2006秋色
今年、これまで撮った秋色の何枚かを紹介します。豪華絢爛、錦繍に染まる紅葉もいいけれど、ぼくは楚々としてつつましやかな秋色が好き、などと書いたりしゃべったり。でも、やっぱりあでやかな紅葉もいいものだと、あらためて思います。

吾妻高原鎌ヶ池(10.15.2006)

吾妻高原鎌ヶ池(10.15.2006)

吾妻高原鎌ヶ池(10.15.2006)

吾妻高原姥ヶ原(10.15.2006)
安達太良山奥岳遊歩道(10.15.2006)

安達太良山奥岳遊歩道(10.15.2006)

浄土平下(10.15.2006)

上高地小梨平(10.19.2006)

徳沢園のカツラ(10.19.2006)
もう、一年!

年の端を重ね、重ねるごとに、年の渡りの速さに身がすくむ思いがします。そうです、早くも一年がたってしまったのです。
わたしにとってのこの一年は、特別な一年でした。昨年アパラチアン・トレイルを出発したのが4月3日。187日を経て、無事、夢のマウント・カタディンに到達したのが去年の今日。10月6日だったのです。あまりにもアパラチアン・トレイルでの日々の記憶が生々しく、この一年、とりわけ今年の4月3日からの日々は、常に昨年のその日その日の出来事との重ね合わせの生活でした。
こうして一年たち、あらためて思い返したとき、お世話になった皆様方への感謝の気持ちが心からにじみ出てきます。
去年帰国してから、たちまちに遠ざかってしまったこのブログレポートを、再び活性化させようとこの春に始めた「去年のきょう」などという、アパラチアン・トレイルの記憶と重ねてつづるシリーズも、結局は頓挫してしまいました。情けないかぎりです。
それより何より、ぼくがせねばならないことがあります。アパラチアン・トレイルの重すぎるほどにぼくの中に蓄積されている記録と思いを、本という形でまとめることです。来年の夏までにはなんとかと思いつつ、
日々の生活に追われ、まだその端緒についたばかりです。その本への思いは、日々募り、ぼくのなかのアパラチアン・トレイルはまだ生き生きと息づいています。
ぼくの中では、次なる夢もまた膨らんでいます。が、アパラチアン・トレイルの経験から派生するものの大きさを、最近、とみに強くしています。たとえば先日行なった青山学院大学の英米文学専攻の学生たちへの講演でのことです。300人を越える学生たちのそのほとんどはアウトドアには特に興味はなく、自然とのかかわりある生活を送っている人も、わずかしかいなかったのにもかかわらず、講演の後の彼らの反応の大きさに、ぼくは強く勇気づけられたのです。彼ら(大部分は彼女ら)が提出したレポートから、そのほぼことごとくの学生が、実は、自然や社会や、かかわりのあり方にいかに心をいたし、自らの果たす役割を考えているのだということが、言葉の端々から伝わってきたのです。そして、ぼくの話によって、自分がなにができ、なにをすべきかという道の端緒がわかったような気がすると書いてくれた学生の多かったこと。
あまりにもすさんだ今の社会にあって、若い彼らの豊かな感性と真摯な生きる姿勢を知り、深く感動しました。若い学生さんたちへ、心からの愛おしさを覚えました。
年を経た今、たとえわずかであっても、経験によって蓄積された人にとって大切なものがあるならば、これからも若い人たちに伝えていければいけないと、あらためて強く感じさせられました。
ホースバック・ライディング

オーエンスバレーを出発するパックトレイン。ジョン・ミューア・トレイル7泊8日の馬の旅がスタート
毎年のように、ホースバックライディングという贅沢な方法でジョン・ミューア・トレイル全行程を踏破するという旅を続けてきました。山専門の旅行会社(アルパインツアー)からのオファーで、ぼくが講師役として同行するというツアーです。今年で6年目で最後。このトレイルは自らの足で歩くだけではなく、馬で歩くことも認められています。カウボーイの国、アメリカならではの方法です。アメリカの国立公園のバックカントリーはペットを禁じています。にもかかわらず、なぜ馬はオーケーなんだという意見もさすがに多く、厳しい議論が常になされています。どうやら、近々、馬の乗り入れを禁じようという方向が具体化されるようです。確かに馬は道草(路傍の草花)を食います。乗り手が馬をコントロールできなければ、馬はトレイルをはずします。トレイル上で馬糞をし、滝のようなおしっこをします。馬の気性を考えて、バックパッカーとすれ違うときは、馬優先です。バックパッカーからのクレームも多いようです。バックパッカーのひとりとして、ぼくも、馬乗り入れ禁止は、やむをえないかな、と思っています。自然保護のシンボルとしてこのトレイルに魅せられ、紹介した経緯のあるぼくとしての疑問符です。
それでも、一方では、このすばらし世界を、自然のなんたるかを知っているにもかかわらず、重いバックパックを背負って歩くことのできないかたがたにも感動してもらいたいという気持ちがあります。山小屋がある日本とはちがい、ここを歩く人はすべて、テント、寝袋、食料など20キロを越える重量を自ら背負わなければならないのです。ぼく自身は、じつは、それこそがここの魅力だと感じ、山での生活道具一式を自ら背負って、どっぷりと自然に浸かることの感動を伝えたいと思っています。にもかかわらず、それができる日本人はごく少数です。
このホースバックライディングに同行させてもらい、単なる平地を歩くのではなく、この厳しい山岳トレイルを馬で歩く快感と魅力をもふくめ、さまざまなことを学びました。参加された方々の喜びや感動の姿を見ることが、ぼくのなによりものやりがいです。6回すべてに参加された方は、じつは驚くことに合計700キロ近くもの距離を、馬で歩いたことになります。ジョン・ミューア・トレイルは340キロです。しかし、6回に分けてセクションを歩いたということは、それぞれのアプローチトレイルがあり、それをも含めた距離です。ジョン・ミューア・トレイルに入るまでに、まる2日かかるアプローチもありました。700キロという距離は東京から姫路ほどまででしょうか。その距離をすべて、厳しい山岳トレイルだけで歩いたということになります。日本でもむろん乗馬はできます。しかし、これだけ厳しい山岳トレイルを歩かせるということは、まずないでしょう。

全行程340キロで最も厳しいフォーレスター・パス(4023m)の壁を越える。下に見える湖までの落差は700メートル。緊張の連続。馬もさすがにびびる
ジョン・ミューア・トレイルは自然保護目的を理想の形で具現化した、世界で最も優れたトレイルとして、ぼくがテレビ、書籍などで紹介してから、すでに7年ほどもたっています。それまで、まったくと言っていいほどに日本人に知られていなかったこのトレイルを、それ以後、毎年、何人もの日本人が歩き、全行程を踏破しています。じつは、ぼくがこのトレイルを拙著で紹介した理由は、その理想性、その厳しさによるものです。日本は登山王国です。世界に誇れる美しい山々が連なり、その山々を目指す人々を導く登山道が縦横に網羅されています。山を自然を愛する人のほとんどは、意識の高い人です。しかし、中にはそうとは思えない人も、当然のことながらいます。しかも、入山制限がない日本では、富士山に代表されるように、シーズンには自然を愛しているとは思えない人々も含めた登山者が殺到し、行列を作るような山もあります。自然保護の重要性が人々の意識のなかに根付いていきたこの時代です、さすがにかつてのように、ゴミや投げ捨てタバコが散乱しているような登山道は、ほとんど見られなくなりました。すばらしいことです。それでも、やはり問題は、たくさんあります。
シエラネバダのジョン・ミューア・トレイルには、厳しいレギュレーションが課せられています。無論、人数制限もあります。日本の登山道は、歩く人のマナーに依存しています。人々のモラルが高ければ、それに越したことはありません。しかし、すべてに言えることは、必ず、社会にはモラルの低い人がいるということです。自然に対するモラルは、10人よくても、ひとり悪ければ、取り返しのつかないことになりかねません。自然はあっという間に壊されても、復元するには何十年、何百年かかるものです。あるいは、回復不可能になる場合もあります。
厳しい規制というと、管理されたがんじがらめの、という印象があります。しかし、ジョン・ミューア・トレイルのレギュレーションは厳しくても、自然のなんたるかを知る人々にとっては、あたりまえのことです。みな、おおらかに、喜びに満ちた表情で歩いています。レギュレーションは、自然に接する人々の最低限のモラルをきちっとうたったものです。日本の登山道にはない、さまざまな具体的な約束事があります。自然を愛し、自然に親しんでいる日本人ではあっても、こういったレギュレーションをしっかりと知った上で歩かなければ、場合によってはルールを犯すこともありえます。同じ日本人として、それはどうしても避けてもらいたかったのです。
この景観も含めた、自然保護理念も含めたすばらしい世界を日本人にも知ってもらいたい。でも、誰にでも入ってもらいたくはない。これが、ぼくが拙著『ジョン・ミューア・トレイルを行く』を書いた、目的です。
それ以降、毎年行くジョン・ミューア・トレイルで(アパラチアン・トレイルを歩いていた昨年以外)、必ずといっていいほどに日本人に会います。そのことごとく(少なくとも、ぼくが会った日本人は)が、ぼくの本を読んでくださっています。とても、うれしいことです。著者冥利に尽きます。
今年のホースバックライディングは、ジョン・ミューア・トレイルの最後、80キロほどの距離を歩きました。今回は、クライマックスのマウント・ホイットニー登頂もしました。馬は禁じられていますので、山麓から徒歩で、丸一日かけての登頂でした。

ホイットニー山頂(4418m)から北方を望む。この遥か340キロの彼方にヨセミテがある
ジョン・ミューア・トレイルの南部は、かなり乾燥し、砂漠化されたエリアです。ここの魅力はいろいろです。なかでもぼくが好きなのは、樹木です。この地帯にしかないフォックステール・パインという松の木々がその代表です。敢えて、環境の厳しい場所を選んで森を形成する樹木です。北部のほうでは、ジュニパー(ネズの木)という、同じような環境に生息する樹木がぼくを惹きつけます。ぼくがジョン・ミューア・トレイルを愛する要因のかなりの部分が、これら樹木類なのです。
かつて、世界一の巨木をテーマにNHKでドキュメンタリー番組を作ったこともあります。来年か再来年には、「たくさんの不思議」という福音館の子供向けの雑誌(一冊1テーマ)で「巨木の不思議」を執筆することにもなっています。
今回は、そのフォックステール・パインを含めた写真をお楽しみください。野生というものの命の美しさをご堪能ください。

フォックステール・パインの森。砂漠状の厳しい環境ゆえ、まばらに立つ。老樹は生き抜く知恵として、自らの一部を枯らす。その90パーセントを枯らしてもなお生きる木々

1000年、2000年を生き、やがて枯れ、枯れたこの姿で数千年立つ

死して、なお豪快に美しく

雄叫びが聞こえる

そして、やおら倒れ、さらに数千年横たわる

なまめかしくむき出しの肌をさらした枯れ木が奔放に、天に向かいくねり叫ぶようなその姿は、まるで岡本太郎ミュージアム

ホイットニーの灰白色の岩肌が、日の出の一瞬オレンジに輝く。麓の町ローンパイン方面から望む

