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新・アパラチアン・トレイルの旅
PENTAXで綴る
アパラチアン・トレイル3500Kmの旅
アパラチアン・トレイルとは
アメリカ合衆国東部の南はアラバマ州 から北はカナダ、ラブラドール地方まで延々と横たわる アパラチア山脈。その山中、ジョージア州からメイン州まで14の州をまたぎ、3500キロに及ぶ超ロングトレイル。一挙に歩き きるには、5ヶ月から半年かかる。ヨ ーロッパ系アメリカ人の心の故郷とも 言われるこの山脈の、このロングトレ イルに挑戦することが、アメリカのバ ックパッカーの大きな夢となっている。
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2005年05月31日

オリエンタルレッグスを追え

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Sunrise coffee

この日まさに目指すTinker cliff に朝日が昇る.jpg
この日まさに目指すTinker cliff山頂に朝日が昇った

前回アップしてから2週間ほどたったのだろうか。なかなかインターネット環境のいい場所がなく、ブログ更新もiBepal原稿も書けないでいた。
昨日、Dalevilleという、インターステート81号が走るヴァージニアの町に下りてきた。スプリンガーを4月3日に出発して2ヶ月弱。距離にして1140キロほど歩いたことになる。今、行程表を見てちょっと驚いたのだが、ヴァージニアに入ってからすでに400キロ以上歩いたことになる。ヴァージニア州は、アパラチアン・トレイルが通過する14の州のうち、最も長い距離で約850キロもある。その半分ほどを歩いたことになる。
と、さまざまな数字をあれこれ頭に描きながら歩いているのだが、思い方ひとつで、気持ちのありようもいろいろだ。
やっとヴァージニアに入ったとき、1000キロを越えたとき、その距離が全体の3分のⅠ近くになったと思ったとき、ヴァージニアも半分近くになったことを知ったとき、それまでの行程をたどってみて、やっとここまで来たかと感じるか、でも、まだ3分の2も残っているんだぞと、あるいは、まだまだ夏前だのに秋まで歩き続けるんだぞと、先の距離と時間の果てしなさを受け止めるか、これから先の長さの中でさらなる出会いと経験を楽しみとして捉えるかによって、そのときの気持ちが行ったりきたりする。
これほど長い距離ではなくとも、日本の山を縦走したときとか、厳しい山に挑んだときとか、だれにでも経験のあることだろう。そう言えば、受験勉強に取り組もうとしたときや、マラソンを走っているときや、大学生のとき、はじめての渡航だった半年にわたるニューギニア遠征のときなど、心の浮遊しがちなぼくは、いつもそんな状態だったっけ。

でも、今回言えることは、日々、そのときそのときの厳しさや辛さに苦渋しながらも、その過程をクリアーして振り返ってみたときの満足感、アパラチアン・トレイルという10数年来の思いを今こうして実現し、取り組んでいるのだという幸せ感、歩くという人間本来の原始的な移動手段によってこれだけのことができているのだという日々の達成感、そして、それをさせてもらっている自然と、ぼくを支えてくれている人々に対する感謝の気持ち、悦びの気持ち、畏怖の気持ちが、常にぼくのなかにある。だからこそ、こうして距離を伸ばしていける。
これだけの距離を歩けば、書きたいことは山ほどもある。ただ、あまりにもその山が大きすぎて、多すぎて、なにをどのように書いたらいいのか、難しい。帰国して、いずれ出す本のなかでは、その山ひとつひとつを表現する楽しみがある。
雷雨の直前、サンシャワーをバックに先を急ぐバックパッカー.jpg
雷雨の直前、サンシャワーをバックに先を急ぐバックパッカー

一昨日、McAfee knobで。落差600メートルのこの崖を約1キロ歩いた.jpg
McAfee knobで、落差600メートルのこの崖淵を約1キロ歩いた

この1000キロを越える距離の間に、ぼくを楽しませてくれているひとつの遊びテーマがある。タイトルは「Oriental Legsを追え」。
じつは今、アパラチアン・トレイルを歩いている日本人は、ぼくを含めて4人いる。これだけの日本人が歩く年ははじめてのことだ。ぼくが知っている限り、過去にアパラチアン・トレイルをスルーハイクした日本人は2人。あるいは情報がないだけで、もう少しいるのかもしれないが、いずれにせよ、その程度の数だった。それが、今年はどうしたことか、4人も歩いている。ひとりは先日お伝えした北海道からの清水さん。もうひとりは、山形からの斉藤さん。このふたりは確認済みだ。清水さんからは、昨日開いたぼくのemail address に連絡が入っていた。彼はぼくよりもすでに10日以上先を歩いている。ぼく自身、たとえば昨日までの3日間、平均30キロを越える距離を歩いたりはするものの、町で怠けて2泊してみたり(仕事でね)、ダマスカスのフェスティバルで長期休養をとってみたりしているため、ま、そのくらいの差はついているかなと、思ってはいた。きょう斉藤さんの新たな情報が入ってきた。おそらく、きょう午後、ここDalevilleに到着する。ダマスカスのフェスティバルの翌日にダマスカス入りしたということを聞いていたので、おそらく、もうすぐだろうと思っていた。このDalevilleでぼくは予定外の3泊(月曜日がこちらのメモリアルデーで、郵便局がお休み。なんと3連休なので、火曜日朝まで待たねばならないという間の悪さ)するので、ここで追い抜かれる。
そしてもうひとりが、Oriental Legs。彼の情報は、じつはぼくが歩き始めて4日めごろからさまざま入ってきていた。まず最初に聞いたのが、
「日本人で、トレイルネームをOriental Bagsという人が、2週間ほど先を歩いているよ」という情報だった。
その後、「日本人で、トレイルネームがOriental Legsという68歳のハイカーが2週間ほど先を歩いているぞ。彼はウイスコンシン州に30年以上も住んでいるんだそうだ」という情報。
そして、3つめの情報は、「メリーランド在住の日本人医師が歩いている」
4つめ。「Crazy Legsという年配の日本人がセクションハイクをしている」
というものだった。
なんと、トレイルネームだけでも3つ飛び込んできた。これが不思議さとぼくの好奇心とを誘った。この韓国人の医師というのは、ボルチモアに住んでいる韓国人ハイカー、アルバートのことだろう。
その後、さらに入った情報をまとめると、どうやら、トレイルネームはOriental Legsがy正しい。年齢は68歳。これも複数の人からの情報なので、正しいだろう。住所は、ウイスコンシンではなく、栃木県栃木市だ。これは3つの情報から。しかも、そのどれもが、そのOriental Legs が自筆で書いた住所だから、間違いないだろう。
ただし、出身は長野県木島平。これも本人が書いた情報。面白いのは彼が書いたメモを持っていたバックパッカーがぼくに言ったのは、彼は長崎県出身だということ。これは長野県の間違い。
本名はHaruo 土屋。ここまで、わかってきた。そして、いまだにわからないのが、彼がセクションハイクなのかスルーハイクなのか、ということ。年配の方なのだが、足が速いという情報と、ゆっくりと歩いているという情報。奥さんのサポートを受けて歩いている(これは年配のスルーハイカーによくある方法なのだが、車でパートナーが先回りをして食料調達をしたり、そのとき必要としない荷物を車で運んだりする)という情報と、いやそうではない、ひとりでこつこつとやっている、という情報。
長野県木島平出身という情報は、なんと、これまた不思議な縁なのだが、ぼくがかかわっているNPO信越トレイルクラブ宛に、彼から直接ハガキが届いたのだ。信越トレイルクラブも、突然の見ず知らずの人からのハガキにびっくり。実は一昨年11月。ぼくも含めた信越トレイルクラブのメンバー数人で、アパラチアン・トレイル南部の視察をしに来たのだ。その情報が彼のところに入ったのだろう。その本部が木島平のすぐそば、飯山市の森の家にあるので、土屋さんが律儀にもハガキを書いたのだろう。ただし、その文面を見る限り、その信越トレイルクラブに深くかかわっているぼくがいまアパラチアン・トレイルを歩いているということは、彼はご存知ないようだ。
清水さんがかなりのスピードで歩いているので、あるいは途中で追いつくかもしれないということを、ぼくは期待している。それによって、まだ残されている謎は、解ける。
これだけの情報、ぼくが追い求めたものは、ひとつもない。この1000キロ余りを歩いていくうちに、ぼくが日本人だと知って、あるいはライターだと知って、そういう情報を教えてくれるのだ。
「Oriental Legsを追え」の謎解きは、これからも続くだろう。なによりも面白いのは、3つのトレイルネームが入ってきて、そのどれもが、Oriental と Legsでつながっているということが、一人のトレイルネームに違いないと推測させたことだった。
土屋さん、ごめんなさい。こんな遊びをしています。プライバシーの侵害にならなければいいのですが・・・。

寒気の影響で、季節が動かないという話を前に書いたが、さすがに5月も末になって、ぼく自らのアップダウンによる季節の色変化だけではない、季節の推移がはっきりとしてきた。あの可憐だった初春の花々にとってかわり、標高が500メートル、600メートルの地点まで下がると、夏の花が咲き始め、トレイル脇は夏草が生い茂り、草いきれを感ずるようになってきた。喬木の新緑は標高1200メートルほどにまで上がり、低地の山はもううっそうとした夏色の深い森だ。
そして、ぼくが待ちに待ってきた花が咲き始めた。Rhododendron(石楠花)と、Mountain Laurel(山月桂樹)の花。まだ、トレイルを花のトンネルで覆うほどではないが、歩く苦痛からぼくを解放してくれている。特にぼくは、月桂樹の花が愛しい。どう表現したらいいのだろうか。開花直前のピンクの蕾のまるでコンペイ糖のような、砂糖菓子のような美味しそうな姿。一週間ほど前に、はじめてトレイルでこの姿を見つけたとき、思わず頬づりをしてしまったほどだ。今では、普通に見られるのだが、見るたびに声をかけて写真を撮ってしまう。そんな異常なぼくが撮った写真をごらんいただきたきたい。
そして、ぼくが待っていたのは、花だけではない。Sassafrasという名の潅木。いつまでたっても、待望のその葉を見ることができないでいたのが、この数日のうちに、標高600から800メートルの山中で、もうどこにでも見られるようになってきた。そして、その葉を見るたびに、思わず微笑んでしまう。そして、ときどき、「ごめんよ、ぼくは君が好きなんだよ」
と言いながら、葉の着いた枝をちょっと折って、口にくわえて歩く。
この葉っぱの形に、ぼくは深く引かれている。なんとも奇妙な、中途半端な形をしている葉っぱなのだ。前に書いたように、花の色、姿、その微妙なデザインもそうなのだが、葉っぱの形って、それぞれが当たり前のような形をしていても、やはり自然の完璧な姿をしているのだ。そのなかにあって、Sassafrasの葉っぱに限って、ほほえましいほどに奇妙な形をしていて、その奇妙さが可愛らしく、ほほえましいのだ。なんとなく愛嬌があり、哀しさも秘めている感じがしないかなぁ。
それに、このSassafrasというのは、いろいろと人間に貢献していてきた木でもあるのだ。ぼくが口にくわえて歩くというのは、そこに意味がある。つまり、枝にはほのかな香りがあり、しかも防虫、殺菌効果がある。だから、先住民族インディアンも、ヨーロッパからの移民たちも、この枝を爪楊枝にし、根っこをティーとして好んで飲んでいたのだ。今でも、この地方ではSassafras Teaは飲まれているし、飴の材料にもなっている。また、そのちょっと太い枝をこの地方独特の芸術的とも言っていい、こだわりの箒の柄として用いてもいる。そうしてみると、ぼくが住んでいた八ヶ岳の森に生えていて、春になると真っ先に黄色の花をつけるダンコウバイ(檀黄梅)と同じではないか。この枝の匂いといい効能といい、まさにSassafrasは日本のダンコウバイであり、有名なクロモジなのだ。
アパラチアンの春の花の写真コレクションは300を越えた。葉の写真コレクションも少しずつだが増えている。前回、数点公表した写真は、インターネット関係の影響か、すべてがにじんでアップされ、がっかりした。まだ、iBepalとPENTAXでアップした写真のほうが鮮明だ。実際は、そのアップ写真がもっともっと鮮明に美しく撮れているのだが、ブログでは期待できない。
夏も近づき、今の季節を代表し、ぼくを楽しませているRhododendron, Mountain Laurel, Sassafras をここではお見せすることにしよう。
それでは、
See you next time

PS
このブログを更新した1時間後、町のOutfitterに買い物に出かけてたら、なんとそこに斉藤さんがいた!!!
壊れたバックパックを新しいのに交換しにきたのだという。まさに予想どおり、このDalevilleで彼に会った。彼もかなりのスピードで歩いてきたようだ。が、アパラチアン・トレイルの歩きを心から堪能しているようだ。彼は、この町に滞在はせず、このまま山に入っていくというので、つい今まで、彼とPizzahutに入って、ランチをいっしょに食べながら、いろいろなお話や情報交換をした。彼のバックパックもそうとうに大きい。清水さんもそうだが(ぼくも)、日本人はみな小さいのに、バックパックはみな大きい。彼のバックパックは重すぎて耐え切れずに壊れたのだそうだ。
ぼくは、明日、スラックパッキングという方法で、3日間、逆方向に歩くので、明日か明後日、山のどこかで彼にまた会うだろう。そう彼に言って、別れた。スラックパッキングのことは、次のブログで書くことにする。

Mountain Laurel(山月桂樹)。あまりにも可愛くて,何度も立ち止まって微笑んでしまう.jpg
Mountain Laurel(山月桂樹)。あまりにも可愛くて、何度もたちどまって微笑んでしまう

そのクローズアップ。蕾のおいしそうなこと.jpg
そのクローズアップ。蕾のおいしそうなこと

こちらはRhododendron(石楠花)。歩く足元はこんな感じ.jpg
こちらはRhododendron(石楠花)。歩く足元はこんな感じ

Sassafras。この中途半端な葉の形に親しみがわく.jpg
Sassafras。この中途半端な葉の形に親しみがわく

投稿者 kato : 00:05
2005年05月16日

Trail Angel たち

数日前、ダマスカスを通過し、約100キロ歩いたところで、フロリダからわざわざぼくに会いにやってきてくれた和子&チャック夫妻に会い、その後、二日間、彼らがキャンプをしている(彼らは、フロリダからキャンパーでやってきている)キャンプグラウンドでいっしょに生活をし、極上のお手製料理をご馳走になり、ぼくの胃は完全にリッチになりすぎてしまったようだ。こうして町に下りるたびに、信じられないほどの食欲で、ホテルにいる間じゅう、いつも口のなかに何かが入っている。普段、町ではまず食べたことのないような甘いものから、ソーダ類、ステーキ、ピザ、ハンバーグと何でも食べる。そうした胃をなだめすかしながら、翌日、山に入る。山では言うまでもなく、すべてがフリーズドライだ。昼はトレイルミックスをかじりながら歩く。胃は、どうしたって美味しいものをほしがる。特に疲れているときは甘いものをほしがる。以前、山中でベイグルにブルーベリージャムをたっぷりと塗りつけて、大きな口に入れようとしている奴の横を通り過ぎる時、そいつを殴って、奪ってやろうかとさえ思ったほど、それがこのうえなく贅沢な食事で、よだれがでそうなほどうらやましく思ったことがある。以後、町に下り、ホテルに泊まるたびに、コンチネンタルブレックファーストのベイグルとブルーベリージャムをこっそり部屋にもって帰り、翌朝の山での朝食にしているぼくなのだ。
そのぼくが、アパラチアン・トレイルを歩いている間に食べることなど考えてもみなかった食べものを和子さんご夫妻が用意してくれていた。
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ぼくの最高のエンジェル,和子&Chack

おふたりは、フロリダの西の端にあるペンサコーラという町に住んでいる。和子さんは沖縄出身で、アメリカ在住すでに38年。ご主人は海軍と国防総省をリタイアした方で、おふたりの趣味は海釣り。しかも、場所は、あの憧れのヘミングゥェーのメキシコ湾なのだ。フィッシングボートを持ち、沿岸、沖合いと、さまざまな釣りをする。今回、ぼくにご馳走するために、彼らは釣りに出かけ、和子さんが刺身を作ってくれたのだ。
キャンプテーブルに出てきた刺身を見たときの胃の震えは、当然、言葉では言い尽くせないし、あの感動をどう表現したらいいか、わからない。ご主人がすぐ横のせせらぎで冷やしておいてくれた缶ビールを3本も飲んでしまった。それほどビールを飲んだのは何年ぶりだろうか。体調を崩し、医者にアルコールとカフェインを禁止されたのは、もう4年ほど前になる。そうでなくても、体調が悪ければ、アルコール類など、まったく飲む気にさえならなかったぼくが、今、こうして、かなり無茶なことをしていながら、快調なペースで歩いている。ぼく自身がむろんそうだが、5年前のぼくを知る者は、ぼくが別世界にいるように感じるはずだ。
和子夫妻に出されたディナーは、巨大Tボーンステーキ。そんな巨大なステーキ、普段ならとても食べきれない。それをなんなくぺろりと平らげた。翌日のディナーは、またしてもメキシコ湾産の魚のソテー。朝食は、パンケーキ。これも信じられないほど、何枚でも食べられる。翌朝は味噌汁にご飯ね、と和子さんに言われたぼくは、さらにパンケーキをも注文してしまった。味噌汁にご飯にプラスしてパンケーキなどという組み合わせは、むろんはじめてだし、金輪際これからもないことだろう。
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まさか、こんな魚料理がアパラチアンで食べられるとは・・・

町に下りたぼくの胃は、とりあえず、いかれている。シエラネバダの時もそうだが、今回も、まず町に下りてなにがほしいかといえば、何をさしおいても、ヴァニラシェイクなのだ。それも、マクドナルドのあの甘いヴァニラシェイクがほしい。次にステーキかピザ。そして、グロッサリーでポテトチップスとサルサやオニオンディップなどのジャンクフードを買い込んで、仕事をしながらホテルで食べている。
それでも、翌日からの山での生活では、気持ちを切り替え、胃を説得する。今のところ、それはうまく言っている。でも、今回は、刺身を食べてしまったのだ!!

和子さん夫妻は、ぼくの個人的なトレイルエンジェルだ。二日間のキャンプグラウンドでの生活の後、彼らは、ぼくが原稿を書くためにアービンダンのこのホテルに送ってくれ、さらに、ここからダマスカスのフェスティバルへ取材ででかけるため、昨日、今日と送り迎えをしてくれた。明日は、気持ちを切り替えて、再び山に入らねばならない。それも、彼らが送ってくれる。その間、彼らは山の公営キャンプグラウンドでステキなキャンプ生活をしている。うらやましい生活だ。リタイアしたらこういう生活をしてみたいという、理想の生活をご夫妻はしている。和子さんは、フロリダにあるロングトレイル「フロリダ・トレイル」の北のセクションをメンテナンスするヴォランティア組織の一員で、そういったことからぼくの本とぼくの活動に共感をしめしてくれているのだ。
ダマスカスのトレイルフェスティバルについては、A&Fのホームページに書くので、ここでは、和子さんたちとのキャンプ風景と、これまでのトレイルエンジェルの写真を公開することにする。
なお、次がいつブログ更新できるかは、今のところつかめないでいる。この先、おそらく20日ほどはハイスピードのインターネット環境は望めないはずだ。アナログの電話でなんとか試みてみるつもりだが、当初がそうだったように、たぶん、あまり期待はできないだろう。ということで、いつになるか、わからないが、
See you next time


歩きはじめて2日めのAngel。近くの町の教会からの差し入れだという.jpg
歩きはじめて2日目のエンジェル。近くの町の教会からの差し入れだという

9日めのAngelたち。トレイルにTrail magicとあり、誘われていってみると、芸術家集団の彼らがいた.jpg
9日めのエンジェルたち。芸術家集団だった。ライスにチリビーンズ、それに手製のサルサ・・・

雨のなかのAngelはテネシーから。この直後から雪になり退散。ステーキやハンバーグをご馳走になった.jpg
雨のなかのエンジェルたちはテネシーから。この直後に雪になる。ステーキやハンバーグをいただく

トレイルに張り紙があり、道路にでて、そのとおり行ってみるとこのログハウスの家。チリビーン、アイスクリームなどのもてなし.jpg

トレイルに張り紙があり、道路にでて、そのとおり行ってみるとこのログハウス。チリビーン、アイスクリームなどのもてなし

この渋いログハウスでも同じようなことが・・・.jpg
この渋いログハウスでも、同じようなことが・・・

道路からトレイルに入ると、こんなのもあった.jpg
道路からトレイルに入ると、こんなのもあった

投稿者 kato : 10:40
2005年05月10日

ぼくの日常は、すべて自然とともにある

ようやく、昨日の朝、ヴァージニア州に入った。入ってすぐにDamascusという町があるアパラチアン・トレイルは、この町のメインストリートを通過する。スルーハイカーにとって、当面の目標地点でもある。ここに入り、身も心もひと段落という町なのだ。理由はいろいろあり、そのことは先ほどiBepal に書いた。
ここまでの過程は、やはり思ったとおりいろいろあった。前に書いた足の問題が、ここ暫くの間、かなり深刻だった。はじめ、靴ずれから始まった痛みが、次に左足の踝上の骨の痛みになり、右足の親指の付け根の骨の痛みになり、ここ3日ほどは、右足の太腿の痛みから膝の痛みになり、右足の膝の痛みをも誘発した。
ぼくの長男がアメリカの大学でスポーツ医学を勉強していたということもあり、そのことを電話で話すと、そういった痛みの連鎖はよくあることで、典型的な悪循環が始まったのだという。
人間の歩き方というのは、とても微妙なもので、その人その人で独特な力の入れかた、力の配分のしかたがあり、どこか足の一ヶ所に問題ができると、それをかばうために、通常ではない力が違う場所にかかり、それがその箇所を傷める。そして、それをかばおうと無意識にまた違うところに力が入り、そこが悪くなる。
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めったにないこんなところでは、こんな写真を撮ってみたくなる

まさに、そのとおりのことが、おこってしまっている。Erwinを過ぎてから、一時、少し雨が降ったが、天候はほぼ安定していて、空はすっきりと晴れ上がり、気温も上がってきた。気持ちのいい尾根歩きや草原歩きが続き、足に問題さえなければ、最高の気分で、口笛を吹きながら、太陽を背に浴びながら、心おおらかに、多くの人々にシェアーしたいほどに幸せな気分で歩いているはずだった。ひとつ楽になると、必ず違う場所が痛む。この連鎖が腹立たしくて、悔しくて、思わず涙がでそうになる。

それでも、まあまあ順調な歩きが続いている。8時間で到着するはずの行程を10時間かければ歩ける。無理はしないほうがいいので、うまくかばいながら、調整しながら距離をこなしている。なんとか、じょうずにやりくりしながら、やがてはその状態から脱出したいと、前向きに考えようにしている。
と、マイナーな書き出しになってしまったが、心は、そんなに深刻ではない。むしろ、やはり歩くことの豊かさ、大地と常に接触していることによりいや増す自然への愛おしさ、永遠とも思えるほどのアップダウンを繰り返すことによる季節往来の楽しさを十分とはいえないまでも、大いに満喫している。
その季節なのだが、あの雪が降る前日から一昨日まで、ほぼ2週間、寒気が居座り続け、完全に春が止まってしまった。緑のまったくなかったジョージア出発し、少しずつ春の訪れを感じつつ、その季節の推移を感じつつ歩いていたのが、あの日以来、新緑前線が標高を上げなくなってしまったのだ。確か、4月の10日を過ぎ、もうあと10日もすれば緑は標高1000メートルを越えてくるというようなことを思っていたのが、その後、まったくと言っていいほどに、止まってしまったのだ。
あれからほぼ20日以上はたっているのに、このあたりの新緑前線は、まだ標高1000メートルで足踏みしている。それどころか、すでに芽吹いていた木々の葉の多くが、雪と寒気によって萎れ、枯れ落ちてしまった。早春のあの可憐な花たちの多くも、打ちのめされてしまっていた。それでも、なんとか耐え忍んで春を待つ姿が、歩くぼくの眼には、痛々しくもたくましく見える。
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季節が止まり、標高1200メートルでも、まだこんな風景だ

そしてようやく、一昨日あたりから、気温が上がり始め、春らしいうららかな陽射しと、心潤す春のそよ風とが戻ってきた。それにつれ、花たちも木々たちも、元気をとりもどし、昨日、今日と、森に春の甘い匂いも戻ってきた。そよ風に混じって、時々、サァッと強い風が吹く。すると山が鳴る。これを山の音というのか、風の音というのかと、考えながら歩く。突然、なぜだか、イメージはぜんぜん違うのだが、川端康成の「山の音」という小説をもう一度読み返したくなった。
太陽が森を照らすと、歩く気分も照らされる。山の音、風の囁き、森の香り、山の輝き、春の煌きの中を歩いていると、ぼく自身の心も緩んでくる。
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標高が下がって、ぼくの好きなハナミズキが緑に映える

そして昨日の朝、いつものように6時半に起き、朝食を食べ、テントをたたみ、8時前に出発し、一時間もしないうち、ふと、昨夜久しぶりにちっちゃな鏡で見た自分の顔を思い出し、ちょうど座り心地いい倒木に座り、髭の手入れをした。ダマスカスの町まであと10キロほど、という場所だった。そうだ、あのみすぼらしい、汚い顔で町に下りたくないと、ふいに思ったのだ。今まで、町に下りるとき、そんなこと気にもしなかった。きっと、春の麗らかさが、そんな気持ちにさせたのだと思う。でも、そんな気持ちが嬉しかった。
アパラチアン・トレイルは、かなり厳しいトレイルだと、あらためて知る。むろん、過去に歩いたことのあるぼくは、そんなこと、百も承知だ。承知の上で、さらに納得する。たとえば、メキシコ国境からカナダ国境まで4200キロ続くPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)と比べ、3500キロのアパラチアン・トレイルの方が、ずっときついという話を何人もから聞いた。昨年、そのPCTを全行程歩き、今回しばらくいっしょに歩いた清水さんも、同じようなことを言っていた。PCTでは、言葉では言い尽くすことができないほどの壮大な風景展開、日常から程遠い自然のスケールの大きさや意外さに驚く日々が続く。それに比べ、ATには、ほとんどそれがない。標高も低く、前半の900キロは、ほぼ森歩きが続く。風景の大きな展開は、めったになく、あっても、日常からそう遠くはない風景だ。人々が切り開き、生活している風景だ。しかも、ATは、ことごとくと言っていいほどにピークを越えさせるという過酷なトレイルだ。なんでこんなコブをわざわざ登らせるんだと文句をいいたくなる。それに比べ、PCTは山頂を避けて、迂回してつけられている。アップダウンの苦痛が少ないのだと言う。
むろん、PCTにはATにはない苦痛もある。水や食料補給。それにATほどに歩く人が多くないということからくる、孤独感という過酷さだ。
ただぼくは、恵まれている。アパラチアの自然が大好きなのだ。花や木々や苔や、そういったものたちで構成されている森が好きなのだ。それらの名前もけっこうたくさん知っている。アパラチア山脈の森が日本の森によく似ているということが、楽しくもある。なんだか日本の南アルプスや大峰山脈や秩父山系を歩いていると錯覚することすらある。それは、ある意味、つまらないことでもある。せっかくアメリカ大陸の反対側に来ているのに、日本の山と同じでは、確かにつまらないだろう。でも、植物や昆虫が好きならば、そこにあるそれらのものがどういうものか知っているならば、それは楽しいものなのだ。
しかも、アパラチア山脈、特に今歩いている南部にある、独特の文化と歴史にも、ぼくは強い興味を持っている。そういったことを、この森のなかを歩きながら、あれこれと考え、想像する。
多くのバックパッカーは、そういった楽しみ方を知らないようだ。ただ、ひたすら歩く。むろん、アパラチアという音を聞くと心が疼くと言う人々も、数多く歩く。彼らは、だからこそ、このトレイルを目指してやってくる。しかし、ぼくが接した若者たちの多くは、あまりそういったことに興味を持っていない。親しくなったバックパッカーにそういった話をすると、みな驚く。彼らが驚くことが、じつは、ぼくにとって意外なことだった。歩いてみて、歩く人を見て、アパラチアン・トレイルの印象は、少し変わってきた。そういったことは、またいずれ書くことにする。
きょうは、とりとめのない話になったので、とりとめのない、でも、ぼくの日常の写真を何枚かお見せしよう。
さきほどiBepalにも書いたが、いまこの原稿は、ダマスカスの隣のAbingtonという町のホテルで書いている。インターネット環境の問題から、今回もシャトルを頼んで、ここに来ている。今、夜中の2時半。いつもと同じで、また夜更かしの原稿書きだ。朝、ダマスカスに戻り、また歩き続けるのだが、4日後にまたダマスカスに戻ってくる。年に一度のTrail Festival があるからだ。そのレポートは、来週、またここで書くことにする。
テネシーの麓の村に一条の光射す.jpg
テネシーの山村に一条の光射す

一日に一ヶ所ほど、こういったシェルターがあるが、ぼくは使わない.jpg
一日に一ヶ所ほど、こういったシェルターがあるが、ぼくは使わない

前を歩くバックパッカーのこんな風景に、思わず足を速め、だれだろうと、確かめたくなったりする.jpg
前を歩くバックパッカーのこんな風景に、思わず足を速め、だれだろうと確かめたくなったりする

時々、こんな気持ちのいいランチもする.jpg
時々、こんな気持ちのいいランチもする

一人ぼっちだが、贅沢な時間だ.jpg
ひとりぼっちだが、贅沢な時間だ

投稿者 kato : 15:56
2005年05月02日

ブルーグラス・フェスティバル

前回ブログ更新してから、ずいぶんと時間がたってしまった。今、テネシー州のErwinという山間ののどかな町に下りて、これを書いている。久しぶりの高速インターネット環境だ。前回書いてから、天候に左右されて、予定をさらに2日遅れてここに到着した。途中、雪に見舞われ2日間テントに閉じ込められ、びしょびしょの雨が何日も降り続き、そういった天候は予測内にもかかわらず、やはり心身ともにずぶ濡れ状態の日々が続いた。風景もなにもない。ただひたすら歩く。結果、ここ数日、毎日のように一日30キロを越える歩きとなって、ようやくここにたどりついた。
ただ、iBepalでも書いたのだが、札幌在住で、一昨年ジョン・ミューア・トレイルを歩き、昨年、なんとパシフィック・クレスト・トレイル4200キロという、メキシコ国境からカナダ国境まで続くロングトレイルを5ヶ月で完全踏破した北海道の清水秀一さん(39)が、10日前にぼくに追いついたのだ。原稿を書くために何度も山を下りている間に、一週間後に出発した清水さんは、一日30キロから38キロを超える距離を歩き続けていたのだ。ぼくは基本的に一日8時間から9時間半ほどの労働なのだが、彼は12時間労働の日々が続く。清水さんのことはiBepalにいろいろ書いたので、お楽しみに。
ここErwinは、ぼくの好きな町だ。ここは3度ほど訪れた。周りを美しい山に囲まれたのどかな田園風景のなか、整然とした町並みが魅力的だ。教会が多く、伝統的なバーン(納屋)が緑のなかに溶け込んで、牧歌的な雰囲気をかもし出している。アパラチアン・トレイルはこの町のはずれを通過する。バックパッカーの多くは、この町で一日滞在し、シャワーを浴び、洗濯をし、栄養とこれからの食料補給をする。町の人々はATを歩くバックパッカーに好意的で、簡単にヒッチハイクもできる。ただ、バックパックを背負って歩いているだけで、停まってくれ、乗せてくれたりする。

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こんな田園風景のカバーブリッジを渡ってブルーグラス会場へ

できれな、こんな町で数日間を過ごしたいと、だれしもが思う。というぼくは、じつは二日間滞在することになってしまった。またしても、予定外の停滞で、さらに遅れる。4日前、Hot Springs から送った食料を含む荷物が、届いていないのだ。食料はここで調達すればなんとかなるが、大事な資料とカメラの交換電池が入っているのだ。カメラは昨日、ほぼバッテリー切れの状況で、このまま出発すれば、向こう10日間ほど写真が撮れない。
ところでぼくは、なんとラッキーなのだろうか。またしても、これはトレイルマジックだ。
昨日(4月30日)、Erwinに下りたのが土曜日。期待はしていた。それは、アパラチアン・ミュージック。あるいは、マウンテン・ミュージックともいう。
南部アパラチア山脈に点々とある小さな町の多くが、週末になると伝統的なコンサートをする。お年寄りから子供までがジェネラルストアーやバーン(納屋)などに集まり、フィドル(バイオリン)、バンジョー、マンドリン、ダルシマーなどの楽器を持ち寄って演奏し、その曲にのって、人々がバック・ダンスというステップダンスを踊る。
アメリカには、ブルーグラスという確立された、ステキなジャンルがある。ビル・モンローやラルフ・スタンレー、マック・ワイズマンなど、知る人ぞ知るミュージシャンがいる。ぼくの大好きな素朴な田園的な音楽だ。ただ、白人中心の偏った音楽ジャンルでもある。
このブルーグラスの故郷が、ここ南部アパラチア山脈なのだ。ヨーロッパからの移民がアパラチア山脈に定住し、人々の仕事の合間の娯楽が、アパラチアン・ミュージック、マウンテンミュージックとして、今もここに残る音楽であり、その流れをくむのがブルーグラスなのだ。さらに遡れば、そのルーツはスコッティッシュ・アイリッシュと呼ばれる、スコットランド系アイルランド人の故郷へと通ずる音楽なのだ。この山間の音楽は、そのほかにも、じつは、カントリー、ブルースから、ジャズまで、アメリカの音楽ジャンルに、かなりの影響を与えているのだ。
そのブルーグラスのフェスティバルが、しかも、年に一回の大きなフェスティバルが、ファーム・ミュージアムという伝統的な農場を保存した会場で、ぼくがこうして下りてきたその日に行われたのだ。
ぼくがアパラチアン・トレイルに興味を持ったかなり大きな要素として、アパラチア山脈に残る伝統文化と歴史とがある。ぼくにとってATは、ただ自然だけを目的としたトレイルではないのだ。なかでも、ぼくが最も興味を持っているのがこの音楽文化だ。そのフェスティバルに、まさか歩いているときに参加できるなんて、ぼくはなんとラッキーなのだろうか。
瓢箪は、このあたりで昔から栽培されていた.jpg
瓢箪はこのあたりの伝統的な作物だ

会場は、農家の納屋だ.jpg
納屋という会場が、ブルーグラスの雰囲気をよりかもし出してくれる

この少年のBuck dance は地元のチャンピオンだという.jpg
この少年のBuck dance は地元のチャンピオンだという

ブルーグラスの音楽を楽しくさせるのが、Buck dance と呼ばれるステップダンスだ。Buckとは雄シカのことだ。独特のステップで人々が踊るその姿は、外見単純、素朴なようで、人々の生活の喜怒哀楽が現れていて、感動的なステップダンスなのだ。何度か、他の町のジャンボリーにも参加して、こういった雰囲気の虜になったぼくは、そのステップの基本を知りたかった。それが、今回できた。
町に下りてきた数人のバックパッカーも、このフェスティバルに参加し、そのステップを教わったが、You got it!! (そうだ、その調子!)と言われたのはぼくだけだった。やった!
というわけで、きょうは、そのフェスティバルの写真をお届けした。
この後、おそらく10日以上、インターネット環境が整わないため、ブログ更新は難しいかもしれないが、どうぞこれからも、ご期待を!
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Jack-a-roo

投稿者 kato : 00:58
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