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新・アパラチアン・トレイルの旅
PENTAXで綴る
アパラチアン・トレイル3500Kmの旅
アパラチアン・トレイルとは
アメリカ合衆国東部の南はアラバマ州 から北はカナダ、ラブラドール地方まで延々と横たわる アパラチア山脈。その山中、ジョージア州からメイン州まで14の州をまたぎ、3500キロに及ぶ超ロングトレイル。一挙に歩き きるには、5ヶ月から半年かかる。ヨ ーロッパ系アメリカ人の心の故郷とも 言われるこの山脈の、このロングトレ イルに挑戦することが、アメリカのバ ックパッカーの大きな夢となっている。
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2005年06月27日

心のハーフウエイ、そして、サプライズ

AT協議会本部があり、歴史の街でもあハーパーズフェリーで、ポトマック川とシェナンドア川が合流する.jpg
AT本部があり歴史の街でもあるHarpers Ferry は、ポトマック川とシェナンドア川が合流するかつての通商拠点でもあった

前回お届けしたWaynesboroを出発してから2週間以上が経過してしまった。その間のほとんどは、アパラチアン・トレイルでふたつめの国立公園であるShenandoah National Park 180キロほどを歩いた。このエリアは、国立公園局によってすべての動物が保護されているため、これほどまでに違うものかと、あらためて驚いたほどに動物に出会う回数が増えた。特にシカに会うのは日常的、大きな音を出したりしないかぎり、10メートルほどの距離にまで近づくことができる。まるで奈良のシカ状態だなと思ったほどだ。ただ、むろん奈良と違うのは、こちらのシカはあくまで野生のシカとして保護されているため、餌を与えたり近づいたりしてはいけないことになっている。
恐ろしいことにも遭遇した。クマとヘビだ。前回歩いたときは3度もクマに遭遇したのだが、今回は、ただの一度も会っていなかった。が、この国立公園に入って、まずびっくりしたのは、結果的に公園内180キロを歩いて、数えただけでもトレイル上だけで22の糞があったということだった。この数は、かなり異常だ。そして、ついに本物に出会った。それも2頭の子供を連れた母クマだった。30メートルほどの距離だろうか。しかも、トレイル脇1メートルのところにある木の下にいる。近づくとコグマ2頭はあわててその木に登っていった。母クマは、むろんコグマを守るために、その木の根元にいる。近づくと立ち上がり、鼻を鳴らしてぼくを威嚇する。それを何度かくり返し、けっきょくぼくはあきらめ、藪のなかを迂回してスカイライン・ドライブに出て、そこを2キロほど歩いた(シェナンドア国立公園内のトレイルは、スカイライン・ドライブと呼ばれるパークウエイと32度も交差しながら続いている。だからこういうことができた)。
へビにも4度会った。そのうちの2匹は、ガラガラヘビ。一度は、歩いていると突然足元で「シャラシャラ、シャラシャラ」という強烈な音がした。なんとトレイル脇50センチのところで、直径8センチほどの太さのガラガラヘビが尻尾を打ち震わせ、鎌首を立てて威嚇しだしたのだ。あわてたぼくは、2メートルは飛び退いただろう。もう一度は、大きな岩をよじ登ったところでバックパックを下ろして10分ほど休憩した。そして、そろそろ出発しようかと、背に立てかけておいたバックパックを背負おうと振り向いたとき、なんとバックパックの後ろ1メートルに、やはり大きなガラガラヘビがとぐろを巻いていたのだ。

突然、足元脇50センチでガラガラヘビが威嚇の音を鳴らしはじめ、思わず2メートル飛びのいた.jpg
突然、足元脇でガラガラヘビが威嚇の音を鳴らしはじめ、思わず2メートル飛びのいた

などなど、けっこうおもしろい経験をいくつかしたのだが、残念ながら時間がなくて書けない。きょうは、ひとつ大きなサプライズを書かなければならない上、あと2時間ほどで友人が、このホテルに迎えにくる。


ようやく、という思いと、早くも、という思いが交錯している。ながかったヴァージニア州850キロを歩き終え、ウエスト・ヴァージニア州Harpers Ferry という町に下りてきた。この町にたどり着くことを、多くのバックパッカーは心待ちにしながら歩いていた。それには、むろんわけがある。
ぼくにとって4度めのHarpers Ferry だ。過去3度は取材のために訪れた。その都度、いつの日か、アパラチアン・トレイルを歩いてこの町に到達することを心に思い描いていた。それが実現した瞬間だった。距離にして1600キロを越えた。まだ全体の半分を満たすには100キロ余り歩かなければなならないのだが、ぼくにとってのこの町は、ある意味、心のハーフウエイだった。
中世ヨーロッパの町並みを思い起こさせるような、この美しい歴史の町Harpers Ferry にはアパラチアン・トレイル3500キロを整備し続ける31のヴォランティア団体を統括するアパラチアン・トレイル協議会(Appalachian Trail Conference=ATC)の本部があるのだ。ぼくがアパラチアン・トレイルを意識しだした20年ほど前から、このATCが頭にあった。ATを取材するには、まずATC本部を訪れる必要があった。そして、この町の美しさに魅せられた。この美しさは歴史の美しさだ。この町は南北戦争の発端の町としても知られ、現在は、その中心街すべてが国のHistorical siteに指定され、国立公園局が維持管理にあたっている。
アパラチアン・トレイルにぼくが興味を持ち、こうやって歩いている理由はいくつかある、と以前にも書いた。自然ばかりではなく、歴史的文化的な側面の面白さ、さらにはこのトレイル自体を維持管理しているメンテナンスシステムへの興味があった。その歴史的側面とヴォランティアによるメンテナンスシステムのキーポイントがここHarpers Ferry にあるのだ。
一般のバックパッカーにとっては、ここにあるATC本部を訪れることで、一段落ついたことになる。ここで歩いていることの登録をし、協議会の職員たちと談笑し、情報を得、記念の写真を撮ってもらう。しかも、この町の直前に、彼らの尺度であるマイルで、ちょうど1000マイルを越える。これも彼らのひとつの目標なのだ。
そういったことごとを書き連ねるには、相当の時間と文字数が必要だ。その一端は、このブログでもいずれ書くとして、全体像はやはり本にしたときにまとめることになるだろう。
きょうは、時間がない。書かねばならないサプライズ。それは、明日、一時的に一週間だけ日本に帰るのだ!

ハーパーズフェリーのダウンタウン全体がヒストリカルサイトに指定され、国立公園局が管理している.jpg
Harpers Ferry 全体が国のヒストリカルサイトとして指定され、国立公園局が維持管理している

17世紀に造られたこの石段もアパラチアン・トレイルの一部だ.jpg
18世紀に造られたこの石段もアパラチアン・トレイルの一部になっている

南北戦争発端の町としても知られるハーパーズフェリーのお墓には、南北戦争や独立戦争の戦死者たちも葬られている.jpg
街中にあるこのお墓には、南北戦争ばかりではなく、独立戦争の戦死者たちも葬られている

これは、出発前から決まっていたことだった。いつそれを書くかは、やはりHarpers Ferryに着いたときにしようと思っていたのだ。が、考えていたようにはいかない。書いたように、きょうは詳細を書く余裕はない。目的は、ぼくがずっとかかわっていたNPO信越トレイルクラブが数年にわたって構想していた「信越トレイル」の一部約50キロほどがほぼ完成し、そのセレモニーに参加するため。実際はほぼ完成したものの、本来のあり方としてぼくたちが重視しているソフト面の充実という部分がまだ不備なため、正式にはオープンとはせず、「信越トレイルフェスティバル」というイヴェントになる。そのシンポジウムのパネリストとして、また、ちょっとした講演を頼まれていたのだ。
かなり悩んだ末、その参考として2年前にスタッフとともに視察に来たこともあるアパラチアン・トレイルそのものを歩いているぼくが、そのセレモニーに参加する意味は、ぼくにとっても、信越トレイルクラブ大きなことだろうと判断した。
トレイルからどのようにして抜け出すのかが、大きな課題だったが、これはクリアーした。ふたりの友人がぼくをサポートしてくれる。ひとりはトム。もう一人はエメット。ふたりとも、かつてアパラチアン・トレイルで知り合ったハイカーだ。トムは2002年と2003年の2年にわたって全行程を踏破、エメットは1999年にスルーハイクしている。ふたりとも、定年退職したことをきっかけに歩き、今は悠々自適の生活をしている。
トムがトレイルでぼくをピックアップし、ワシントンDCの空港まで送ってくれ(Harpers Ferry はワシントンDCから車で2時間ほど)、エメットがもどってきたぼくを空港でピックアップし、トレイルまで送り届けてくれる。彼らも、ぼくの個人的なすばらしいトレイルエンジェルなのだ。

お茶目なトムもまた、2年かけてAT全行程を歩いたハイカーだ.jpg
おちゃめなトムは、2年かけてAT全行程を歩いたハイカーだ

Lost City というすごい名前の地にある、理想的な大きさのログハウスにトムは住む.jpg
ワシントン郊外に家を持つトムは、今、ウエスト・ヴァージニアに理想的な大きさのログハウスを拠点に悠々自適の生活だ

朝霧に煙るウエスト・ヴァージニアの牧場.jpg
朝霧に煙る、ウエスト・ヴァージニアの牧場


そのセレモニーのために抜け出す時期がちょうどHarpers Ferry の近辺というラッキーな点もあった。国際空港がある大きな町から2時間などという場所は、アパラチアン・トレイルのほかの場所ではほとんど考えられない。しかも、そのワシントン郊外に、アパラチアン・トレイルで知り合ったふたりの友人が住んでいた。
ということで、6月29日に一時帰国し、一週間だけ滞在し、7月6日にワシントンDCにもどり、早ければ翌7日には再スタートしたいと思っている。

後半も、同じようなスタイルで歩き続けます。どうぞご期待ください。
Keep in touch
Jack-a-roo

投稿者 kato : 22:44
2005年06月11日

出会いと別れ、そして再会。これがATの最大の魅力なのかもしれない

ちょっと疲れ気味かな?.jpg
ちょっと、疲れ気味かな

斉藤正史さん。彼もちょっと疲れ気味かな.jpg
彼が斉藤正史さん。ちょっと、疲れ気味かな

前回、ふたりめの日本人、斉藤正史さんと会った話を書いた。Daleville のOutfitterで偶然会ったのだ。彼はこの町に下りるつもりはなく、ただ、バックパックが壊れたため、新しいのを購入するためにOutfitter を訪れていた。ぼくは、20日ほど前、宿泊したホテルにデータブックを置いてきてしまい、それを購入するためにそこに行った。Dalevilleではたいがいのハイカーは、ここにあるいくつかのホテルに泊まる。そこで、1,2泊すれば、以前会った連中と再会する。
さまざまな情報からDalevilleあたりで斉藤さんがぼくに追いつくと踏んでいた。結果的にはそのとおりになったのだが、彼が通過していれば、このまますれ違いになっていた。
清水さんに会ったときもそうなのだが、ぼくは、こういったトレイルでの出会いは、単なる偶然ということではなく運命なのだと思っている。アパラチアン・トレイルに限らず、トレイルを歩き続けるぼくには、さまざまな不思議が付きまとう。そのことごとくが運命だとしか思えないような出会いなのだ。これこそが、本来のトレイルマジックなのだろう。
そういった、ぼく自身のさまざまなトレイルマジックの数々については、じっくりといずれ書く本のなかでまとめたい。

斉藤さんについての情報は、やはり何人ものバックパッカーから得ていた。トレイルネームは「Masa」。ファーストネームの正史からとっている。アメリカ人にも発音しやすく、親しみやすいネームだ。ぼくのJack-a-rooもまた、逆の意味で人気の的だ。日本人でありながら、最もアメリカチックなこのネーミングが、みんなの注目を得ている。日本人なのだから、日本人的なネーミングにしたほうがいいのではと思ったこともある。むしろ、そのほうが覚えられやすい。でも、あまりにもアメリカチックなこの名前は、じつにアトラクティブなのだとみなが言う。ほとんどの人は一度で覚えてくれる。「そのトレイルネームが、いい」と、多くが言う。このトレイルネームには裏話があるのだが、それも、またいつか書こう。きょうは違うテーマだ。
斉藤さんは32歳。独身。会社を退職して、いまこのトレイルを歩いている。多くのバックパッカーと同じく、彼にとっても、やはりアパラチアン・トレイル挑戦は、人生の大きな転換点だ。彼とDaleville で会い、昼食を供にした。彼は、そのままトレイルに戻る。そしてぼくは、ホテルに戻る。このまま別れては、もうトレイル上で会うことはない。話したいことは、ふたりともいろいろある。そこで、Waynesboro で会おうと約束した。ただし、彼は町でぐずぐずしているぼくより2日ほど早く着く。彼は、食料調達のため、ちょっと町に立ち寄りはしたが、ほとんど町での宿泊はしなかった。費用節約と、下りたときの気分の変化が怖いということもあったらしい。しかし、すでに1350キロほども歩き、相当の疲労がたまっていた。そして、足もかなり痛んでいたため、そろそろ休みをとろうと、彼は考えていた。その上、彼も、ぼくともっともっと話がしたかった。
Waynesboro のホテルに着くと、さっそく彼から電話があった。彼は、ホテルには泊まらず、無料の教会関係のホステルに泊まり、その後はYMCAの、これも無料で提供してくれる芝生にテントを張っていた。
彼と夕食をともにした。こちらに来てはじめてアメリカ食をやめ、中華料理を食べた。彼と話をし、彼の優しさと謙虚さに、ぼくは頭がさがる思いだった。ぼく自身、自然に対する優しさと謙虚さの大切さは、いつも心にとどめているつもりだった。それだけに、より彼の姿勢が嬉しかった。彼は、それほど山の経験をしてはいなかった。アパラチアン・トレイルをやろうと決心したのは、NHKの女優トレッキングシリーズでアパラチアン・トレイルの最北部を歩いた本庄まなみの番組を見て、さらに、TBSの「世界ふしぎ発見」の番組を見たのがきっかけだったという。これだけを聞けば、ちょっとミーハーチックで、「エーッ、そうなの?」と思ってしまう。NHKの番組には、ぼくもアドヴァイスということで少々かかわっていた。TBSの番組の内容はかなりの部分、「やっぱりやられたか」と思っていた番組だった。
そういったきっかけだったこともあって、彼のアパラチアン・トレイルへの知識はそれほどあったわけではない。ということは、ある意味、無謀とも思われることにもなる。事実、装備の問題から、たとえばあの雪のとき、テントも寝袋も、着ているものも、彼自身も全身びしょ濡れになり、その晩、寝袋にもぐりこんだ彼は、このまま生きて起きることはないかもしれないと、本気で思ったのだという。そういったトラブルがいくつかあり、それでも彼はめげずにがんばった。そして、それらの経験をすべて踏まえ、プラスに転換して、どんどん進んでいる。
彼のプラス思考は、じつに聞いていて爽快だ。アパラチアン・トレイルのすばらしさを心から堪能している。こうやって歩いていることに対して、家族、親戚、友人、バックパッカー仲間、トレイルエンジェル、そして、むろんトレイル自体と自然全般に対して、いつも感謝の気持ちを心に描いている。「ありがとう」という言葉を忘れない。こうやって歩いている自分がどれほど幸せなことかと、それを思うと、辛さも喜びに変わるのだという。町で食料補給をして、その重みが肩にずっしりときたとき、この重みは厳しい山を歩く自分の体力を支えてくれるエネルギーの重みなのだと、その重量ですら幸せに感じるのだという。
彼は、きょう、トレイルに戻っていった。山形県在住なので、日本でもそう会えることはないかと思うが、清水さんもふくめて、スルーハイクを終えた2人の話を、ぜひ聞きたいものだ。
清水さんと会い、斉藤さんと会えた。あとはOriental Legs だ。ただ、彼は、すでにトレイルアウトしている可能性もある。前回書いた後、斉藤からのも含めて、ふたつの情報が入った。ひとつは、彼は、やはりスルーハイクではなく、セクションハイクなのだという。これについては複数入っているので、そうなのだろう。去年、北部半分を歩き、今年は南部を歩いて、全行程を踏破するというのだ。だとすると、そろそろ達成している時期なのかもしれない。もうひとつは、これは話が分かれるところなのだが、奥さんがサポートしているといった情報だ。これについては、いずれ、また新たな情報が入ってくるだろう。

雷雨の前の光の戯れ.jpg
雷雨の前の光の戯れ

日本語に置き換える違和感があるが、石楠花街道.jpg
石楠花街道、などと日本語に置き換えると違和感がある

こんな緑の海のなかでは、シカはどうしたって目だってしまう.jpg
こんな緑の海のなかでは、シカはどうしたって目立ってしまう

親しく歩く彼らと、spy rockという名の岩壁に登り、展望を楽しんだ.jpg
親しく歩いた彼ら若者たちと、Spy rock という名の岸壁に登った

その花崗岩トップからの眺め.jpg
そのトップからの眺め

話は変わる。斉藤さんの話で、4日ほど前、Hog Gap というキャンプサイトで、すごいトレイルマジックがあったのだという。彼が歩いていくと、そこに大勢の集団がパーティーを開いていた。そこは林道と交差するところで、彼らは車を連ねてやってきていた。斉藤さんを見つけた彼らは、彼に声をかけた。「スルーハイクかい?寄っていかないか。どんどん飲んで、どんどん食べて」と、盛大なご相伴にあずかったのだという。
彼らは、じつは1999年にほぼ同時に、マウント・カタディンに到達した、それぞれソロのスルーハイカー5人とその家族の集まりだった。いわば、同窓会だ。そして、どうせ同窓会をするのなら、アパラチアン・トレイルでやろう。そして、そこを通過するバックパッカーたちを誘い、トレイルマジックで貢献しよう、ということになったのだ。
バーベキューグリルを持ち込んでの盛大なパーティーに、そこを通過する何人かのスルーハイカーも呼び止められた。ステーキを食べ、ビールをどんどん進められた。食べ過ぎ、飲み過ぎた斉藤さんは、その日、そのずっと先まで歩く予定だったのだが、ついに諦め、そこでキャンプすることにしたのだという。
このホテルにも、ぞくぞくとぼくの知るバックパッカーがやってきて泊まっている。一歩、部屋の外に出ると、「Hi、Jack-a-roo! How is it going?」と、声がかかる。その声が、嬉しい。みな、トレイル仲間なのだ。何度となく会い、別れ、また会った連中なのだ。何度もこうした再会を繰り返して歩く3500キロという遥かな距離を、それぞれが心にさまざまな思いを持ちながら、互いの心のうちを慮りながら、半年という長い時間を費やしている仲間なのだ。彼らの心の奥底で通じ合う絆は、どんどんと強くなっていく。
アパラチアン・トレイル以外にも、もっと長いロングトレイルはある。でも、これほどにバックパッカーの心をひきつけるトレイルは、たぶん他にはないのだと思う。たとえば、昨年清水さんが完遂したパシフィック・クレスト・トレイルはどうだろうか。清水さんの話を聞けば、やはりトレイルで会った仲間たちへの思いはそうとうに強いものはある。でも、PCTを歩くバックパッカーの多くは、こういった出会いの楽しみよりも、いかに軽量に速く歩くかを競う、アスリート感覚の連中が多いのだという。もっと先鋭的な人たちの集まりで、こういったことには、それほど興味のない人たちのなだろうか。PCTに興味がある人たちは、これほどに幅の広いさまざまな層の集まりではない。
ただ、ぼくにとっては、アパラチアン・トレイルのこの雰囲気は、せっかくこの豊かな自然を歩きながら、そのすばらしさを堪能する人がどれほどいるのだろうか、という疑問が常にある。アパラチア山脈に広がる文化的、歴史的面白さを、どれほどの人がわかっているのだろうか、と考えてしまう。

さて、明日、ぼくも再びトレイルにもどる。トレイルへは、無料のシャトルサービスが送ってくれる。この町Waynesboro のATハイカーに対するもてなしは、ただものではない。以前からそういった話は聞いていたが、町をあげて、ATハイカーを支援している。トレイルヘッドからこの町までは、約8キロほどある。Rockfish Gapというこのトレイルヘッドには、USハイウエーとインターステート・ハイウエーが交差する。しかもここは、ブルーリッジ・パークウエ ーがスカイラインと名を変え、そのままShenandoah国立公園へと入っていく。だから、そこにはツーリストのためのインフォメーション・センターがある。ATハイカーも、そこへ立ち寄る。そこには、ATハイカーがWaynesboro に下りていくための、さまざまな情報が用意されている。まず、町とトレイルとを結ぶ無料送迎サービス。ホテルをはじめとしたさまざまな施設の案内。そのガイド。それらを、すべてヴォランティアの人々がやってくれる。町の施設も、みな親切だ。ぼく自身、インフォメーション・センターでインターネット環境のいいホテルを探してもらい、無料でそこまで送ってくれるヴォランティアを手配してくれた。ヴォランティアの多くは、定年退職したお年寄りだ。みな、心優しいもてなしをしてくれる。彼らにとって、これが生きがいでもあるのだ。
ぼくらはみな、感謝の心を伝え、その恩恵を受ける。そういった地元の人々の支えがあって、ぼくたちのスルーハイクは成り立つ。
以前にも書いたトレイルでの飲食サービスというトレイルマジック。疲れ果てて歩くぼくたちにとって、それがどれほどありがたいことだろうか。どれほどの気持ちをこめて「ありがとう。感謝にたえません」という言葉を彼らに返したらいいかわからないほどに、感動的だ。クーラーボックスが、トレイル脇に置いてあることも、何度もあった。開けると、中にはさまざまな飲み物やスナックが入っている。思わず、奇声を上げたくなる。

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ウァー、こんなにある。でも、次の人たちとシェアーせねば。一本だけいただく

ところが、これが人間の性なのだろう。林道と交差する地点に来ると、ついついそれを期待してしまうという現象が、ぼくも含めたすべてのバックパッカーにある。期待し、行ってみると、ない。ないと、がっかりする。どれだけ、それを繰り返したことか。疲れ果て、お腹をすかせ、喉をかわかしたバックパッカーにとって、やむを得ないことなのだが、ちょっと哀しくも、おかしくもある。ただ、感謝の心を忘れてしまったら、おしまいだ。
こんなこともあった。もう20日ほど前になるだろうか。ある朝、テントをたたみ、一時間ほど歩いたところで交差する林道に2台のピックアップトラックが停まっていた。その車の脇に3人の初老の男性が待っていた。このときは、朝、起きて、朝食を食べてすぐたったためもあり、まったく予想はしていなかった。
「ここから5マイルほど下りた村まで行って朝食を食べないかい?」と言う。「後ろから誰かくるかい」と聞くので、「ちょっと前に追い抜いた男女がいる」とこたえると、「オーケー、じゃ、彼らが着いたら、いっしょに送っていきましょう」ということになった。
彼らが到着し、ぼくたちはピックアップトラックの荷台に乗り、小さなコミュニティーのある宗派の教会に連れて行かれた。いっしょに荷台に乗ったトレイルネーム「クリケット」は、「なんだか人さらいみたいだ」と、笑っている。助手席に座った女性ハイカー「メイフライ」は、にこやかにその人さらいと話をしている。牧場が広がり、フロントポーチつきの小さな家が数件あるだけの典型的な南部の風景だ。荷台に揺られながら、のどかなその風景の中を走るだけでも、ぼくたちは幸せだった。ぼくはハーモニカを取り出して「カントリー・ロード」を吹いた。クリケットが歌った。まさに、あの歌詞の、そのままの風景だった。
教会の地下に案内されて、驚いた。7人ほどの年配女性がにこやかにぼくたちを迎い入れてくれた、その部屋のテーブルには、豪勢な朝食が用意されていたのだ。アメリカ南部には独特は豪勢なブレックファーストの風習がある。前菜からデザートまでの食事でぼくたちをもてなしてくれた。最後にはギターによるブルーグラスの生演奏つきだ。食事が終わるころ、また何人かのバックパッカーが案内されてやってきた。

教会の地下の心温まるもてなしを受けるクリケットとメイフライ.jpg
教会の地下での心温まるもてなしを受けるクリケットとメイフライ

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朝からこんなに食べちゃっていいんだろうかと思いながらも、おかわりをする

食事が終わり、代表のおばあさんが、ひとりずつにハグをして、道中の無事を祈っての別れだった。そして、また、ピックアップトラックでトレイルまで送りとどけてくれた。
このもてなしの精神。すべてはキリスト教会のヴォランティアによる慈善行為なのだった。キリスト教独特の心からのほどこしなのだ。彼らの笑顔は、今でも忘れられない。純粋に心からぼくたちを歓待してくれていた。
でも、哀しいことに、本当にこれはぼくの哀しい性なのだが、いつものように違う角度から考えてしまう。この教会がというわけではないが、保守的な、原理主義的なキリスト教宗派が、今のアメリカの体制を支えている。国際政治に興味が深く(じつは大学で政治学を専攻した)、特に今のアメリカのあり方に批判的な目でみるぼくは、その体制を支える保守的キリスト教徒の、踏み込んではならないところまで踏み込んでいる政治行動は、とても危険なものだと思っているのだ。
ぼくがアパラチアン・トレイルに興味を持っているひとつの点に、実は、この政治的問題点がある。あまりにも奥の深い、重大な問題なので、軽々とここで書くわけにはいかない。このテーマに関しては、何度か、トレイル上で、こういったテーマに興味のある数人バックパッカーとも議論した。日本に住むアメリカ人の友人からは、「絶対に、アパラチアン・トレイルでその話をするな」と釘をさされていた。「保守的な考えを持つ連中と議論すると、始末に終えないことになるぞ」というのだ。でも、これはぼくの大きなテーマなのだ。
たとえば、ノースカロライナのある宗派の行動が、今、問題になっている。隣人を愛し、慈悲の心を強く説く彼らが、去年の大統領選挙で民主党のケリー候補に投票した信者たちに対して、村八分のような攻めをしている。その矛盾点に気がつかない純粋さが、怖い。
あの、心優しい人々の裏にある政治的な問題点をも考えてしまうことのぼくの悲しさは、思えば思うほど、強くなる。とても、辛いことだ。
人間の心にとって、どれほど宗教が重要なものか。どれだけの人々が信ずる宗教によって支えられてきたか。むろん、ぼくは心得ている。ただ、宗教に対する心が純粋であればあるほど、その人はより原理主義的な信仰へと入り込んでいきやすい。そして、原理主義的な宗教は、結果として他を認めなくなる。この矛盾点が怖い。という、ぼくの思いに対する批判は、重々心得ている。
このへんで、やめておこう。

書きたいテーマは、あまりにも多すぎる。次回のテーマにしようと前回書いたslack packingについては、一週間前iBepalにアップしたので、そちらを読んでほしい。ただ、これもまだまだ書き足らない。アパラチアン・トレイルを歩く歩き方には、いくつかの方法があるのだ。それは、いずれまた書くことになるだろう。

ps
明日、出発と書いたが、な、な、なんと、明日、強力なハリケーン“Arlene”がフロリダ西部に上陸するというウェザーニュース。コースによっては、その後アパラチアン・トレイルを直撃する可能性がある。直撃はなくともかなりの風雨になることは間違いない。向こう一週間の予報はすべて雨。しかも雷を伴っている。シェルターに寝てもハリケーンではびしょ濡れ。テントを張れば飛ばされる可能性もある。さあ、どうしようかと、みな深刻に考えている。でも、先を考えれば、だれだっていつまでもここに停滞することはできない。いちかばちかで、行くしかないだろう。みな、そう思っている。

投稿者 kato : 09:29
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