか@鍋倉山麓
.jpg)
錦秋関田峠
.jpg)
鍋倉ブナの森
.jpg)
ウリハダカエデ@信越トレイル
.jpg)
ハウチワカカエデ@信越トレイル
.jpg)
黄金色かやの平
.jpg)
晩秋色のブナ・ダケカンバ@かやの平
.jpg)
秋過ぐるブナの森@かやの平
2006秋色
今年、これまで撮った秋色の何枚かを紹介します。豪華絢爛、錦繍に染まる紅葉もいいけれど、ぼくは楚々としてつつましやかな秋色が好き、などと書いたりしゃべったり。でも、やっぱりあでやかな紅葉もいいものだと、あらためて思います。

吾妻高原鎌ヶ池(10.15.2006)

吾妻高原鎌ヶ池(10.15.2006)

吾妻高原鎌ヶ池(10.15.2006)

吾妻高原姥ヶ原(10.15.2006)
安達太良山奥岳遊歩道(10.15.2006)

安達太良山奥岳遊歩道(10.15.2006)

浄土平下(10.15.2006)

上高地小梨平(10.19.2006)

徳沢園のカツラ(10.19.2006)
まるで版画のような from 荒川岳

8月21日6時29分 from 荒川岳
先週まで、今年2回目のジョン・ミューア・トレイルに行っていました。7月に行ったときはぼくにとってはじめての悪天候だったのですが、今回は、これぞシエラネバダ、この空こそがシエラブルーだという上天気に恵まれました。その写真をできるだけ早くアップするつもりで帰国したにもかかわらず、帰国後、あまりにもあわただしく時間が通り過ぎてしまいました。
さらに、じつは、JMTに出発する2日前まで南アルプスの荒川岳、赤石岳を巡るループを3泊4日で歩いてきました。その模様も書き込むことができぬままのJMT出発でした。この南アルプスはあまりすっきりした天気とは言えなかったのですが、3日目の早朝、日の出直後の荒川岳(悪沢岳)からの富士山展望には、思わず小躍りしてしまいました。これまで、いくつもの山頂からさまざまな富士山を見てきましたが、おそらく、このときの富士山が生涯最高の姿だったのではないでしょうか。

6時47分 from 荒川岳

雲海に浮かぶ丸山 from 荒川岳
日の出からわずか1時間余りの短いドラマが終わると、瞬く間にガスがかかってしまいました。その日、中岳を経て、荒川小屋を通過し、大聖寺に向かう途中、ハイマツのなかでおまけとも言えるステキな写真も撮ることができました。この日、赤石岳に至る間、3度、雷鳥に会ったのです。2度は子を連れた母鳥で、あわてて目の前を走って逃げ去り、集中した写真は撮りそこなったのですが、ここでアップした写真は、じっくりと10分近くかけて望遠で狙ったものでした。
夏の終わりの南アルプス。高山植物の期待はあまりなかったのですが、タカネビランジ、タカネマツムシソウ、トウヤクリンドウ、タカネシオガマ、チシマギキョウ、ハクサンフウロ、ウサギギク等々、予想よりはるかにたくさんの花々も堪能しました。

ライチョウ at 荒川小屋付近
.jpg)
タカネビランジ at 千枚岳付近

ハクサンフウロ at 荒川前岳南東のお花畑

トウヤクリンドウ at 小赤石岳付近
大雪山は高山植物の天国

コマクサ(忠別岳付近)
今年もまた、台風の当たり年なのだろうか。今週末、南アルプス南部縦走を予定しているのだが、どうやらぶつかりそうだ。先週も、取材(National Geographic10月号掲載予定)で上高地を訪れたときに、7号上陸予報とぴったりとぶつかった。直撃も覚悟しながらも、早朝家を出た。八王子への16号線を走る間、腰がひけるほどのすさまじい豪雨に、前方も見えないほどだった。
ところが、上高地に入った2日間、雨は降らず、青空に夏雲が浮かび、岩稜荒々しい穂高の山々の姿がぼくの山心に火をつけた。台風7号は、高気圧に押さえつけられ、海上を東へと去ったおかげだった。
7月。ジョン・ミューア・トレイルに行く直前に、ヤマケイJOYの取材で大雪山を縦走した。日本で最も壮大な風景のなかに咲き乱れる高山植物の季節を歩く旅だった。
が、梅雨の真っ最中の本州とはちがい、この季節の北海道は安定した天候のはずが、初日と最終日以外、ほとんど雨か霧。その翌週のジョン・ミューア・トレイルも、ぼくにとってはじめてというほどの不安定な天候だったし、どうも今年は気象条件に恵まれない。
その大雪山の記事は、来年のJOYの夏号に掲載される予定。いつものように、星野秀樹カメラマンの写真とともに、ご期待ください。
大雪山の高山植物は、すでに終わりかけている。きょうは、行く夏を惜しみながら、ぼくの花写真で前座をたのしんでください。

エゾノツガザクラ&チングルマ(前トム平付近)
チングルマ(前トム平付近)

エゾコザクラ(トムラウシ公園付近)

ハクサンチドリ(高根ヶ原付近)

トカチフウロ(高根ヶ原付近)

エゾノハクサンイチゲ。わずかに青空がのぞく(トムラウシ公園付近)k

アオノツガザクラ(裾合平)

メアカンキンバイ(間宮岳)

イワヒゲ(白雲岳)

ホソバウルップソウ(化雲岳分岐付近)
.jpg)
ゲゲッ!このでかさ。さすがヒグマ!(高根ヶ原付近)

最終日早朝4時前。待望の朝焼け。裏旭キャンプサイトから、旭岳山頂を目指し雪渓を登る。果たして眺望は・・・

見えた! 4日前に通過したトムラウシ方面を望む
アーァ富士山、やっぱり富士山

富士山山頂。なんと雪が降っていました

荒涼として、山小屋が張り付いて、まるでラサかどこかのよう
先週、トレーニングに富士山を登ってきました。今日7月1日が山開き。相も変らぬ行列風景が始まるのだと思います。
じつは、富士山を登ったのははじめてなのです。眺める山としては世界に誇れる富士山です。海外の多くの人々が富士山に登りたがります。ぼくは、必ずやめるように言います。見る山としては自慢する富士山も、登る山としては最低です。臭い、汚い、醜い。
一度も登らずにこのように評価することがどうかという批判があります。ましてや、富士山シンポジウムのパネラーや講演をしたりとしているにもかかわらず、です。語るならば、見なければと、わたしも思います。ですから、こういった批判は甘んじて受けます。
でも、やっぱりどうしても登る気はしなかったのです。富士山に登るなら、他のもっともっと登りたい山がたくさんあるので、いつも、逃げていました。
今回、なぜ登ったかというと、来週から仲間と出かけるジョン・ミューア・トレイルの高度順化トレーニングのためです。仲間の何人かが高度にたいする不安をかかえていて、それはぼくにとっても不安だからです。今回、歩くJMTのコースには3600mクラスの峠ふたつと3400mクラスがひとつあります。富士山はトレーニングの格好の高さです。
こういうチャンスがなければ、ぼくは永遠に富士山には登らなかったでしょう。
富士吉田口の一合目から20キロ弱のバックパックを背負い、仲間10人と、仲間のひとり星野秀樹カメラマンの大学の後輩3名と、合計13名です。
結果はどうだったでしょうか。山開き前ということもあり、恐怖の行列はなく、心配されていた梅雨も中休みで、晴れ間こそないものの、曇りの天候。途中から雪が降ってきました。途中までは、スバルラインで新五合目までやってくるほとんどの登山者の知らない森歩きです。広葉樹の森からシラビソ、コメツガなどの針葉樹の森。これが富士山だとイメージする人は少ないでしょう。
そこからは、ガレ場のスイッチバックの急登。途中、昔からの小屋群が斜面にへばりつくようにいくつもいくつも現れます。その荒涼ぶりは、まるで、ラサかどこかを歩いているような風景。
トイレ事情は、富士山クラブなどの努力によって、以前とくれべれば格段とよくなっているようです。でも、これも人がいないからでしょう。かつて行列で登った仲間は言います。「シーズンになると、あたりにはトイレの悪臭がただよってくるんです」
いま、富士山を世界遺産にしようと関係自治体や市民団体がさまざまな活動をしています。
かつては自然遺産にと運動していたのですが、けっきょく認められず、今度は文化遺産へと働きかけています。
世界遺産になること自体、屋久島や熊野などを見れば明らかなように観光客が押し寄せるという(地元にとってはそれが目的でもある)問題点があっても、けっして悪いことではありません。でも、もともと知識としての現況からですが、この状態でユネスコに申請すること自体、ぼくは恥ずかしいことだと思っていました。こうして今回、現況を見ても、その思いは変わりませんでした。
たとえば、屋久島の無人小屋の状況、とりわけトイレのひどさを見れば、屋久島が完全にオーバーユースであることは明らか。心ある、良識ある関係者は賢明に対策を考えていても、国が抜本的な対策に乗り出さない限り、この状態が続けば、いづれ登録抹消ということだってありうることです。
同じように、いや屋久島の比ではないくらい、富士山は、完全にオーバーユースです。世界遺産にしてほしければ、入山規制をして、まずオーバーユースを解消することろからはじめるべきです。でも、それはありえないのでしょう。もっともっと観光客に来てもらいたいのでしょうから・・・。割れたガラス瓶の散乱。シーズン前だのにタバコやゴミの投げ捨て。風景としての醜さ。見直されるべき問題は山積みです。
英雄、逝く
スポーツ界はサッカーの話題で塗りつぶされています。ぼく自身、小学生のころからサッカーをやっていたこともあり、明日早朝のブラジル戦の奇跡を念じるばかりです。
そんななか、悲しいニュースがぼくを打ちのめしました。サッカー少年だと書いたばかりですが、じつは高校時代の短期間だけ、ラグビーをやっていました。
今回のワールドカップでもそうですが、ほんの一部とはいえ、フーリガンといわれる人々が常軌からはずれた暴力沙汰を起こしています。それほどひどくはなくても、日本でも、試合後、明らかに人の迷惑を顧みない若者たちの異常な行動や犯罪が多く見られます。
ぼくにしても、サッカーの試合に一喜一憂し、勝てば大喜びします。しかし、暴力を伴うような熱狂ぶりには、昔から違和感を覚えていました。
それに比べ、ラグビーは紳士のスポーツと言われています。一喜一憂はあり、熱狂もします。でも、スポーツ本来の楽しみ方から逸脱するようなファンは、ほとんどいません。だからぼくは、サッカーファンであったにもかかわらず、ラグビーに傾いたのです。
その日本ラグビー界の逸材が、先日急逝しました。ラグビーファンならば、だれでもが知る人物です。宿沢広朗。55歳。群馬の山からの下山中に心筋梗塞で亡くなったそうです。電車のなかでこのニュースを知ったとき、目の前が真っ暗になりました。涙が溢れそうになり、新聞で顔を隠しました。
宿沢は、ぼくの英雄だったのです。
じつは、彼はぼくの高校の一年後輩なのです。ぼくの高校は受験校としては知られていても、ラグビーに関しては全くの無名校です。
そのころから、ぼくは華麗な早稲田ラグビーに憧れを抱いていました。にもかかわらず、試合になるとフォワードには柔道部から、バックスには陸上部から人を集めなければ15人に満たないようなレベルの高校から見れば、早稲田ラグビーは雲の上の存在でした。高校卒業後早稲田に入学はしたものの、むろんラグビーを続けることはしませんでした。ありえないことでした。
宿沢は違いました。彼も、早稲田に進学しました。学部もぼくと同じ政治経済学部です。そして彼は、自らラグビー部のドアをノックしたのです。身長は約160センチのひ弱そうな身体。ラグビーとしてはだれも気にもとめない無名校出身。名だたるラグビー有名校で活躍した選手たちが集まる早稲田ラグビーで、だれも彼に注目するものはいませんでした。
ところが意外なことに、やがて彼はスクラムハーフとしての頭角を現し、レギュラーになります。2年、3年のときには、日本選手権で連覇です。日本代表で国際試合にも出場します。
驚きました。早稲田ラグビーなどはなから通用しないと思っていたぼくの高校の一年後輩がこの活躍です。その後、彼を肴に、ぼくは友人によく冗談を言ったものです。「俺も、早稲田でラグビーやればよかったなぁ」。むろん、本気ではありません。嫉妬もありません。後輩だのに、彼は憧れの存在です。
彼は大学を卒業すると、だれもがびっくりする道に進みます。ラグビー部のない三井銀行に就職したのです。入行後、イギリスに9年間赴任。そのときに、本場イギリスのラグビーを学びます。89年、銀行のディーラーを続けながら、全日本監督に就任。強豪スコットランドを破り、ワールドカップはじめての勝利をも挙げます。
彼は仕事面でも才能を伸ばし、三井住友銀行の取締役専務にまで上り詰めます。ラグビーにおいては、低迷の続く日本ラグビーを立て直すための役割を託されようとしていた矢先の急逝でした。ぼくも彼に期待していました。
ワイルドとインテリジェントの融合。これがぼくの目標です。宿沢広朗は、ぼくの理想でした。英雄でした。
きょう、東京築地本願寺で葬儀が行われました。ご冥福を、心よりお祈りいたします。
紫陽花
久しぶりのブログです。
「去年のきょう」シリーズをはじめてから、それなりにアップしてきたのですが、またしても、少々中断してしまいました。理由はいくつかあるのですが、そのひとつがちょっとした手術でした。先々週いっぱい、入院していました。ひどい状態に陥っていたアレルギー性鼻炎から解放されるために、手術を決断したのです。ここ数年鼻づまりに苦しみ、今年になって、それがしだいにひどくなってきました。ここ数ヶ月は、じっとしていると鼻呼吸がほとんど不可能になるような日々が続くようになり、集中力がなくなり、原稿を書くことはおろか、読む、考えるということすらできなくなっていました。2ヶ月ほど前、トリクロール酸という薬で粘膜を焼くという手術をしたのですが、効果がなく、ついに鼻中隔の軟骨を切除するという手術に踏みきったのです。
退院し、鼻の通りが格段によくなりました。この手術をしても、アレルギー性鼻炎がなくなるわけではないのですが、鼻腔を広くすることによって、鼻づまりが楽になるのです。いま、手術の刺激によって、持病の頭痛が続いてはいますが、鼻の通りがよくなるだけで、これほど世界が開けるのかというほどに気持ちのすっきりした日々を送っています。
あのワールドカップのストレスがなかったら、もっといいんでしょうにねぇ。
週末、ストレス解放と術後のトレーニングも兼ねて、30年ぶりに北鎌倉のハイキングコースを歩いてきました。おりしも、紫陽花の最盛期。紫陽花寺として人気の高い明月院の裏から入るコースだったため、北鎌倉駅からはすさまじい混雑でした。人ごみが好きではないぼくにしては、本来ありえないことをしてしまいました。ついつい行列について、境内を歩いたのです。
北鎌倉は、大学生の時代から、カメラを持って、よくひとりで訪れました。花の写真を撮るためでした。今回も、人ごみを我慢してでも、どうしても好きな紫陽花を何枚か撮りたかったのです。
というわけで、きょうもまた鼻、もとい、花の写真です。ごめんなさい。

こんな人ごみ、いつもなら、ぜったい逃げるのに・・・(明月院)

明月院手前の粋な茶店で、まず朝食



風そよぎ光みつる

丹沢に行ってきました。久しぶりの丹沢です。
階段状の急登が延々とつづき、その厳しさゆえ、いつのころかバカ尾根と呼ばれるようになった大倉尾根です。塔ノ岳へと伸びるこの尾根歩きは2度目。
山歩きを生業としているぼくにとって、階段歩きは大の苦手。散々山を歩き、登り馴れているはずのぼくが、駅の階段にはいつも辟易します。階段状の登りは、人それぞれの歩幅やペースを無視し、人工的に作られた登り。だからこそ、だれもが苦しみます。
にもかかわらずぼくは、駅にエスカレーターがあろうが、エレベーターがあろうが、敢えて階段を使い、日頃の足,膝の筋力トレーニングを忘れません。しかも今、住んでいる横浜のマンションは、駅から10分ほど緩やかな坂を登り、最後の極めとして120段の石段を登ったところにあります。この石段があってこそ、ぼくはこの場所を選びました。歳を重ね、重ねるごとに体力、筋力の衰えを実感するぼくの、危機意識のあらわれです。
そのぼくにとっても、大倉尾根はバカ尾根です。連休ということもあって、たくさんの人が歩いています。大方はお年寄りです。この厳しい尾根をよくがんばって歩いているなぁ、と感心します。
標高差は約1200メートル。歩き始めの風景は、すでに初夏の色。卯の花が道脇を飾ります。登るにつれて、緑は薄く、淡くなり、ヤマザクラ、フジザクラ、ミヤマザクラが歩く苦しさを癒してくれます。
山頂が近づくと、麓の初夏がうそのように、まだそこは冬枯れの色。登るにつれて季節が変移します。これがこの季節の、山登りの楽しさ、豊かさでもあります。
山頂をくだり、鍋割山に向かいます。鍋割山へ至り、二俣へと下るこのコースは、ブナを含めた豊かな植生の森を貫く、美しい尾根道です。紅葉もすばらしいけれど、やはり若葉の季節が勝ります。
新緑のこの季節は、四季それぞれを遊ぶぼくの、おそらく最も好きな季節です。風そよぎ、光り踊り、若葉戯れる山歩きは、自然界のシステム、輪廻転生そのものを身近に感じさせてくれます。その摂理になじむ和みは、時代や社会の姿への不信に沈みがちなぼくの心を立ち直らせてくれます。光り射し、風薫り、命蘇る季節です。
4月末にアップした、あまりにも暗い前回の写真から一転して、望遠レンズで狙った丹沢の目覚めショットをいくつかご紹介しましょう。

イトマキイタヤカエデ

オニイタヤカエデ

リョウブ

もうひとつ、リョウブ
春だのに

4月16日の信越トレイル。まだ積雪5メートル以上あるだろう
寒かったり、暖かだったり、突然の雷雨だったりと、不安定な春。風邪をひいてしまいました。
大型連休ですね。時間を自由に使える身としては、交通ラッシュになるこの時期、なるべく動かないようにしています。なにしろ、渋滞や満員電車はだいの苦手です。わがままに時間を使える贅沢をお許しください。
とは言え、今年になってからはまだ、まともな山歩きをしていません。少し身体がなまってきていることも考えると、そろそろ本格的に動かねばと、明後日、丹沢に登ります。
冬にしがみつき、ぎりぎりまで遊び、先月下旬、ようやく心を春に入れ替えたと前に書いたわたしですが、じつは先々週、信越トレイルクラブ総会をかね、参加者12名ほどと、雪の信越トレイルを少し歩いてきました。
なんと、関田峠下の積雪が、4月16日現在、まだ4メートル! もっと驚いたことには、設置されている積雪計は8メートルまで計測できるものでしたが、最高積雪期には、その8メートルを越えていたことも判明。したがって、実際はどれほどの積雪があったかは不明。やはりこの冬の積雪量は異常でした。昨年の冬も19年ぶりの積雪だったのですが、実際歩いてみて、山麓や脊梁部の木々の傷みかたからも、豪雪による雪圧が尋常ではなかったことを物語っていました。
天気は曇り。脊梁部では濃いガスに巻かれ、日本海から吹き付ける風雪によって作られた雪庇の大きさもすさまじいものがありました。脊梁部はおそらく4メートルをはるかに越える積雪が残っているのでしょう。
参加者のなかに、72歳になる修験者(山伏)の方がいらっしゃいました。大峰奥駈を5年連続で修験している方です。なんと、この夏、スペインのサンチャゴトレイルに挑戦するとおっしゃっていました。わたしは大峰奥駈を何度か縦走したことがあるのですが、山中で修験者に会うたびに尊敬の気持を抱いていました。輪かんじきを履き歩く、孤高の姿。ご一緒に歩くことができ、感銘しました。
今回、もうひとつ、収穫。雪上に残されたクマの真新しい足跡を何度も発見したのです。遭いたいけれど、遭いたくない。野生の気配に参加者たちは、嬉し半分、恐し半分。複雑な表情を見せていました。
皐月になろうとするこの季節に、暗い風景写真ばかりで、ごめんなさい。

豪雪に痛めつけられたブナ、哀れ

孤高のお姿

雪上に真新しいクマの足跡。直径20センチほど

足跡は、そのまま崖を下っていった
その分、おまけにめでたい写真を一枚アップします。昨日(27日)早朝、剣崎で釣り上げた巨鯛です。体長52センチ、2.7キロでした。

ごめんなさい
春もみじ

十和田湖夕景

春もみじ
春もみじという表現をご存知でしょうか? 「春になんでもみじなんだ?」 と思われるでしょうが、これがまた、妙を得た言葉なのです。一昨年5月、ある雑誌の取材で十和田と八甲田の春もみじを見に行きました。春もみじという表現の発祥の地が、じつは青森なのです。その象徴としてのエリアが十和田八甲田です。この年、期待の八甲田は、まだ残雪が多く、ようやく芽吹きがはじまったばかりでしたが、春もみじは、十和田湖で堪能しました。春もみじとは、新緑の季節にしかわからない緑のバリエーションを主体に、そこにサクラのピンクが混じる春の山麓模様を言うのです。
じつは、Yahoo がこの4月から新しく開いたポータルサイトYahooセカンドライフでぼくの連載が始まりました。今ちょうど、十和田の春もみじをテーマにした第一回目のエッセーがアップされています。サイトを開いたら「旅」というジャンルをクリックしてみてください。
新緑を楽しむ最高のトレイルと、ぼくがよく挙げる奥入瀬渓谷の散策路は、焼山から十和田湖までの14キロをゆるやかに渓流沿いに延びています。
「菜種梅雨の季節になると屋久島を思い浮かべるのとおなじように、新緑の季節になると、ぼくはいつも奥入瀬渓谷の清冽な水の流れと、若草色に萌えるブナの森を思い浮かべてしまう。目を閉じると、せせらぎに遊ぶカワガラスや可愛らしいミソサザイが、せわしなくかしましく飛び交う、うららかな奥入瀬渓谷の春の風景と音が蘇ってくる」(『自然の遊び方50』平凡社)と書いた奥入瀬渓谷は、じつは春もみじを楽しむにはむいてはいません。春もみじは、離れて見なければ、そのよさがわからないのです。奥入瀬渓谷は新緑の洪水のなかを緑に染まりながら歩く恰好のトレイルなのです。
この2週間ほど、冬から春への心の衣替えそこそこに、桜の季節を楽しんできました。横浜にあるマンション5階のわが部屋正面にある久良岐公園は、いま「春もみじ」の季節を迎えています。
4月の2日に、わが家で桜パーティーを開きました。あいにくの雨で久良岐公園散策ができなかったのですが、ベランダから撮影した写真をアップしましたので、ご覧ください。ぼくはむろん、ソメイヨシノの品格のある艶やかさも大好きなのですが、それ以上に、緑色のバリエーションのなかにピンクのアクセントとしてドットのように散りばめられたヤマザクラの姿が好きなのです。地味ではあっても、楚々として控えめな、曖昧な日本らしい姿に心惹かれます。そのヤマザクラやオオシマザクラ、エゾヒガンなどが混じった久良岐公園の森は、山好きでいつでも山に飛んでいきたいぼくの心を癒ししてくれるのです。

桜紋様久良岐の森(04.02 from my room)

雨もよい久良岐の森(04.13 from my room)
なごり雪3連荘

ブナの森影@なべくら高原
そういえば、昨年の今ごろは、アパラチアン・トレイルのために、すでにジョージア州に入っていました。この一年の時の流れの速さには、恐怖をすら感じるほどです。10月に帰国してから、もう半年近くも経っていることが信じられないほどに、呆けたまま時が過ぎてゆきます。
冬ごもりしていたわけではありません。いや、でも、やっぱり引きこもっていたりもしました。でも、ちょっとは、それなりに活動もしていました。ただ、いつもの怠け心が、義務感を嫌い、ぼくをブログ更新から遠ざけていたのです。
前回書いて以来、トリノオリンピックやWBCなどのスポーツや、深刻な政治経済、社会問題などが新聞、テレビをにぎわせてきました。本来、スポーツ観戦や社会、政治問題を分析することの好きなぼくです。こういった問題に関しては、じつはいつもだまっていられなく、書きたくてうずうずはしていました。が、それは、このブログの主旨からはずれるので、我慢をしていました。
今年は例年よりかなり早い桜便りです。ここ横浜でも、多くの桜がほぼ満開状態。冬の厳しい寒さ、豪雪の厳しさに耐え、人々は春を待ち望んでいます。蘇生、転生の季節。輪廻転生、永劫回帰の起点。人々の心を解放するその季節が、またやってきました。
ところが、とりわけ冬の、冬でしかできない遊びにとらわれ、非日常の風景を謳歌するぼくは、厳しい寒さにあっても、春を待つことを、ほとんどしません。毎年、春が近づき、気温があがり、雪が融けはじめてくると、心が沈んできます。凛とし、透徹とした空気感に、非日常の、無垢の銀世界に穢れが入ってくるような寂しさが募ります。
毎年、春が近づくと、最後のあがきのように、ぼくは冬にしがみつきます。そうして、存分に最後の雪を遊び呆けます。呆けて自らを納得させ、やっと気持を切り替えます。冬の心から春の心に、ギアーをチェンジするのです。そして、あの「早春譜」を口ずさみ、その詩のゆかしさに心融かせるのです。
今年もまた、いつものように、最後の冬の季節を、心ゆくまで楽しみました。
この3週間、週末になるたびに山に出かけました。先々々週は、なべくら高原でのスノーシュー。先々週は北八つでのテレマーク。先週は戸隠で雪洞遊び。
昨年10月6日のマウント・カタディン到達の日以来、ぼくの野外遊びの日のことごとくは、恐ろしいほどに、雲ひとつない快晴に恵まれています。この3週末も、みな同じでした。いつも、その前日は雪、または雨の荒天。その翌日も雪、または雨の荒天。どうしたわけか、その日だけは、必ず濃紺の突き抜けた空になるのです。
その、なごりの3連荘冬遊び写真をここに展開し、今年のぼくの、冬へのこだわりの心を解き放ち、うららかな春の遊びモードに心を入れ替えようと思います。
ただ、雪洞写真の大部分をRaw モードで撮ってしまい、それをブログ用に加工するソフトがないために、戸隠の冬のなごりの春待ち風景や肝心の雪洞をご紹介できないのが、とても残念です!

@なべくら高原

@なべくら高原

@なべくら高原

@なべくら高原
タイチクン、5メートル壁をジャンプ!@なべくら高原
なべさんも、ジャンプ!@なべくら高原

これこそが北八つ!

マイテレマーク@北八つ

雪上宴会@戸隠高原
雪は、やっぱり楽しい

森の家は積雪4メートルを越えていた

試乗会用スノーシュー群
前回更新してから、なんと40日もたってしまいました。アパラチアン・トレイルのために立ち上げたブログだったということもあって、それが終わってしまった今、ふぬけのように遠ざかってしまいました。あっという間に、40日もたってしまったことがびっくりでした。
じつは、新年明けにこのブログのURLが変わることになっていて、それを機会に書こうかと思っていたのですが、もうしばらく新しいブログの立ち上げには時間がかかりそうです。
わたし自身が自分のブログから疎遠になってしまったということは、わたしのサイトを楽しみにしてくださっていたみなさんには、ほんとうに申し訳なく思っています。
先週末(1月28日、29日)、わたしがかかわっているNPO法人「信越トレイルクラブ」主宰による「信越トレイルスノーフェスティバル2006」が行なわれました。きょうは、久し振りにそのご報告をさせていただきます。
このフェスティバルは今年で4回めを数えます。昨年夏、信越トレイル全行程のうち、約50キロが開通したことを受け、今年は信越トレイルの一部をスノーシューで歩くというイヴェント企画が目玉になりました。また、このイヴェントには毎年、日本で発売されているすべてのスノーシューメーカーが参加し、お客さんがそれぞれのスノーシューを履き比べることができる「試乗会」も行なわれ、好評をはくしています。
さらに今年は、スノーシューとは関係のない、「アパラチアン・トレイル3500キロ踏破」をテーマにしたトーク&スライドショーも行なわれ、おかげさまで、たいへんな盛況のうちに終了することができました。
会場の「なべくら高原・森の家」は、昨年3月にもこのブログで書きましたように、長野県北部、新潟県との県境にある飯山市にあります。この県境にそって東西に伸びる関田山脈の山稜部を延びるトレイルが信越トレイルです。その最東部が、この冬、テレビ、新聞等でクローズアップされた新潟県津南町にあたります。
飯山市も含めたこの一帯は、日本を代表する豪雪地帯として昔からしられていました。じつは、わたしが小学生のころから、毎年この季節になると、新聞社会面に一枚の写真つきの記事が載ったのもでした。豪快に雪を飛ばしながら走るロータリー車が飯山線を走っている写真と、豪雪の季節が今年もやってきたという内容の文章です。関東平野に住むわたしは、豪雪に苦悶、苦闘する人々の思いや心を知らぬままに、豪雪という非日常の環境に、ただただ憧れを抱いていました。いま、こうやってその飯山市と繋がった縁を思うと、不思議な思いがします。
気がついてみると、いつのころからか、そういった記事が新聞から消えました。豪雪地帯に豪雪が降ることが減ってきたからです。現に昨年、飯山市の積雪は19年ぶりと言われ、注目されました。
スタッフも含めて120人ほどが参加した信越トレイルスノーシューツアーの写真を、ここにアップします。日頃町では、歳相応の笑顔というものがあるのですが、10代から70歳代まで、参加されたすべての方々が、みな一様に、年齢に関係ない無邪気な笑顔で、この雪まみれツアーを堪能されていた様子が、なによりも嬉しく感じられたイヴェントでした。

植林杉の森だって、雪を冠ればまるで北欧の森

紺碧の空の下、急勾配ラッセルも楽し

ウサギといっしょ

腰が引ける

でも、エイッ!

跳んだ!

わたしも!

オレだって、とトライした後のレンズは、こんなふう
行ってきます
きょう夕刻、アトランタへ向けて出発します。4日前に新居に移り、ダンボールの山に埋もれながら、4日間片付けに専念している姿を友人が見て、どうみても、明日から7ヶ月も海外へ出かける姿ではないと、笑いました。とりあえず、膨大な本を書棚にぶち込むだけで、せいいっぱい。
ともあれ、きょうからはようやく、100パーセントアパラチアンモードになれます。
存分に歩く旅を堪能してきます。さまざまな形のレポートを楽しみにしていてください。
行ってきます。
こんな怪しいもの、さすがにやめました
3月27日出発に向けて、最後の準備段階に入ってきました。あと10日後にはジョージア州スプリンガー・マウンテンを出発し、歩いているはずです。あっけにとられるほどの速さで日めくりがめくられていきます。
3日前に、出発前最後の原稿を書き上げ、きのう、装備チェックをすませ、パッキングしました。機材なしの重量が20キログラム以内におさまるようにと,1グラム1グラム慎重に装備を選び、すべての重さを量りパッキングした結果、20キロを切ることに成功。モバイル、カメラなどの機材も予定どおり5キログラムにおさまり、完璧に近いパッキングに成功しました。

パッキング総重量24.5キロ(機材こみ)。理想の重さです
今回、バックパックはGregoryのPalisade

セクションごとに小分けした砂糖と粉末クリーム。あまりにも怪しすぎたので、持っていくのをやめました。これが理由でアパラチアンできなくなったら、もともこもないので・・・
これでひと段落といきたいところですが、じつは、そうはいかないのです。この23日に、なんと引っ越しがあるのです。横浜市南区から、おとなりの磯子区への引越しになるのですが、なにしろ、あまりにも出発日と接近しすぎて、今、家のなかは大混乱、頭のなかも大混乱です。おりしも、確定申告のシーズンとも重なり、さらに昨年まで住んでいた八ケ岳の土地建物を売却した関係の税金申告もあり、ほとんどパニック状態でした。が、しかし、それらは、ぶじすますことができ、残りはバックパックを明後日、成田空港に送れば、あとは引越しのみ。
昨日から、友人が手伝いに来てくれて、なんとかめどが立ちました。ただ、引越しにともなうさまざまな手続きと連絡事項が山とあり、いま、その整理をしているところです。
出発までに、少し時間ができたら、この次は装備のお話を少し書きます。お楽しみに。時間切れでだめだったら、本番で書きますね。
食糧、ぶじに届くかなぁ?
指折り数えるほどに、出発が迫ってきました。
3日前、食糧をアメリカのジョージアに住む友人宅に向けて郵送しました。ダンボール3箱。約60キロ。100日分を超える食糧ですから、この重さに抑えられたということは、さすがフリーズドライですね。ただし、アメリカの食糧輸入規制から、肉類などが入っているものは、一切はぶきましたので、残りは向こうで調達です。

食糧はセクションごとにジップバッグに分類
ほんとうは、かなりの部分をアメリカで調達しようかとも思ったのですが,ぼくの場合、仕事半分なので、トレイルアウトして、町でそういうことに割く時間があまりないのです。
町に下りて、まず郵便局に送っておいた食料を取りに行き、安宿でシャワーを浴び、コインランドリーで洗濯をし、自らの栄養補給をし、宿にもどって、トレイルで書いたジャーナルをまとめ、デジ写真を整理してパソコンに落とし、原稿を書き、写真を添えて日本に送信し、かつ、自分のブログをも更新する。歩いている間に届いているであろうメール類をチェックもする。翌日からの行程を調べ、日程を調節する。
そして、翌日、早朝にはヒッチハイクでトレイルに戻る。
こんなにたくさんのすべきことがあれば、きっと、町のスーパーなりに出かけて、食糧調達なんて、たぶんできないでしょう。
食糧を郵送したので、少しは落ち着きました。それまではぼくの家のリビングルームは食糧で埋まっていたのです。それにしても、たいへんな作業でした。なにしろ大きなダンボール3つぶんがすべて食糧なのですから、向こうでは必ず開けて,チェックされます。ウソは絶対に書けないので、正直にそのコンテンツのひとつひとつをインヴォイスに書き添付。さらに、それだけの食糧なので、商用として使うと思われてしまいますので、その目的やら日程やらを英語で文書にして添付。
しかも、3月27日にアトランタ入りして、4月1日にトレイルを出発するまで、あまり時間がないので、6ヶ月の行程のうち25ヶ所で食糧補給をするという行程表を作り、それぞれのセクションごとに朝昼晩に分けてジップバッグに入れるという作業をすませました。実際に、25ヶ所の郵便局に発送するのは、アメリカに着いてからです。
ただ、ぼくは恵まれています。こういう仕事をしていることの恩恵です。あちこちにできた友人が、ぼくを助けてくれるのです。
食糧を送付したジョージアの友人ジョゼフは、じつはアパラチアン・トレイルのゲートタウンであるDahlonegaという町に住んでいるのです。しかも、奥さんは日本人。こんなラッキーなことはありません。彼は、あるいはご存知の方もいらっしゃるかもしれません。数年前、本庄真奈美がNHK・BSの女優トレッキングシリーズの番組で、アパラチアン・トレイルの北のほんのチョコッと歩いたときの案内役兼コーディネートをした人です。じつはこの番組について、ぼくはアドヴァイスを頼まれた経緯があるのです。その番組の後、プロダクションのスタッフから紹介されたのがジョゼフだったのです。
彼がいなければ、公共交通手段を乗り継いで、さらにシャトルを雇ってスタートポイントに行くことになります。こういうコネがないすべてのバックパッカーは、アメリカ人であろうとなかろうと、みなさまざまな手段でアプローチトレイルに向かいます。ジョゼフに感謝!
なにはともあれ、食糧がぶじに届くことを祈るしかありません。なにしろ、大量の食糧です。最悪、送り返されるケースもありますと、郵便局に言われました。
もういちどだけ、すみません
ごめんなさい。これが最後のスノーシューです。
2月27日(日)、インフォメーションでもお知らせしてありました、日本トレッキング協会のスノーシューイヴェントに行ってきました。場所は入笠山。ぼくが住んでいた八ヶ岳の富士見高原のちょうと対面にある山で、南アルプスの一角をなしている山です。
初夏にはスズランをはじめ、さまざまな高原の花が咲き乱れることで知られています。この山をぼくは大好きで、八ケ岳に住んでいるときは、しょっちゅう訪れていました。
この日、なによりも、なによりも、今年出かけた吹雪のなかでのすべてのスノーシューイングを否定するような快晴。紺碧の空の下、30人ほどの参加者たちは、大感激。

完璧な紺碧の空。文句あります?
八ケ岳は、日本の3000メートルを超える高い山のほとんどを観ることができる絶好の位置にあり、展望のすばらしさを誇っていますが、じつは、入笠山はそれを超える展望なのだと、ぼくは密かに思っていました。
その入笠山が、ド快晴だったのです。北,中央,南アルプス、富士山、御嶽山,乗鞍山、奥秩父連峰ばかりではなく、後立山連峰まで見えるのです。そして、なにより、八ケ岳が目の前にその迫力をさらしています。八ケ岳の広い裾野に形成される富士見高原全体が斜めに傾いて見えます。その迫力、美しさは圧巻です。

八ケ岳です。ハハハハッハッハッ!
そして、翌28日から3月2日までは、草津高原へでかけました。これは「ヤマケイJOY」の来年冬号の取材です。こちらは、前日のような快晴とはほど遠く、乗るはずだったロープウエイが風速30メートルに近い強風が一日吹き荒れていたため運転中止となり、予定していた逆のコース。草津の町からすべてが登りという行程で、歩いてきました。
草津の高原を歩いたのは、じつははじめてのこと。子供のころからゲレンデスキーにも親しんできたぼくでしたが、なぜか一度も滑ったことはなかったのです。
草津自体は、何度も通過はしていたものの、その温泉にもつかったことすらなかったのです。初日、麓の温泉に泊まり,翌日、白根山の麓にある芳が平という高原にポツンと建つ、芳が平ヒュッテまでスノーシューイングを楽しみ、最終日に草津の公共の湯につかって帰ってくるという、優雅な旅。当初、すべてが下りの予定が、強風のため、すべてか登りとなってしまいましたが、それはそれ、なかなか素敵な旅でした。下りはテレマークスキーヤーに任せればいいのです。なにしろ、スノーシューは歩くための道具。
あ、そう言えば、2年前、国立公園をテーマにした国際シンポジウムにパネラーとして参加したとき、アメリカのマウント・レイニア国立公園長が話していたスノーシューのことを、同時通訳が、その都度「雪靴」と訳していたのを、途中、ぼくが気づいて、通訳に「西洋カンジキ」と訳すように指摘したことがあったっけ。
それにしても、芳が平ヒュッテはすばらしかったです。写真たくさん撮ってきたのですが、ぼくが写っている一点だけ、載せます。来季「ヤマケイJOY」冬号に載るストーリーを、星野カメラマンの写真とともに、お楽しみに。あ、そうそう、もうひとつ蛇足ですが、その原稿締め切り日、なんと、アパラチアン・トレイルが終わって帰国する前に、アメリカでむかえるんです。アパラチアンの興奮さめやらぬなか、書けるのかなぁ・・・。

怖い、ですか?
またまた、スノーシュー
先週末(2月19日、20日)の2日間、またまた森の家に出かけました。前回の豪雪の興奮がまだ冷めやらぬ中、それ以上の積雪を期待して出かけたのですが、残念ながら、その後、雨が降ったり、晴れ間が出たりと、少し積雪は減り、雪もしまっていました。
今回は、このブログのインフォメーションでもご紹介しておいたスノーシュー・イヴェントでした。19日は日本に現在輸入されているスノーシュー5社の製品が勢ぞろい、その試乗会が行なわれました。そのすべてのクライアントが参加してのイヴェントははじめてのこと。さらに名古屋のクライアントからは、カナダ,アラスカのトラディッショナルな木製スノーシューも展示されました。これは、ぼく自身、もう25年も前から使っていたホワイト・アッシュ(白トネリコの木)をフレームに使った、実に姿の美しいスノーシューで、これこそが、ぼくをこの世界にひきこんだものなのです。

ぼくの大好きな、トラディッショナル・スノーシュー
それぞれの製品は、それぞれに特徴があり、それを履き比べ、3メートルもの積雪の森の家周辺を試乗したお客さんからは、たいへんな好評を得たようです。
夕方からは、「加藤則芳講演会」が1時間ほど行なわれ、スノーシューを使った雪の楽しみ方や冬という季節の楽しみ方などを、スライド写真を交えながらおしゃべりしました。
翌、20日は、当初、関田山脈の脊梁部にある信越トレイルを歩く予定をしていたのですが、あまりにも積雪が多く、天候も不安定ということで、羽広山集落の里山を歩くことになりました。

雪に埋まる日本の冬景色ー羽広山集落
参加者は20歳代から70歳代までの60名。その3分の2が初心者。前回仲間たちと歩いた同じコースでしたが、あの時と比べて雪がしまり、ほとんどラッセルをしなくてすみ、初心者ばかりにもかかわらず、ほぼ倍のスピードで登っていきました。途中、他のインストラクターたちといっしょに、冬や雪や、木々や動物など、自然との遊び方、自然の驚きや気配などの話をしながら、和やかに進んでいきます。
小雪の舞うスタートだったのが、登るにつれ、青空が覗き、雲のひいた山腹には霧氷まであらわれ、歓声が沸きあがります。

ウサギになった

20歳も、70歳も、みな、こどものように走った
お昼を食べ、目的地のブナの美林近辺で、青空の下、眼の前に姿をあらわした霧氷を手に取り、写真に撮っているその瞬間に、やおら突風が吹き、いきなり吹雪きになってしまいました。5分前に歩いた人々のトレースは吹雪きで吹き飛び、あたりはホワイトアウトの状態。
これこそが冬山の恐ろしさなんですよ、とお話をしながら下ります。そして、またもや崖。
これを飛び降りて見せると、はじめてスノーシューを履いた方々が次々と真似をして飛び降り、すべり落ちます。雪原の50メートル競争。70歳代の方も含めてみな、喜びを身体いっぱいに表現して走り、転げ、もう、みな子供です。
「楽しかったー!! スノーシューがこんなに楽しいものだとは、お話だけだったらわからなかった!」
みな、ほんとうに心からスノーシューいイングを満喫して帰っていきました。
豪雪スノーシュー
この週末、毎冬恒例となったJMTCスノーシューイヴェントに行ってきました。JMTCとはジョン・ミューア・トレイル・クラブの略で、そんな名前がついてはいても、山やアウトドア活動をほとんどやったことのない人からベテランまでがわたしのまわりに集まってできたグループです。ただみな、可能性ある者もない者も、ジョン・ミューア・トレイルに憧れ、一度は歩いてみたいという共通の夢は持っています。でも、ま、別名、堕落隊という名があるように、酒好き、無駄話好き、冗談好き、自然好きの、自由気ままな集まりです。

豪雪に埋まる森の家コテージ
フィールドは、かつては北八ケ岳でしたが、昨年から北信濃の鍋倉高原になり、森の家がその基地です。
テレビ,新聞を賑わしている大雪情報ですが、その豪雪の極めつけが、じつはこのエリアです。新潟との境に位置する飯山地方は昔から豪雪地帯として知られ、わたし自身、子供のころから毎冬,新聞でロータリー車が飯山線の豪雪を撒き散らしながら走っている様子を見て、ああ、あんなところに行ってみたいなぁ、などと、地元の人々の雪との奮闘ぶりなど思いもかけずに憧れていたところです。
今年はなんと18年ぶりの豪雪。森の家のコテージ群が積雪3メートルを超える雪のなかに、埋もれていました。ここ数年、冬だけでも、数えきれないほどに森の家を訪れたわたしですが、この風景は今年がはじめて。少年のころから思い描いていた豪雪の飯山を、はじめて体験することができ、雪かきに追われるスタッフを横目にみながら、懐かしさと嬉しさとで、うっとりと夢見心地で、まるで「かまくら」のようなコテージ群を眺めていました。
でも、こんな風景は18年前までは、普通の風景だったのです。地球を思えば、降るべき時に降るべきところに降るべきなのです。地元の人々の心を想いながらも、やはり、そう思います。
今年の参加者は子供もふくめて17人。あまりにもの積雪に、予定していた稜線への往復は断念。稜線付近はおそらく7,8メートルの積雪です。なおかつこの冬一番の大寒波によって一週間以上降り続いている雪に埋もれて、近くに到達することすら、ほとんどありえない状況ということで、いつも付き合ってくれる名ガイド、森の家スタッフの渡辺君と相談して、楽なコースに変更しました。

歩く

走る

飛ぶ
雪は降り続き、ときおり吹雪が視界を遮断します。はじめからラッセルの連続。これほどの豪雪のなか、しかも降り続き、積もり続ける新雪のなかをスノーシューで歩くことは、わたしでさえほとんどはじめての経験。経験のないメンバーにとって、これは過酷かつ稀有、貴重な体験です。全員が順番に先頭を歩き、いかにラッセルが過酷な労働かを身を持って体験してもらうことにしました。膝上から股のあたりまでの雪の中を泳ぐように歩く先頭は、後ろを歩く人の十倍の労働、そして辛さです。逆に、標高がさほど高くなく、湿った雪のため、5番目あたりから後ろは、前の連中によって踏み固められたトレースを難なく歩くことができます。
登るにつれ、積雪は4メートル、5メートルと増えていきます。ラッセルはますますきつくなります。予定していたブナの美林に到達することができずに、スノーテーブルを作り、吹雪の中、昼食。帰りは、恒例の走り、飛び、回転。雪が深いぶん飛んでも跳ねても安全なのが、ここの魅力。スノーシュー体験初めての人も子供も、みな雪煙をあげ,気勢をあげ、飛び、走ります。
昼は降り続く雪に打たれ、ころがり埋まり雪まみれ、夜はコテージで、料理名人として名をはせるメンバーたちが作った絶妙の鍋料理に舌鼓を打ち、酒まみれになり、皆、満面に溢れる笑みを浮かべ、陽気に無邪気に遊んだ2泊3日でした。
ジョン・ミューアが、なんと25セント硬貨に
日々雑多な仕事に追われ、なかなかこのページをいじる時間が見つからなく、ご無沙汰しています。とは言え、追われる仕事がアパラチアンにかかわる雑多であれば、やはりそれは嬉しい日々ではあります。
たとえば、
1/24
ゴールドウイン本社にて、ノースフェース事業部の山本氏、飯
坂氏、小沢氏とウエアーについての打ち合わせ
1/25
歯科医にて親知らずを抜く。途中、歯痛でリタイアなんていや
ですからね
1/26
横浜でパトリックと会う。しばらく使わないでいると、英語力
はあっという間に落ちてしまいます
1/28
ペンタックス本社で池永氏、吉毛利氏、加納氏に会い、アパラ
チアン・トレイルで使うデジタルカメラ(ist Ds & Optio43WR)を
受け取る
1/29
横浜のコストコで買い物。主に行動食を大量に購入。コストコは
会員制なので、友人で、会員のナベシゲさんに無理をお願いし
て連れて行ってもらう(今、わが家は車もないのです)
1/31
登山家でスポーツトレーニングアドヴァイザーの田口さんとともに
靴のインソールの件で、町田で打ち合わせ。
視力検査と眼鏡レンズ交換で成城へ
2/1
ノースフェースの秋冬物展示会へ(東京ファッションタウンビル)
歯科医検診
2/2
このサイトをプロデュースしてくれたsotoaso.comの相吉氏、宮崎
氏と打ち合わせ。
iBepal の藤田氏と打ち合わせ
横浜でパトリックと会う。
みたいな感じです。ここ5年ほど体調が悪かったこともあって、その調整にはかなり神経を使います。歯も眼も足もです。
と、まあ、どうでもいいことを書いてしまいましたが、きょう、ちょっと面白い情報が入ってきました。なんと、ジョン・ミューアが25セント硬貨(クォーター)にデザインされ、登場することになったのです。
アメリカでは、全米50州すべてで独自のデザインによるクォーターを出せるという法律ができ、1999年より、毎年5つの州ごとにリリースしてきました。今年は、カリフォルニア、オレゴン、カンザス、ミネソタ、ウエスト・バージニアの番です。その5州に先立って、このほどカリフォルニア州がリリースしたのが、ジョン・ミューアと、その設立に彼が貢献し、世界の自然保護のメッカとも言われるヨセミテ国立公園のハーフドームをデザインしたクォーターだったのです。
今年、カリフォルニアを旅する予定のある方は、ぜひ25セント硬貨の裏を気にしてみてください。もし、入手できたら使わずに大切に持ち帰り、宝としましょう。
この試みが評判がいいということもあって、アメリカ造幣局は2009年にリンカーン大統領の生誕200年を記念したペニー(1セント)を出そうという計画を考えているようです。
口笛でも吹きながら
アパラチアン・トレイルを歩くということで、それなりに意気ごんでいるわたしですが、その意気ごみを大げさだと感じている人がいるようです。ある意味、とてもよくわかります。
パシフィック・クレスト・トレイルというロングトレイルを知っている人もいるかと思います。全長約4200キロ。アメリカ西部のメキシコ国境からカナダ国境まで、カリフォルニア、オレゴン、ワシントンと三つの州をまたいで、延々と続くロングトレイルです。このトレイルはアパラチアン・トレイルよりも距離も長い上、過酷さもずっと上です。なにしろ、砂漠地帯から4000m近いシエラネバダを越え、カスケードの山間を歩きつづけます。
そのトレイルに挑戦する人々も、かなりいます。そして、日本人で成し遂げた人々もいます。これから挑もうと計画している人もいます。
そういう人々の間で、ウエブサイトでの議論や情報のやりとりがされています。彼らは、わたしとは違って、仕事ではなく自費で、100パーセント自己管理でやらねばなりません。むろん、わたしの場合でも計画も自己管理も自分ひとりでするわけですが、やはり、どこかには甘えはあるはずです。その甘えを自ら管理することが、むしろ必要です。
彼らは、目標達成のため、だれの力を借りずに自分でやります。これは尊敬すべきことです。仕事ではなく、好きでやるということが、正直、羨ましくもあります。すごいなー、と思います。趣味を仕事にしたということで、わたしは羨ましがられることが多く、それはそれでそうした自らを納得している反面、矛盾をかかえながら旅することが常です。仕事にしばられれば、旅を100パーセント楽しむことはありえないからです。
わたしが歩いたジョン・ミューア・トレイル340キロを歩ききった日本人が、毎年どんどん生まれます。10年前、歩いたとき、わたしは、やはり意気ごんでいたと思います。今歩いている彼らも、むろん綿密な計画を立て、人それぞれのやりかたで自らを叱咤して望んではいるでしょう。わたしが書いた本を読んで歩いたという情報を聞けば、わたしの本も、人にいい影響を与えてるんだなー、ととても嬉しい気持になります。それとともに、とても彼ら彼女らを羨ましく感じます。仕事と離れたところで、フリーな気持で自然を楽しむことができるのは、彼らなのだろうな、と思うからです。
仕事として歩けば、それはかなりのプレッシャーを感じずには歩けません。歩きながら、締め切りのことなんか、本当は考えたくありません。でも、それはその道を選んだわたしの宿命です。ただ、そのプレッシャーをうっちゃるくらい、、だれにも負けないだけの自然を謳歌はしていると、自負してもいます。
ただ、仕事だと装備が重くなります。今回もモバイルを含む機材だけで5キロを越える重さにはなるでしょう。宿命とはいえ、これは、確かにきつい重さです。
食糧計画で日本から持ちこもうと思っていたフリーズドライの多くがダメだとわかったとき、エーッ!と思いました。予定が狂ったからです。でも、そうとなれば、やりようはいろいろあります。なにしろ、人跡未踏の地を歩くわけではないのですから。人跡未踏の地を歩くのではないということは、予定どおりいかなくても、「ま、なんとかなるだろう」ということにもなります。気楽に構えられるのです。その場、その場での対処の仕方が容易なところが、トレイル歩きです。その気楽さが、いい意味、彼らの中に感じられます。それは、なにかを成し遂げるために必要なことでもあります。むろん、やるべきことをやった上ですが・・・。
ちょっと、話が違うかもしれませんが、かつての日本人オリンピック選手になかったのがそれでした。アテネオリンピックとの大きな違いです。その結果が、成績として、きちんとあらわれています。ハッハ、大げさか。
ま、ともかく、パシフィック・クレスト・トレイルやってしまうような人々にとっては、わたしの構えは、たしかに大げさに感じるでしょうね。ここ数年の体調悪化がなければ、オレもPCTやっていたのに、という悔しさも、どこかにあります。
どうやら今年、アパラチアン・トレイルに挑戦しようとする日本人がいるようです。しかも、かのパシフィック・クレスト・トレイルを踏破した人です。これは、嬉しいことです。彼とどこかで会えるといいな、と期待しています。そんな報告も、ジャーナルで書ければいいですね。
なにはともあれ、出発までのあわただしさはあっても、口笛でも吹きながら、冬の日々を楽しむことにしましょう。
陽だまりハイキングのはずが・・・
ようやく、嬉しい寒さがやってきました。あたたかな冬を喜ぶ人々がいますが、ぼくは心が曇ります。寒いときは寒くあるべき。暑いときは暑くあるべき。異常気象、温暖化は、政治的経済的思惑よりも、優先される問題であるべきです。とはいえ、人間生活に必要な経済発展とのバランスをどうとるか。地球基盤、生態系基盤に立った政治力が必要な時代です。
いきなり本題からずれてしまいましたが、昨日(23日)、「陽だまりハイク」と称する日本トレッキング協会主催のイヴェントで、神奈川県湯河原にある幕山に行ってきました。標高626メートルの山を巡る軽いトレッキングコースです。間近に相模湾を望め、伊豆半島、真鶴半島、伊豆七島などが見渡せ、植生も豊かで、とても気持のいいコースです。

幕山山頂
また、ここは、いくつもの露岩が屹立していて、ロッククライマーにとって、恰好のトレーニング場になっています。
梅林でも有名なところで、来週からは梅祭りも行なわれます。山麓にちらほらと紅や白の花が咲きはじめ、春の匂いをただよわせていました。
暖かな伊豆でのんびりとうららかな陽だまりを楽しもうと期待していたのに、なんと、0度前後の気温。しかも雪が降ってきたのです。天気予報が、低気圧接近を告げてはいたのですが、まさか幕山で雪になるなんて、思ってもみませんでした。
麓の公園の集合場所に行くと、梅林の奥の壁に何人ものクライマーが取りついています。4人ほどの知り合いのクライマーも来ていました。梅見をしながらのクライミング。この取り合わせも、なかなかなものです。
さて、われわれのトレッキングイヴェント参加者は老若男女36人。それにわれわれスタッフ6人。歩きはじめて、すぐにちらほらと雪が舞いはじめました。
山頂に着くころには、降りも強くなり、気温もぐんと下がり、萱野はうっすらと雪化粧です。
冬の陽だまりにはほど遠く、海の遠望もなく、耐寒トレッキングとなってしまいましたが、これはこれで心豊かな旅でした。またひとつ楽しい記録がぼくのなかに追加されました。照葉樹の森が、まだ少しだけだけれど残っていたのを発見できたのも、嬉しいことでした。寒風吹く冬も雪降る冬も、好きです。季節を旅することができる日本は、いい国です。
食糧計画で、ちょっとピンチ

Sun rise in Virginia(1999)
アパラチアン・トレイル出発まで、あと2ヶ月ちょっと。6ヶ月にわたるバックパッキングのための準備は、膨大なものになります。昨年末から作り始めた行程表が、ようやくできあがり、その日程をベースに、装備計画を始めました。180日分の日程をエクセルを使って仕上げる手間は、たいへんなものでした。が、ジョージア州から一日一日距離を伸ばしていく、その行程を、地図を見ながら頭のなかでイメージし、進めていく作業は、いわば、頭のなかのシミュレーション。エクセルで表を作りながら、風景を想像しながらすでに地図の上を歩いているのです。大変ではあっても、それは楽しい作業でした。
その行程表を元に作った装備計画を持って、先週、ICI石井本店の越谷さんをたずねました。越谷さんは、山岳装備のプロ中のプロ。テレビや雑誌などの登山、冒険企画から、ドキュメンタリー、ドラマ、クイズ番組など、あらゆるロケのコーディネートを手がけ、アドヴァイスをしている方です。
越谷さんのご協力とアドヴァイスを受け、今、その準備をしているところです。2月早々には具体的な装備を固め、使い勝手などのテストを兼ねて、トレーニングに出かけようかと考えています。
一番たいへんなのが、食料計画です。なにしろ、180日分のフリーズドライを用意しなければなりません。ロングトレイルです。荷重をいかに軽くするかが重要な課題です。食料はフリーズドライ以外考えられません。
その食料に関して、先日、大きな問題が持ち上がりました。9.11以来、さまざまな分野で厳しくなっているアメリカの輸入規制が一段と厳しくなり、2003年にフリーズドライを含む、すべての肉製品の個人輸入が禁止されてしまったのです。むろん手荷物としての持込も含めて、です。海外での仕事が多いぼくにとって、大ピンチです。
ご存知の方は少ないかもしれませんが、アメリカのフリーズドライのまずさといったら、これはひどいものです(むろん、人によって好き嫌いはあるでしょうが)。ゲテモノをふくめ、なんでも食べるぼくでさえ、アメリカのフリーズドライは、ごめんです。昨年夏、食べたことがないという日本の友人10人に試食してもらったところ、全員が顔を歪めました。日本製は、おいしい製品がたくさん出ています。ですから、すべて、日本から持ち込もうと考えていたのです。これまでの、すべての海外トレッキングやロケも、そうだったのです。昨年、シエラネバダを友人たちと歩いたときも、すべての食料は日本から持ち込みました。
少ない分量でも禁止なのですが、せいぜい一週間程度のフリーズドライですと、空港でチェックされないことが多いので、無事通過します。でも、今回は、別です。180日分ということになると、間違いなく、チェックされます。
今回、前もって、郵送しようと思っていたのですが、違反した輸送業者にも厳しい罰金が科せられるのが2003年度からの法律です。業者が受つけてくれないのです。肉類が入ったメインディッシュはアメリカ製を食べざるをえません。クックック・・・!
とにかく、肉類以外は、日本で揃え、肉類はアメリカで買うしかありませんね。食料計画を作ること自体が、たいへんそうです、です。

