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新・アパラチアン・トレイルの旅
PENTAXで綴る
アパラチアン・トレイル3500Kmの旅
アパラチアン・トレイルとは
アメリカ合衆国東部の南はアラバマ州 から北はカナダ、ラブラドール地方まで延々と横たわる アパラチア山脈。その山中、ジョージア州からメイン州まで14の州をまたぎ、3500キロに及ぶ超ロングトレイル。一挙に歩き きるには、5ヶ月から半年かかる。ヨ ーロッパ系アメリカ人の心の故郷とも 言われるこの山脈の、このロングトレ イルに挑戦することが、アメリカのバ ックパッカーの大きな夢となっている。
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2007年10月10日

ミューア&信越トレイルお知らせいっぱい

グレゴリーツアーJMT1.jpg
Thousand Island Lake & Banner Peak(3943m)

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The Gregory Backpackers

9月後半、今年2回目のジョン・ミューア・トレイルを歩いてきました。今回の目的は、バックパックメーカーとして、アメリカで人気No.1のグレゴリー社創立30周年にあたり、日本のA&F社とグレゴリー社主宰「加藤則芳と行くジョン・ミューア・トレイル・バックパッキング」という特別企画での仕事でした。何度も何度も書くようにジョン・ミューア・トレイルは、ぼくにとって聖地のような存在。何度訪れようが、まったく飽きることはなく、山を下るたびに、あの荘厳な風景と森の匂いが後ろ髪を引き、寂しさをとおりこし、悲しくもさえなるほどに、ぼくが最も愛するフィールドです。
今回の企画は、そんなぼくにとって、とても嬉しいものでした。じつは、グレゴリー社のウエイン社長は、若いころからシエラネバダを何度も歩いたバックパッカーだったのです。そして、副社長のデュオンは、かつてそのシエラネバダの山麓でスキーロッジを経営していました。ウエインの作ったバックパックを実践でモニターしていたのが、デュオンでした。つまり、シエラネバダのフィールドが数々のグレゴリーバックパックの源泉だったのです。ぼくにとってと同じように、シエラネバダは、グレゴリーバックパックの、まさに故郷ともいえるフィールドなのです。

そんな縁から、この企画が立てられ、今回、実現の運びとなりました。むろんA&Fからは、ウエインとは親友のような関係にある赤津孝夫社長以下3名が参加。アメリカ側からは社長、副社長、それに、CEO(最高経営責任者)のジョンとデザイナーのマークが参加。

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左からウエイン社長、赤津A&F社長、デュオン副社長=リーバイニングにて

それに、6つのメディア。これはA&Fのアイディアで、6つの雑誌を招待し、今年末から来年春にかけて、それぞれの雑誌が、このバックパッキングの旅を記事にすることになっています。ぼく自身も、来春早々に「コヨーテ」と「フィールドライフ」に記事を書くことになっています。ちなみに、それ以外は、「ターザン」「山と渓谷」「ペーパースカイ」「ビーパル」の4誌です。それぞれが、どのような記事になるか、今からとても楽しみです。みなさんも、どうぞ、期待していてください。
ちなみに、創立30周年を記念して、この春、A&Fの赤津社長の企画で『グレゴリーブック=バックパック大全』(ワールドフォトプレス)というムックが刊行されています(そのなかでぼくのインタビュー記事が10ページ載っています)。この本の内容は、当然、グレゴリーの宣伝も兼ねているのですが、じつにオーセンティックな雰囲気に充ち溢れ、70年代のバックパッキングブームを彷彿させるような作りで、その時代を知るぼくにとっては、とにかくワクワクしっぱなしの、魅力いっぱいの本です。

ジョン・ミューア・トレイルのついでに、もうひとつご報告です。この春から進めていた本の企画が、先月半ば、ようやく出版されました。タイトルは、『ジョン・ミューアー自然と共に歩いた人生』ジョゼフ・コーネル著(ネイチャーゲーム研究所発行)。ぼくは監修者としてかかわっています。本文で使われている美しい写真は、ぼくとジョン・ミューア・トレイルを何度も歩いている星野秀樹氏とぼく自身が撮影したものです。

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ジョゼフ・コーネル氏は、環境教育プログラム「シェアリングネイチャー」を立ち上げた人です。このプログラムは、子供ばかりではなくすべての世代の人々に、自然への感性を豊かにし、自然と一体とした人間になってもらうために考案された環境教育のメソッドです。このプログラムは、今では世界中で行なわれ、日本でも、「ネイチャーゲーム」として、大きな広がりを見せています。
じつは、コーネル氏がそのネイチャーシェアリングプログラムを作った基となる理念は、ジョン・ミューアだったのです。本物の自然人としてのミューアの自然感性をミューアの言葉として描いたこの本は、人と自然との本質的な関係を知る、最高の読み物のひとつです。コーネル氏が描くミューアのバックグラウンド、つまり評伝『森の聖者ー自然保護の父ジョン・ミューア』(山と渓谷社・小学館)を描いたぼくの本とともに、この本を読めば、より深くミューアという人間と、その社会的価値を読み解けることになるはずです。

さらに、お知らせです。
前回のアップでお知らせした「加藤則芳氏と歩く錦秋の信越トレイルスルーハイクツアー」とは別に、もうひとつ、信越トレイルの秋を歩くイヴェントが発表されました。The North Face 主催の信越トレイルハイキング企画で、11月2日(金)から4日(日)まで行なわれます。このイヴェントでも、ぼくがガイド役としてご一緒します。興味おありの方は、ぜひご参加ください。詳細は「ゴールドウイン」、または「NPO法人信越トレイルクラブ」のホームページをご覧ください。

投稿者 kato : 18:33
2007年08月02日

JMT2007!

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Upper Vidette Sunset

ようやく梅雨が明けました。うっとおしい梅雨にうんざりしていた方には申し訳ないことでしたが、ぼくは仲間たちとアメリカのシエラネバダに12日間ほど出かけておりました。恒例のジョン・ミューア・トレイルを
歩く仲間たちとの和気藹々ツアーです。ところが、和気藹々と書きはしたものの、今回も前回と同様に大きなトラブルが起こりました。昨年、仲間のひとりが肺水腫という高山病のなかでも危険度の高い症状に陥り、急遽、国立公園局のヘリで病院に運ばれるという、アクシデントでした。
ところが、今回も、じつは同じことが起こってしまったのです。しかも、同じ人物です。今回は、ジョン・ミューア・トレイル中で最も標高の高い後半のエリアで、標高4017mのフォーレスターパスを越え、アメリカ本土最高峰の4428メートルのマウント・ホイットニーに登高するというものです。しかも、アクセストレイルを含めて110キロの距離を7泊8日で歩くという、かなりの強行軍です。

そのためのトレーニングは積んできました。昨年肺水腫になった彼も富士山登高などでの高度順化トレをこなして再チャレンジしたのですが、結果は、むなしいものでした。
国立公園局のレンジャーには、当然ながらたしなめられました。同じ人物が2度も同じ症状になり、高額な費用がかかるヘリを2度も飛ばすということになったことに対して、彼のシエラでの高山への入域が禁止されました。当然のことです。しかも、アメリカ人ならば、税金を払っているので、無料で乗る権利があります。当然のことです。が、われわれ日本人は税金を払っていないにもかかわらず、彼らは、緊急事態のために2年連続ヘリを飛ばしてくれたのです。「昨年は、激しい雷雨のなか、パイロットは命がけでヘリと飛ばしたのですよ」と、レンジャー。たしかに、よくあれだけの荒天をおかしてやってきてくれたことに対して、ぼくたちは驚いたものでした。感謝しなければなりません。ぼくたちは、みなでお金を出し合ってドネーションをしました。わずかばかりですが、気持ちを表すことにしたのです。
今年のジョン・ミューア・トレイルは、昨年と打って違い、空は連日濃紺のシエラブルー。これはシエラネバダの常態です。さらには、20数回通っているぼくにとってははじめての、ほとんど蚊なしの快適な朝晩。本来、必ず蚊よけネットが必要なこのエリアなのです。
シエラネバダは、どれほど気温が高く、かんかん照りの直射日光の下を歩くにもかかわらず、乾燥しているため、汗をかくことはほとんどありません。
毎回、成田に降り立ったときに感ずる、あのムンムンとした湿気からくるなんともいえない匂いが、まさに日本のこの季節の証です。
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Upper Vidette Sunset2

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Kearsarge Lake

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Kearsarge Lake Morning

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Bullfrog Lake

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to Forester Pass

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Forester Pass(4017m)

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We made it to the highest summit(Mt.Whitney4428m) of the USA except Alaska!

さて、ご報告です。昨日(8月1日)、前にご報告させていただいた福音館発行の子供向け雑誌「たくさんのふしぎ」9月号が発刊されました。タイトルは「大きな 巨きな木」。笹沼真人さんにイラストはお願いしましたが、丸ごと一冊ぼくの文と写真です。ぜひ、お読みいただければ、嬉しいです。ちなみに、この雑誌は小学生中高学年向けの内容です。
たくさんのふしぎ9月号「大きな木巨きな木」表紙ブログ用.jpg

これも、以前、ご報告しましたが、先に書いたジョン・ミューア・トレイル仲間ツアーの昨年版を、小学館ビーパル9月号から4回連続の短期連載が始まります。9月号は今月10日発売です。お気軽にお読みください。バックパッキングの喜怒哀楽ドラマの合間合間に、ぼくのシエラネバダへの思いやぼくのアウトドア履歴などがわかるような仕組みになっています。
JR東日本の「トランヴェール」8月号も出ました。特集は「国立公園」。東日本の新幹線に乗る機会のある方は、読んでみてくださいね。

最後に、お詫びです。ブログと言えばトラックバックと読者のコメントがその魅力であり、特徴です。ところが、このような仕事をしていると、心痛むようなありもしない誹謗中傷が必ず寄せられるものです。ということで、コメントははじめからはずしていました。トラックバックは可能にしていましたが、1年ほど前から、さまざま業者がブログ読者を当て込んで、物売りや情報提供の場として利用するようになってきました。そのうちに、圧倒的多数がそのような場として利用されるようになってしまいました。あげく、真面目に、好意的にトラックバックしようとする方々が、腰をひいてしまうような状況になりました。
それに追い討ちをかけるように、管理会社から、トラックバックに多数のスパムがもぐりこんでいる旨の通知がありました。
書き手、読者相互のコミュニケーションが魅力のブログなのですが、このような状況をなくすために、トラックバックシステムもはずすことになりました。結局は一方通行のメディアになってしまいましたが、どうか、事情をお汲みおきくださって、これからも、飽きずに立ち寄ってください(とはいえ、なかなかリニューアルしない怠け者のわたしです)。

Nabe at the summit of Whitney.jpg

投稿者 kato : 15:06
2006年10月01日

ホースバック・ライディング

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オーエンスバレーを出発するパックトレイン。ジョン・ミューア・トレイル7泊8日の馬の旅がスタート

毎年のように、ホースバックライディングという贅沢な方法でジョン・ミューア・トレイル全行程を踏破するという旅を続けてきました。山専門の旅行会社(アルパインツアー)からのオファーで、ぼくが講師役として同行するというツアーです。今年で6年目で最後。このトレイルは自らの足で歩くだけではなく、馬で歩くことも認められています。カウボーイの国、アメリカならではの方法です。アメリカの国立公園のバックカントリーはペットを禁じています。にもかかわらず、なぜ馬はオーケーなんだという意見もさすがに多く、厳しい議論が常になされています。どうやら、近々、馬の乗り入れを禁じようという方向が具体化されるようです。確かに馬は道草(路傍の草花)を食います。乗り手が馬をコントロールできなければ、馬はトレイルをはずします。トレイル上で馬糞をし、滝のようなおしっこをします。馬の気性を考えて、バックパッカーとすれ違うときは、馬優先です。バックパッカーからのクレームも多いようです。バックパッカーのひとりとして、ぼくも、馬乗り入れ禁止は、やむをえないかな、と思っています。自然保護のシンボルとしてこのトレイルに魅せられ、紹介した経緯のあるぼくとしての疑問符です。

それでも、一方では、このすばらし世界を、自然のなんたるかを知っているにもかかわらず、重いバックパックを背負って歩くことのできないかたがたにも感動してもらいたいという気持ちがあります。山小屋がある日本とはちがい、ここを歩く人はすべて、テント、寝袋、食料など20キロを越える重量を自ら背負わなければならないのです。ぼく自身は、じつは、それこそがここの魅力だと感じ、山での生活道具一式を自ら背負って、どっぷりと自然に浸かることの感動を伝えたいと思っています。にもかかわらず、それができる日本人はごく少数です。
このホースバックライディングに同行させてもらい、単なる平地を歩くのではなく、この厳しい山岳トレイルを馬で歩く快感と魅力をもふくめ、さまざまなことを学びました。参加された方々の喜びや感動の姿を見ることが、ぼくのなによりものやりがいです。6回すべてに参加された方は、じつは驚くことに合計700キロ近くもの距離を、馬で歩いたことになります。ジョン・ミューア・トレイルは340キロです。しかし、6回に分けてセクションを歩いたということは、それぞれのアプローチトレイルがあり、それをも含めた距離です。ジョン・ミューア・トレイルに入るまでに、まる2日かかるアプローチもありました。700キロという距離は東京から姫路ほどまででしょうか。その距離をすべて、厳しい山岳トレイルだけで歩いたということになります。日本でもむろん乗馬はできます。しかし、これだけ厳しい山岳トレイルを歩かせるということは、まずないでしょう。
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全行程340キロで最も厳しいフォーレスター・パス(4023m)の壁を越える。下に見える湖までの落差は700メートル。緊張の連続。馬もさすがにびびる

ジョン・ミューア・トレイルは自然保護目的を理想の形で具現化した、世界で最も優れたトレイルとして、ぼくがテレビ、書籍などで紹介してから、すでに7年ほどもたっています。それまで、まったくと言っていいほどに日本人に知られていなかったこのトレイルを、それ以後、毎年、何人もの日本人が歩き、全行程を踏破しています。じつは、ぼくがこのトレイルを拙著で紹介した理由は、その理想性、その厳しさによるものです。日本は登山王国です。世界に誇れる美しい山々が連なり、その山々を目指す人々を導く登山道が縦横に網羅されています。山を自然を愛する人のほとんどは、意識の高い人です。しかし、中にはそうとは思えない人も、当然のことながらいます。しかも、入山制限がない日本では、富士山に代表されるように、シーズンには自然を愛しているとは思えない人々も含めた登山者が殺到し、行列を作るような山もあります。自然保護の重要性が人々の意識のなかに根付いていきたこの時代です、さすがにかつてのように、ゴミや投げ捨てタバコが散乱しているような登山道は、ほとんど見られなくなりました。すばらしいことです。それでも、やはり問題は、たくさんあります。
シエラネバダのジョン・ミューア・トレイルには、厳しいレギュレーションが課せられています。無論、人数制限もあります。日本の登山道は、歩く人のマナーに依存しています。人々のモラルが高ければ、それに越したことはありません。しかし、すべてに言えることは、必ず、社会にはモラルの低い人がいるということです。自然に対するモラルは、10人よくても、ひとり悪ければ、取り返しのつかないことになりかねません。自然はあっという間に壊されても、復元するには何十年、何百年かかるものです。あるいは、回復不可能になる場合もあります。
厳しい規制というと、管理されたがんじがらめの、という印象があります。しかし、ジョン・ミューア・トレイルのレギュレーションは厳しくても、自然のなんたるかを知る人々にとっては、あたりまえのことです。みな、おおらかに、喜びに満ちた表情で歩いています。レギュレーションは、自然に接する人々の最低限のモラルをきちっとうたったものです。日本の登山道にはない、さまざまな具体的な約束事があります。自然を愛し、自然に親しんでいる日本人ではあっても、こういったレギュレーションをしっかりと知った上で歩かなければ、場合によってはルールを犯すこともありえます。同じ日本人として、それはどうしても避けてもらいたかったのです。
この景観も含めた、自然保護理念も含めたすばらしい世界を日本人にも知ってもらいたい。でも、誰にでも入ってもらいたくはない。これが、ぼくが拙著『ジョン・ミューア・トレイルを行く』を書いた、目的です。
それ以降、毎年行くジョン・ミューア・トレイルで(アパラチアン・トレイルを歩いていた昨年以外)、必ずといっていいほどに日本人に会います。そのことごとく(少なくとも、ぼくが会った日本人は)が、ぼくの本を読んでくださっています。とても、うれしいことです。著者冥利に尽きます。

今年のホースバックライディングは、ジョン・ミューア・トレイルの最後、80キロほどの距離を歩きました。今回は、クライマックスのマウント・ホイットニー登頂もしました。馬は禁じられていますので、山麓から徒歩で、丸一日かけての登頂でした。
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ホイットニー山頂(4418m)から北方を望む。この遥か340キロの彼方にヨセミテがある

ジョン・ミューア・トレイルの南部は、かなり乾燥し、砂漠化されたエリアです。ここの魅力はいろいろです。なかでもぼくが好きなのは、樹木です。この地帯にしかないフォックステール・パインという松の木々がその代表です。敢えて、環境の厳しい場所を選んで森を形成する樹木です。北部のほうでは、ジュニパー(ネズの木)という、同じような環境に生息する樹木がぼくを惹きつけます。ぼくがジョン・ミューア・トレイルを愛する要因のかなりの部分が、これら樹木類なのです。
かつて、世界一の巨木をテーマにNHKでドキュメンタリー番組を作ったこともあります。来年か再来年には、「たくさんの不思議」という福音館の子供向けの雑誌(一冊1テーマ)で「巨木の不思議」を執筆することにもなっています。
今回は、そのフォックステール・パインを含めた写真をお楽しみください。野生というものの命の美しさをご堪能ください。
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フォックステール・パインの森。砂漠状の厳しい環境ゆえ、まばらに立つ。老樹は生き抜く知恵として、自らの一部を枯らす。その90パーセントを枯らしてもなお生きる木々

枯れた姿のまま数千年立つフォックステール・パイン.jpg
1000年、2000年を生き、やがて枯れ、枯れたこの姿で数千年立つ

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死して、なお豪快に美しく

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雄叫びが聞こえる

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そして、やおら倒れ、さらに数千年横たわる

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なまめかしくむき出しの肌をさらした枯れ木が奔放に、天に向かいくねり叫ぶようなその姿は、まるで岡本太郎ミュージアム

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ホイットニーの灰白色の岩肌が、日の出の一瞬オレンジに輝く。麓の町ローンパイン方面から望む

投稿者 kato : 13:21
2006年07月31日

JMTはぼくのホームグラウンド

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2年ぶりのジョン・ミューア・トレイルでした。もう何度めなのか、何百泊めのキャンプなのだかわからなくなってきました。何度訪れても、感動が薄れるということはないのです。それほどに、JMTはぼくの心の大半を占めています。その荘厳さ、おおらかさ、優しさ、美しさ。本物の自然というものの寸分の隙すらない完璧さ。そして、人間との見事なばかりの調和感。
地球という、自然と人との調和が求められる惑星にあって、そのバランスが崩れてしまった今、人間が介入し守るという役割を担うべき原生自然エリアにおいて、おそらく最も理想に近い姿が、シエラネバダであり、その中枢部に作られたJMTなのだと、ぼくは信じています。

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一泊めのキャンプは、Golden Trout Lake の畔

自然の大きさや迫力を持つ自然だけならば、世界中にまだまだたくさんあるでしょう。でも、人が自然と理想的な形でかかわるというテーゼを実現したフィールドだという点において、ぼくはJMTに、いつまでもどこまでもあくまでもこだわっているのです。JMTを、おおよそ理想から程遠い他のフィールドを理想へと導くための呼び水とすることが、ぼくの大きな目的のひとつなのです。
そのフィールドを気心の知れた仲間たちと6泊7日で歩いてきました。”The Range of Light”とジョン・ミューアが表現したハイシエラの、その輝きが最も際立った山懐が、今回のルートでした。
かつて、いつもひとりで歩き、シミひとつない紺碧の、シエランブルーとぼくが呼ぶ空の下、岩と木と花と水と雪との造形が完璧なまでに調和された自然美をのんびりとおおらかに、心ゆくまで浸り染まり泳ぎ、溺れ尽くすことが、ぼくの歩きかたでした。
そうして、峠に立ち、目の前に広がる荘厳なばかりの景観を眺めながら、その自然美の極まりの景観にたったひとりいる自分を意識したとき、身震いしエクスタシーを得るのです。
そういった歩きかたをさらに続けながらも、近年は、その感動を人とシェアーすることの喜びに、より大きな感動を得るようになりました。
今回は、プライベートな旅ではあったのですが、Bepalの取材も兼ねた旅でもありました。仲間でもある山岳写真家の星野秀樹氏も同行し、彼がものにした秀逸な写真とともに来年の夏前ごろに掲載される予定になっています。どうぞ、お楽しみに。
と、ここまで書いているのに、ハイシエラの風景を来年までお預けというわけにはいかないでしょう。そこで、ぼく自身が撮った何枚かの写真をここでご紹介しましょう。ただ残念だったのは、シミひとつない紺碧の空と、書きましたが、今回は、あまり天気に恵まれず、毎日が雷雨との追いかけっこだったことでした。

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一日の終わり、極上な時間

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樹齢千年をゆうに越えるJuniper(西洋ネズ)

今年は残雪が多く、このような渡渉は10回を超えた.jpg
今年は残雪が多く、このような渡渉を何度も強いられた

標高3300メートル。雪解け直下の水。ここは、冷たかった!.jpg
標高3300メートル。雪解け直下の流れ。冷たかった!!

at MaclClure Meadow.これぞ、シエラカラー。
At MacClure Meadow。これぞ、John Muir Trail!

2時間後.jpg
2時間後

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Sapphire Lake

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Wanda Lake はまだ、雪と氷の世界

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標高3600あたりの雪渓歩き

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雷鳴とどろくAmphitheater(円形劇場)

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Shooting Star(流れ星)という名の水辺の花。JMTのもうひとつの魅力は、花のトレイルでもあること。でも、今年は、光がなく、どの写真も花が暗い

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Muir Pass で愛嬌ふりまくマーモット君

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Bishop pass(3640m) 直下。今年は最後まで、こんな天気だった

投稿者 kato : 19:06
2005年01月21日

ジョン・ミューア・トレイルはぼくの聖地

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Indian Paintbrush

自然保護の父、国立公園の父と謳われ、アメリカの自然を救った偉人として知られるジョン・ミューアの評伝『森の聖者』(山と渓谷社刊)を著してから、もう10年もたちました。
ちょっと大げさな言い方ですが、それ以降、ぼくの人生は変わってしまいました。ミューアを調べるため、足しげくアメリカに通い、ミューアが愛し放浪したシエラネバダと、彼がベースとしたヨセミテの山々を歩くうちに、ぼくはすっかりその虜になってしまったのです。そして、いまや、ヨセミテ国立公園シエラネバダの山々はぼくのホームグラウンドになりました。
そのシエラネバダにジョン・ミューアの名を冠したトレイルがあります。それがジョン・ミューア・トレイル。こここそ、ぼくの聖地なのです。毎年毎年、何度も訪れ歩き、去るたびに後ろ髪を曳かれ、帰国するや、すぐに心は壮大荘厳なそのフィールドに飛ぶのです。

アパラチアン・トレイル挑戦を機会に立ち上げたこのウェブサイトで、むろんそのすばらしさを表現し、みなさまにお伝えしようと意気込んでいたのですが、この3月にはアパラチアン・トレイル踏破を目指し渡米するため、今はあたふたとその準備に追われ、じっくりと書いている時間がありません。
そこで、ここでは、昨年夏に「ヤマケイJOY」2004年秋号(山と渓谷社)に書いたエッセーを編集部のご了承を得て、掲載することにしました。さまざまな雑誌や書籍でずいぶんと書き綴ったジョン・ミューア・トレイルに関するエッセーのなかでも最新のものです。その夏、気のおけない仲間たちと歩いたトレイルのドキュメントです。
雑誌では同行した星野秀樹カメラマンが撮った美しい写真とともに掲載されています。本物をごらんになりたい方は、山と渓谷社にお問い合わせください。

また、ご興味のある方は、1995年にジョン・ミューア・トレイル340キロを一挙踏破したときの記録をまとめた拙著『ジョン・ミューア・トレイルを行くーバックパッキング340キロ』(平凡社)をぜひお読みください。
なお、この作品は、1999年JTB紀行文学大賞の受賞作です。
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Thousand Island Lake & Banner Peak

(以下、ヤマケイJOY2004年秋号より)
 カリフォルニア州を南北に貫く巨大山脈シエラネバダの山脈ほぼ中央部で、山々は急激に盛り上がり、4000メートルを越える山並みがハイアルパインの秀麗な風景を創りだす。花崗岩の灰白色の山稜と高山性草原、咲き乱れる高山植物群、無数に点在する山上湖、それら縦横につなぐクリーク。
 シエラネバダの美しさに魅せられたハイカーたちが、誇りを持ってこの地をハイシエラと呼んだ。そして、ぼくもまたハイシエラの虜となって、この地に通いつづける。
 ハイシエラを貫くロングトレイルがある。ヨセミテ渓谷とアメリカ本土最高峰マウント・ホイットニーをつなぐ、全長340キロのジョン・ミューア・トレイルだ。シエラクラブの創設者で、初代会長としても知られるジョン・ミューアは、1880年代にヨセミテ渓谷に住み着き、シエラネバダの山々を何年にもわたって放浪した。ヨセミテをはじめとした国立公園の理念を築いたことから、国立公園の父、自然保護の父と称えられた、そのミューアの業績を記念して、彼の愛するハイシエラに作られたのがジョン・ミューア・トレイルだった。
 ミューアの心と思想を具現化したトレイルは、景観はもとより、自然保護の観点から見て最も理想的なトレイルとして知られる。ゆえに、自然を愛し、自然保護に心を砕くハイカーにとって、ジョン・ミューア・トレイルを歩くことは、聖地巡礼でもある。ましてや、340キロ全行程を踏破することは、彼らにとっての憧れであり、究極の目的でもある。ミューアを研究し、その評伝を著したぼくにとっての夢も、また同じだった。1995年に、その夢は果たした。
 以後、ジョン・ミューア・トレイルはぼくのホームグラウンドとなった。そのトレイルをいつもひとりで歩き、ひとりで歩く楽しさを堪能してきたぼくだったが、年齢を重ねるにつれ、独占することの快感よりも、この宝を人に見てもらいたい、紹介したいという気持ちが大きくなっていった。自分のフィールドを自慢したいとい気持ちもあった。
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Gladys Lake

 いつのころからか、ぼくの思いに共鳴してくれる人々が、ぼくの周辺に集まるようになった。この夏、その仲間8人を連れてジョン・ミューア・トレイルに向かった。日本の山を供に歩く気心の知れた楽しいグループだ。コースは、ヨセミテ国立公園のトゥオルミー・メドウからからレッズ・メドウまでの54キロ。トレイル中のハイライトのひとつだ。体力保持と自然堪能の目的から、余裕を持って5泊6日の行程とした。
 日本の山はそれなりに歩いている仲間たちなのだが、数人を除き、最大の不安はバックパックの重さだった。テント、シュラフ、食料、さらにクマから食料を守るためのフード・キャニスターなど、20キロ近い荷物をそれぞれが背負って歩くことが、この壮大な景観を体験するための必須条件になる。
 初日、美しいライエル・クリークが蛇行する開豁な渓谷を一日かけて歩いた。平坦なトレイルなのだが、これがけっこう長くきつい。みな長期休暇をとるため、前日まで仕事に追われていた。しかも16時間の時差ボケに苦しみ、疲労困憊しながら歩いた。翌日のドノヒュー・パス(3368メートル)越えでは、女性数人が高山病の症状に苦しんだ。元気な男性陣が分担して、テントやキャニスターなどを持ち、荷物を軽くしてあげる。
 メンバーは11人。じつは、同じ仲間のタイチがガールフレンドのチャコとともにトゥオルミーで合流したのだ。タイチはぼくの本を読み、ジョン・ミューア・トレイル全行程を歩く夢を持ち、数年前から計画をたてていた。その目的を達するために、彼は会社をやめた。それならばせっかくだからと、ぼくらの日程とあわせることにした。準備のために先に渡米し、3日前にヨセミテ渓谷をスタートした彼らとの感激の体面がトゥオルミーであった。ここからレッズ・メドウまで、ずっと彼らと一緒だ。チャコはそこでタイチと別れ、ぼくらとともにトレイル・アウトする。
この行程での最大のハイライトは、標高3000メートルのサウザンド・アイランド・レイクだ。4000mに近い標高を持つバーナル・ピークが、計算され尽くされたかのようなスタイリッシュな姿で、湖に映える。訪れる者だれもが、この珠玉の景観を表現する言葉を見つけられない。歩くほどに刻々と変わっていく風景展開。荷の重さに耐えながらも、目の前に広がる舞台美術が変わるたび、その都度感嘆の声をあげ、目が輝く。その彼らも、サウザンド・アイランド・レイクが視界に入ったとたん、無口になった。
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at Garnet Lake

これがぼくの最もお気に入りのサイトなのだと、この風景をみんなに見せてやりたかったのさと、得意満面のぼくの笑顔を見て、みな我に返り、日焼けした顔に喜びが溢れ、歓声が上がった。
 この景観を満喫するために、そして休養も兼ね、ここで2泊した。休暇日は湖の散策と釣りを楽しむ贅沢至極の一日。フライロッドを持参したぼくとタイチが11人分のトラウトを釣った。湖から流れ出る川の狭隘な谷に、ぼくのシークレットポイントがある。釣った魚は38センチのレインボー2尾、37センチ1尾を含めたビッグサイズばかり。その晩は、フリーズドライ一辺倒の食事にプラスし、焚き火で焼いた魚が食卓を賑わした。満天に溢れかえる星屑も、ぼくらの喜びを祝福する。
 盛りだくさんのハイキングだった。大きなバックパック背負って歩くみなの姿がシエラネバダの風景に溶け込み、実に美しく格好よかった。初日、2日目と重さと高山病に苦しみ、一歩一歩が辛かった女性たちも、後半になると慣れ、リズムをつかみ、かなりきつい上り下りも、さほど遅れをとらずに付いてくるほどに、逞しくなった。
 ハイシエラには、基本的に人工施設はない。ハイカーは、自らの寝床と食料を背負い、自由気ままに、お気に入りの場所にテントを張ることができる。ウイルダネスの只中で、だれにも遠慮することなく、自然に溶け込むことができる。ただそれは、厳しいルールと管理体制があり、利用する人々の成熟したアウトドア感覚と自然保護意識の高さがあって、成り立つ。残念ながら、日本でこのようなキャンプを許せば、おそらくひどい状態になる。アメリカのすごさだ。あの傲慢でエゴ丸出しのアメリカと裏腹のアメリカが、ここにある。
 レッズ・メドウでタイチを送り出した。余りにも楽しかった仲間たちとの充実の時間。その充実度だけ、ここから20日間をかけてウイルダネスをただひとり歩くタイチの、孤独との戦いが待っている。チャコは泣いた。
 全行程踏破という大きな夢に向かうタイチのバックパック背負う勇姿に、10年前のぼくの姿が重なった。がんばれ、タイチ。心から彼の成功を祈った。 

☆ひとりジョン・ミューア・トレイル全行程踏破を目指し、歩き続けたタイチは、無事マウント・ホイットニーに到達し、夢を果たしました。なお、孤独のひとり歩きの途上、チャコへのプロポーズを決心した彼は、下山後、その夢も果たしました。
ふたりはめでたく結婚し、今、カナダに住んでいます。

投稿者 kato : 13:38
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