コロラド・ハイ!!
デンバー空港に降り立つと、土砂降りの雨。肌をさすほどの冷たい風に思わず身を縮め、はじめてのコロラドがなんとしたお出迎えなのだと、苦笑いしたほどでした。8月15日。真夏のこの時期、半袖、半ズボンで旅をすることがあたりまえのぼくには予想外の天気でした。その無防備さに自らをあざ笑ってもしまいました。気温摂氏7度。
シアトルからデンバーに向かうジェットがロッキー山脈上空を飛行しているころ、激しい揺れの連続。おそらく、天気は悪いだろうことは予想していたのですが、これほど気温が低いとは思ってもみませんでした。コロラド州立大学の大学院に研究留学している友人のマー君に迎えられ、彼の車でボールダーへと向かいます。すると、なんと、そこは気温4度。翌日、ロッキーマウンテン国立公園を訪れ山々を探訪する予定だったぼくたちは、まず間違いなく、山は雪だろうと断言。本来ならば、ロッキー山脈の麓にあるボールダーからロッキーの山々が眺望できるのですが、この天気では四方すべて視界ゼロ。

8月16日のロッキーマウンテン国立公園。気温0度!
マー君の断言には説得力があります。あたりまえ。彼は気象学博士で、気象予報士でもあるのです。その研究でコロラドに来ています。
翌朝、ロッキーマウンテン国立公園に向かいます。山が見えてきました。ハハハ、ハハハ、案の定、山は真っ白。8月半ばにもかかわらず、車窓から見える風景は、冬景色。これはヤバイ!山は冬。冬山装備は持ってきてはいません。それどころか、この様子では、国立公園に入るゲート自体がクローズになっている可能性もあります。
今回は、コロラド州観光局からの依頼によるものです。場所は自由、季節も自由。恵まれた条件のなか、ぼくが選んだのは夏のロッキーマウンテン国立公園でした。北アメリカ大陸を南北に貫くロッキー山脈がコロラド州西部全域を占めます。ここは大陸分水嶺。東はすべてミシシッピー流域でメキシコ湾へと流れこみ、西はコロラド流域で太平洋へ。大陸を東西真っ二つに分ける4000メートル級の山々が連なります。じつは、コロラド州はロッキー山脈が最も高く盛り上がったところです。「フォーティナーズ」という呼び名があります。14000フィート(4267メートル)以上の山々をこう表するのですが、この州だけでもフォーティナーズがなんと54座もあるのです。カナダには一座もなく、コロラド以外のアメリカ本土全体でも数えるほどしかありません。地元の人々の間では、フォーティナーズをすべて制覇することが、日本の100名山制覇のような意味があります。
ロッキーマウンテン国立公園内にはフォーティナーズは一座しかないのですが、風光明媚かつ動物・植物相豊かなこの地をとして多くのアメリカ人をひきつけています。長年国立公園自体がぼくのテーマということもあって、いつかは訪れようと以前から考えていたところでした。
と、これ見よがしの、袖を引くような書き出しでしたが、ここからのストーリーは、じつはフリーマガジン「フィールドライフ」の来春号に書きます。
経過的には、結局、国立公園の標高の低いエリア(とは言っても2600メートルほど)には入れ、ヴィジターセンターやパーミットオフィスには立ち寄れたものの、公園を横断するトレイルリッジ・ロードは閉鎖。当然です。このハイウエイの最標高地点は3713メートル。富士山よりちょっと低いくらいなのです。そのハイアルパインのツンドラのフィールドをワインディングしながらドライブし、ロッキー山脈を越えるという、この国立公園のハイライトが、このハイウエイ。まさにハイウエイ。ぼくの歩く予定のコースも、このハイウエイを利用しなければトレイルヘッドまでたどり着けません。
そこでレンジャーにも相談し、予定を変更し、コロラド南部にあるグレイト・サンド・デューン国立公園という山岳砂丘が見所の国立公園に向かうことにしました。この国立公園は1932年に国立記念物として指定され、2004年に国立公園に昇格したばかり。ロッキー山脈とコロラドプラトー(大平原)との境を南北に伸びるハイウエイをただひたすら南下。ニューメキシコ州にほど近いエリアまでの約8時間のドライブ。そしてたどり着いた標高2500メートルの稀少な造影。標高4000メートルの山々の麓に吹き寄せられ、積もり積もった巨大な砂の山。風と水が形を常に変え、光が刻々と色を変えていきます。砂の蠢き、そして静寂。

グレイト・サンド・デューン国立公園ゲート

風が作り、光が魅せる

曲線が同化する砂と少女
砂が生きている! 砂丘の対岸にあるキャンプサイトでテントを張り、大砂丘を眺めつつそれまで味わったことのない不思議な時間のなか、一晩を過ごしました。
ぼく自身、今回のコロラド訪問の話があるまで、この国立公園の存在を知りませんでした。観光局からお話があり、写真家・小池清通さんの紹介がありました。デンバーに住む小池さんは、この4月、長年通いつめたグレイト・サンド・デューンの写真集を出版されました。自然への慈しみの心をこめ、魂を注ぎ大砂丘の写真を撮り続けました。タイトルは「Whispers From The Sands 大砂丘の声」。
国立公園のヴィジターセンターに書籍コーナーがあります。そこにさまざまな写真集。なかで最も光彩を放っていたのが、小池さんの写真集でした。レンジャーも言いました。一番売れているのが、ミスター・コイケの写真集だよ、と。
たった一日滞在しただけのぼくの表現では、あまりにもはかなすぎます。小池さんのウエブサイトをご覧ください。
翌日、アスペン経由で12時間かけてロッキーマウンテン国立公園に帰ると、天気は一転して快晴。そして、一週間、ロッキーの山に篭り歩き、ムース、エルク、ビッグホーンたちとのラッキーな出逢いなど、心とろけるような日々を送りました。そのストーリーは、来春の「フィールドライフ」でお読みください。ここでは、何枚かの写真をお楽しみください。

巨大エルクのこの姿勢に、一瞬びびる

さらにぬぬっとご登場、巨大ムース。距離は10メートル。これもまたラッキーなご対面

そしてビッグホーン。本来、遥か彼方の稜線上にいる孤高の動物。が、「ちょっと失礼」
コロラドから帰国して、ほぼ一ヶ月。未だにハイの状態にあります。コロラドはさまざまな意味で、どうやら、もうひとつのぼくの宝物になりそうです。
*協力:コロラド州観光局
信越トレイル、ついに全線開通!!


信越トレイルの多くは新潟県・長野県の稜線を歩く。右足は長野、左足は新潟
日本の理想的トレイルとして、2000年よりわたしもかかわってきた信越トレイルが、9月13日に全線開通しました。2005年に斑尾から牧峠までの50キロほどをオープンしていたのですが、残りの約30キロ、牧峠から天水山までの区間は人跡稀な奥深いブナの森ゆえに整備が難航していました。NPO法人信越トレイルクラブの主導により、数多のヴォランティアの方々の熱意と努力のお陰で、今年になりようやく全コースが繋がることになりました。
信越トレイルはさまざまな点でかつての日本にはなかった画期的なトレイルです。長野県、新潟県の県境に位置する関田山脈のその脊梁につけられたトレイルです。ふたつの県、9つの市町村にまたがっています。信越トレイルでは、トレイル区域にかかわるそれぞれの自治体が協力関係を結んでいます。日本中いたるところで自治体ごとに地元のため、住民のためと自然散策路が作られています。自治体の線引きは人間が人間のために作った線引きです。自然のためではありません。関田山脈という9つの自治体共通の自然財産があるのだから、人間の線引きではなく、関田山脈という山脈をひとつの生態系と考えた一本のトレイルを共同で作ろう。それがわたしたちの理念のひとつでした。日本では、意外と自治体どうしの横の連携がないものなのです。今回、信越トレイルを共通項とした連携を考えたのです。

静寂の森に木霊が漂う
さらには、トレイルの約60パーセントが国有林ということもあり、地元の森林管理署の全面的な協力を得ました。新潟県側は上越森林管理署、長野県側は北信森林管理署です。そのふたつの管理署と覚書を交わし、トレイル整備にあたっては、それぞれの管理署の方々がわれわれスタッフとヴォランティアの方々と一緒に調査、整備に入ってくれました。国の機関とこのような関係を正式に結ぶこともほとんどなかったことです。国、県、自治体が民間と相俟って整備しました。しかも主導は民間なのです。自治体が作り管理するトレイルは、その多くが予算的な面などから放置されているのが現状です。
日本中、いたるところに自治体などが作った散策路が切り開かれています。しかし、その多くがほとんど利用されないがままに朽ちています。なぜでしょうか?作っただけで、整備をするシステムがないからなのです。トレイルを作るということは、だれがどのように維持管理するかという、しっかりとしたシステムがなければいけないのです。これほど湿潤な国です。作りました。ハイ、おしまいです、では、3年もすれば草木が繁茂し、トレイルは消滅してしまいます。それは自然への虫食いでしかありません。これがわたしたちの大きな理念のひとつでした。信越トレイルは、そのシステムを構築しました。トレイルを切り開いたからには、その自然環境を守る義務があります。そこで環境調査システムをつくりました。しかも、NPOでお金がないため、これもヴォランティアの方々にお願いしています。そして、その環境調査を踏まえた検討委員会も設置しています。
さらには、主に子供たちへの自然、あるいは歴史教育の場として活用してもらうこと。これも大きな理念のひとつです。とりわけ地元の子供たちへの働きかけがたいせつです。地方の疲弊。これが日本の最大の課題のひとつです。いかに地元の子供たちが地元を愛するか。そのためには、子供たちばかりではなく、大人の方々にも故郷の財産を見直してもらい、愛着をもってもらい、誇りに思ってもらうこともたいせつです。それだけのものにしあげていきたい。これがわたしたちの願いです。
もうひとつ画期的な試みがあります。このトレイル全行程を歩くには4日から6日はかかります。泊まりながら歩く必要があります。むろん、一度で歩ききらなくても、何度にもわけて歩けばいいのですが、それにしても、ここには公共交通手段がありません。そこで、地元の宿泊業者と連携し、峠までお客さんを送迎するシステムを進めています。前もって予約しておけば、峠までハイカーを宿泊業者が送迎するというサービスです。すでにいくつかの民宿やホテルなどが始めていますが、まだ完全なシステムができているわけではありません。これを活用すれば4泊、あるいは5泊かけ、麓の宿に泊まりながら全行程を歩くことができるわけです。すでに、こういう方法で全行程踏破された方が何人もおられます。
わたしの個人的な、あるいはわたしのまわりの仲間たち、さらには若い方々の希望は、キャンプ施設です。これも必要です。まだ、調査も整備もされていません。いずれ、調査するつもりです。キャンプサイトができるということは、とりわけ管理体制の充実が望まれます。そのため、その体制作りが優先になるため、慎重にことを進めているところです。宿に泊まりながら歩く人。テントを持ちキャンプしながら歩く人。それぞれ、違うタイプの人です。いずれは、どちらの需要にも対応できるトレイルにしたいと考えています。
14日、15日と、新たに開通した30キロほどを100人ほどの参加者といっしょに歩きました。ほぼ全域、ブナの森です。天気はあまりよくはなかったのですが、幸い雨は降りませんでした。ブナの森は霧に包まれ、灰白色の聖者のような哲人のような巨木ブナたちが静かに幻想的な姿でわたしたちを迎えてくれました。ブナの森は聖者の森です。ブナの森は賢者の森です。ブナの森を歩けばだれしも、その神秘の木霊に心打たれるはずです。

森の聖人

森の哲人
しかし、歩いて思いました。落ち葉の積もり積もったふかふかのクッションのようなトレイルを維持管理することの大切さを。人が入りすぎることにより、このクッションは失われ、固い土が露出し、すなわちブナの森特有の保水力が失われます。その管理と、ひとりでも多くの人々にこのすばらしい自然を見てもらい、触れてもらい、感じてもらい、喜んでもらい、自然を守ることの意味を知ってもらうことの大切さとを。そのバランスのとりかた。これがわたしたちNPO信越トレイルクラブに課せられた最大の責務なのです。
驚くべき数字を事務局から聞かされました。2004年にNPO法人信越トレイルクラブが設立されて以来、今日まで、トレイル作りから環境調査などもふくむあらゆる仕事を助けてくださったヴォランティアの数が
なんと、2000人!!!
ありがとうございます。
信越トレイルは、そういうトレイルなのです。
必要なら、ガイド組織もしっかりしています。現在、25名ほどの公認ガイドがおります。
どうぞ、みなさん、一度、歩いてみてください。
ご興味おありの方は、信越トレイルクラブ ℡0269-69-2888にお問い合わせください。

この幻の池を守ることが、わたしたちのこれからの責務
Alternative YOSEMITEーヨセミテ国立公園、もうひとつの顔

ミスト・トレイルに架かる虹=ヴァーナルフォール付近で

暗雲漂うヨセミテフォール・トレイルより。ハーフドームが雷雨に霞む
Time flies!
ついて行けない時の速さ。恐怖をすら感じます。ほぼ3ヶ月ぶりの更新です。
この夏もまた、45日間ほどアメリカに行っていました。そのことも、更新が滞った理由です。今年は、ヨセミテに約一ヶ月、コロラドに約2週間。どちらも仕事なんだか遊びなんだかわからないような旅でした。これもまた、仕事柄、いつものような旅の感覚です。今回はヨセミテ、次回はコロラドのお話をアップします。ただどちらも、来春あたり、雑誌に書きますので、ここではほんのさわり程度。写真を見ていただきたくてアップしました。さわりとはいえ、例年とは違う異常なヨセミテのお話です。
山火事の多いカリフォルニアですが、この夏は例年を上回る異常さで山火事が続発しました。ぼくがヨセミテ国立公園を訪れているとき、州全体で14の山火事があり、ヨセミテ国立公園だけでも4つの山火事が発生していました。今回のヨセミテはふたつの仕事。ひとつはアルパインツアーの講師役。もうひとつはビーパル取材。ツアーで訪れたとき、すでにヨセミテ渓谷全体が煙で視界が薄ぼんやり。アメリカの国立公園のすばらしいところは、自然発火の山火事は消さないこと。国土が狭く人口密度が高い日本ではありえないことなのですが、本来、山火事を消さないことは正しい姿勢です。山火事も生態系の一部だからです。1916年に国立公園局が設立されて以来、1960年代まで山火事を消し続けていました。その結果、森の生態が変化したことに気づいたのです。山火事は、草木やそこに住む生き物たちすべてにとって、つまり生物多様性にとって最も重要な条件のひとつなのです。これを人工的に消すことによって、途絶えてしまう樹木や草花があったり、樹種が変化したりと、本来あるべき森とは違う森に変移してしまうのです。

煙るハーフドーム=センティネルドームより
その山火事の影響で、パキッとした突き抜けるような青空の下、清澄な空気のなか、谷から1000メートルもの高さに屹立する花崗岩に囲まれ、針葉樹の緑との壮大なコントラスト風景が魅力のヨセミテ渓谷の視界が不良となってしまうことは、訪れるヴィジターにとってはその魅力の多くが失われるということでもあります。でも、すべては生態系あってのこと。運が悪かったと諦めてもらうしかありません。
ビーパルの仕事は、ヨセミテ渓谷を発し、ヨセミテ渓谷にもどってくるという約100キロのループトレイルを10日かけて歩くことでした。これはぼくが以前より歩きたいと思っていたループ。通して歩く人があまりいない孤高のトレイルで、ヨセミテ国立公園の魅力が集約されているのです。このストーリーは、いずれビーパルでお読みください。
そのトレイルを歩いた6日めのこと。西方に灰色の雲がもくもくと湧き上がり、広がっているのを山上からみつけ、あれは、新たな火事ではないかと想像しました。その晩、テントを張り、岩の上からヨセミテ渓谷の方を眺めると、それまでクリアーだった渓谷のあたりが徐々に霞んできたのです。風は西から東に吹いています。明らかに遠方の山火事の煙が漂ってきたのです。太陽が沈もうとしています。その橙色の不気味なこと。煙のなかに異様な輝きを見せながら沈んでいきました。


煙が演出する強烈な夕景

煙るなか、朝日を浴びるエルキャピタン(右。左はセンティネルロック)=フォーマイル・トレイルより
3日後、ヨセミテ渓谷に下り、事実を知りました。国立公園西方100キロあたりで大規模な山火事が発生し、その影響から煙に包まれているということでした。その山火事は「テレグラム・ファイアー」と名づけられました。名がつくほどに規模が大きなものだったのです。
影響は煙にとどまりません。山火事はそこを通っていたパワーライン(送電線)を破壊。その影響でヨセミテ全体の電気がストップしてしまいました。しかし、ここがこの国立公園のすばらしいところ。自家発電設備があるのです。全体の30パーセント弱ですが、宿泊や食事などに支障がない程度に発電を行い、かろうじてヴィジターの需要を充たしていました。
その後、5日ほどで、山火事の影響は遠のき、もとのヨセミテの姿に戻りました。夕刻の黄金色のハーフドームも、それまで見たいつのハーフドームより、より輝いてみえました。
ヨセミテの異常は、もうひとつ。
今回、5回クマに遇いました。それもすべてヨセミテ渓谷でです。本来、野生生物はバックカントリーにいるもの。無論、バックカントリーにもいるのは確かなのですが、合計20日以上歩いて、一度もクマに遇わなかったにもかかわらず、観光客ひしめくヨセミテ渓谷で5回も見たことが、その異常さを表しています。じつは、以前よりヨセミテの大問題のひとつがこのクマ問題でした。一般観光客のなかには意識の低い人がいます。彼らが食べ残したものなどを目当てに、クマが山から下りて住み着いてしまうのです。1987年には800台もの車がクマによって壊されました。食料を車に置いたまま出かけるからです。公園側がキャンペーンを続けている成果から、その最悪の年から車の被害は年々減少はしています。それでも、ひと夏平均100台ほどの車が今でも壊されています。これもまた異常です。本来、ヨセミテがあるシエラネバダ以外では、たとえば、キャンプしてハイキングにでかけるとき、食料は車に入れて出かけます。そのように、教えられます。ところがシエラネバダでは、車に食料を入れたまま出かけないようにというキャンペーンがしつこいほどになされています。シエラネバダのクマは、同じブラックベーにもかかわらず、他のエリアよりずっと賢いのです。

キャンプサイトに現れ、大声に逃げる子グマ。この色でも、ブラックベアー。シエラネバダ独特のDNA
長逗留したヨセミテ国立公園を去るとき、いつものように後ろ髪をひかれ、寂しさが募りました。これを書きながらも、懐かしさに包まれています。
I left my heart in Yosemite

去る前日の夕暮れ。黄金に染まったハーフドームがかつて見たどの夕景よりも輝いて見えた

これが、本来のヨセミテカラー=カセドラルレイク

