運命の出会い
予定を変更して、今、Newportという町にいる。グレート・スモーキー・マウンテン国立公園をきょう、無事に通過した。全長約107キロを5日で超えた。きょうは、今までで最高距離、約29キロを9時間かけて歩いた。今までのトータル距離も380キロを越えた。
一日に歩く距離を自ら競っているわけではないのだが、じつは、かなりの遅れが出ている。先ほどiBepalにも書いたのだが、このモバイルを持ち込んで仕事をしながらの歩きは、予想を遥かに超えてたいへんな作業なのだ。むろん、歩くバックパッカーがみなびっくりするように、その重さもさることながら、あまりにもやることが、日々多すぎる。夜、テントのなかでやる作業。町に下りたときにやる作業。寝る時間がかなり制限されている。だから、歩くとき、できるだけ距離を稼ごうとする。

まさに、グレート・スモーキー
その結果か、ついに靴づれを起こしてしまった。昔は無知からの靴づれがたびたびあったのだが、最近は、ほとんどなかった。今回も、300キロ近くまではなんでもなかった。普通、歩き始め、靴になじめないときに靴づれは起こすもの。だから、もうだいじょじょうぶだろうと安心していたら、なんとグレートスモーキーを登り始めるころから違和感が始まった。すぐにケアーして歩いたのだが、合計3ヶ所やられてしまった。そして、よくありがちなことなのだが、それを無意識ながらも、かばおうとして歩いている結果、膝の痛みが両足に出てしまった。膝の問題は5年ほど前から抱えていたのだが、今回、ここまで歩いたら、かなり膝を支える筋肉が発達してきているだろうから、もうだいじょうぶと思っていた。ぼくの膝には、ほとんど軟骨がないのだ。「歩きすぎ」、と医者にしかられるのだが、職業病だ。しかたがない。それを支えているのが、ぼくの筋肉なのだ。
きょう、仕事のためにニューポートに来た。国立公園を出て4キロほどのところにあるファームのオーナーに頼んで、30キロほどのこの町まで送迎してもらう約束をしたのだ。
ここのホテルには、高速インターネットの環境があるというのが、最大の理由なのだが、
実は、足を休ませるという理由もあった。きょう、ここに泊まり、明日、そのファームのキャビンに泊まり、2泊の休養だ。
そして、もうひとつの理由は、雷雨。今晩、明日と雷雨が続く。きょうも午後になってから遠くで、空を揺るがす轟音が、連続して起こっていた。黒い雲が走り、ぼくの歩きと競争だった。雨を恐れていてはアパラチアン・トレイルは歩けないが、できれば避けたいのが正直なところだ。できるときは、避ける。だめならば、諦める。じつは、歩き始める明後日も、たぶん雨だ。
ところで、以前にもトレイルエンジェルの話はした。今回、これまでにも、何人ものトレイルエンジェルのお世話になった。その中でも最高の贈り物が、一昨日あった。
前回ブログを更新したのが、ガトリンバーグだった。そこからトレイルまで車で40分かかる。ヒッチハイクで降りてきたのだが、これが、なかなかたいへん。うまくいくときもあるし、なかなかつかまらない時もある。なにしろ、山の汚い格好をした臭そうな男など、普通、乗せたくはないだろう。
その朝、ヒッチハイクでトレイルに戻ろうと、道端で親指を立てながら立っていると、逆方向から来た車が、ユーターンしてきた。そして停まると、「ニューファウンド・ギャップでしょ?」と、にこにこしながら青年が降りてきた。ラッキーと思い、お礼を言い、車に乗ると、「実は、ぼくもスルーハイカーなんだよ」と言う。
2000年にアパラチアン・トレイルをスルーハイクしたのだそうだ。そして、さらに話をするうちに、二人とも興奮状態になってしまった。彼は、じつは国立公園レンジャーだったのだ。彼の勤務先はこの公園ではなく、ブルーリッジ・パークウエイだ。ぼくはなんどもそこを通っている。アメリカの国立公園レンジャーはぼくの憧れの職業。今までにも、仕事で何人にもインタビューしてきたし、ジョン・ミューア・トレイルのレンジャーステーションで何人ものレンジャーと親しくなった。
ぼくがジョン・ミューアの本を出している話などをすると、彼の興奮は高まった。車が蛇行したほどだ。なにしろ、アメリカの国立公園の産みの親がジョン・ミューアなのだから。
2000年に彼が歩いたときのトレイルネームを、教えてくれた。「じつは、ワサビ!」。
彼は寿司が好きで、日本贔屓でもあったのだ。40分間、ふたりは大声を出しながらしゃべりまくった。
ぼくの英語は、ぼく自身劣等感を持っているほど、たいしたことがないと思っている。とくにヒアリングが苦手だ。にもかかわらず、彼との会話は流暢に進む。彼のしゃべりもよくわかる。
いつものことなのだが、ぼく自身の得意分野だと、ぼくの英語も割りと流暢だ。一般的には難しい単語が頻繁に出ているのだが、互いの専門分野だから、問題はない。
ニューファウンド・ギャップに着くと、「いっしょに暫く歩いても、いい?」と、言ってきた。彼は、今、休暇中で、毎日、デイハイクとフライフィッシングをこの国立公園で楽しんでいるのだ。それはそうだろう。勤務中に、国の役人がプライベートでヒッチハイクの人を乗せるわけがない。「ぼくもフライフィッシングをするんだよ。とくにシエラネバダを歩くときは、必ずロッドを持っていく」と話すと、さらに彼のトーンがあがる。
歩きながらも、ふたりの会話はとどまることを知らない。周りの木や花や鳥の話。その木々、とくに立ち枯れがひどいフレージャーモミやヘムロック、ほぼ絶滅してしまったチェストナット(アメリカ栗の木)の話になると、会話は深まる。ぼく自身、今回のテーマでもあるからだ。フライフィッシングから、アメリカのトラウトの生態、さらには、互いのプライベートにまで話が及び(彼の彼女もレンジャーなのだそうだ)、ついに、ぼくが今問題視しているアメリカの政治状況の話を向けると、彼は、まったくぼくに同感してくれる。
立ち枯れのひどいフレージャーモミ

稜線の岩に立つ
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彼が、パークレンジャーのアレックス(ワサビ)
きれいな花があると、図鑑を持っている彼は、それと照らし合わせ、匂いをかぎ、知っている花の名前は教えてくれる。
そうこうしながら6キロを2時間かけて歩いた。ぼくは、うれしくて、このままずっといっしょに歩きたかった。なにしろ、彼はインタープリター(自然解説者)のプロ中のプロ。
でも、そういうわけにはいかない。ぼくはその日、さらに20キロ近くは歩かなければならないのだ。別れが、名残惜しかった。互いのメールアドレスを交換し、これから、ずっと連絡を取り合おうと約束した。
「これから戻って、夜までフライを振るよ」、と言いながら、彼はもどっていった。ぼくにとって、ぼくが思いいれているトレイルに関して、こういう運命的な出会いは、いくつもある。ジョン・ミューア・トレイルでもそうだったし、ジョン・ミューア・トレイルとアパラチアン・トレイルを絡めた運命的出会いもある。ぼくは、こういった幸運、トレイルマジック、あるいはトレイルエンジェルによって、かなりの部分支えられているのだ。
グレート・スモーキー・マウンテン国立公園を歩いています
歩き続けている。きょうすでに330キロを超えた。ジョン・ミューア・トレイルの総距離とほぼ同じだ。それを実質2週間で歩いたことになる。とは言え、まだ全体の10分の1。グレートスモーキー・マウンテン国立公園を縦走中だ。東西に約115キロある国立公園のその背骨の部分を歩いている。その稜線はノースカロライナとテネシーとの州境にあたり、ぼくの右足がノースカロライナで左足がテネシーを歩いている。そんなこと、日本の山だったらいくらでもある。ぼくがかかわっていて、今年の夏オープンする予定の信越トレイルだって長野と新潟県境のトレイルだ。でも、日本の山を歩いていて、それを知っていても、そこまで意識したことはない。やはり、アメリカという国の大きさと、州自体の大きさが、ぼくの意識の底にあるからだろう。ノースカロライナ側に両足を入れてみたり、テネシーで休んでみたり。そんなことを楽しみながら歩いている。

朝靄のアパラチアン・トレイル
そこもすでに半分はこえた。そして、食料調達の予定に入っていない、しかし、一大観光地として有名なGatlinburgという街にヒッチハイクで下りることにした。この街は、ぼくも以前に何度か訪れているが、とにかくアメリカっぽい俗悪な街だ。治安が悪いとかいうのではないけれど、派手派手しいアトラクションや食べ物やが立ち並ぶ小さな街なのだ。でも、そこには数十のホテルがあり、それがぼくの目的だ。
じつは、いままでのブログをご覧になっておわかりのように、まともな写真がアップされていなかったことが、歩いていながら、ずっと気になっていたのだ。
というのも、いままで降りたいくつかの町には、まともなホテルやモーテルがなく、小さなホステルのようなところに泊まると、そこにはプライベートな部屋はなく、電話も共用なのだ。集中して原稿も書けず、ましてや共用の電話に遠慮しながらモジュラーをつないで、アップした。電話待ちをしている他の客がいるところで、時間のかかるブログの更新なんか、できなかった。同じように、iBepalにもまともに原稿が書けないでいた。ただ、そちらのほうは2本、原稿が届いているはずなので、近々アップされると思う。
稜線上は、まだ緑がない。冬色の世界だ。しかし、きょうのように、町へ降りてくると、そこは、初々しい新緑が満ち溢れた世界だ。そして、アメリカ東南部で特徴的なハナミズキの真っ白な花が緑に混じって咲いている姿は、言葉には言い尽くせないほどに美しい。
そういう世界を実際に歩けるのは、もうあと一週間か10日先だろうか。
でも、枯野を歩くうち、次々に春を告げる花が路傍に咲き始めている。はじめBlood Rootだけだった花が、今では、さまざなま種類や色が歩くぼくの眼を楽しませてくれている。
特に、この国立公園の稜線に登りついたときの感動は、どうやったらお伝えできるのか、わからない。
きょうは、そういった花々の写真のアンソロジーをお見せしよう。とは言え、このインターネットもアナログの世界なので、あまりたくさん、というわけにはいかない。
それでは、またお伝えできるときまで、
Keep going!!

まだまだ、林床はこんな感じ

blood roots
rue-anemone
sweet white trillium

spring beauty

そのspring beauty のカーペットが、今、国立公園の稜線に30キロにわたって続いているのです
200キロを超えました
4月8日 モーテルを7時起き。朝食を食べ、9時半、シャトルサービスでUnikoi Gapへ。11人という人数だったので、スーパー8のおばさんの車と2台。
10時、歩き始める。はじめはぐんぐん登りなのだが、調子がいい。休みなしでずんずんと登っていける。途中、長袖を脱ぐとき、リップクリームホルダーをなくすが、すぐに見つかる。モーテルに泊まっていたグループが心配してくれたが、見つかったとわかると、みんなたいへん喜んでくれた。驚いた、Bagle もブルースハープを持ってきている。途中、ふたりでセッション。そこにLittle Steps がきて、大喜び。Little John と彼女は今晩はTray Mtn Shelter に泊まる。いいペースで歩く。登りもいける。途中、雨が降ってきて、はじめてレインウェアーを着る。降ったりやんだり。Bagleが追いつき、しばらく一緒に休む。Ipodの話をすると、彼もソニーを持ってきていた。
最後のKelly Knob はそれでも苦しかった。休み休み登り、Deep Gapへ。ブルーブレイズの道をシェルターへ。
だれもいなかったが、その後、4人の若者が来た。ぼくひとりテント。あとはシェルター。夕刻、雷雨がやってきた。テントのたたく雨の音がすごい。遠くで轟いていたのが、突然
2度近くで落ちた。
Bagleが来るかと思ったが、来なかった。先に行ったのだろう。きょうは、知らない人ばかりなので、誰とも話さずに寝る。挨拶だけはした。

4月9日(土) きのうまでの雨もよいの天気と違い、朝日がまぶしかった。晴れ。
ふたりのバックパッカーと話す。ひとりはボストンからきているAndrew Sulliban もうひとりはSean Edmnndson。彼はノースカロライナからで友人と犬(シベリアンハスキー)と歩いている。友人はDanny Perkins。犬はToshi。
みなスルーハイキングを目指すが、かなりゆっくり歩いているので、果たして到達できるのか。この日、シェルターに泊まったもうひとりのソロハイカーはイングランドからというが、話はできなかった。
8時50分出発。
10時05分、Dicks Creek Gap。ちょうどBlueberry patchのオーナーがきていて、話す。
さらに、どこかのモーテルの親父からスプライトをご馳走になる。
Blueberryに5年ほど前、日本人が泊まったという。日本人は彼だけだという。おそらく、
メインの大学を卒業し、いつか池袋で会った、斉藤さんではないだろうか。
Blue Ridge Gap 13:00。その前のGapで会ったスルーハイカー, Easy?と話す。彼はNJからで60歳は超えているだろうか。実にゆっくりと歩くが、着実に距離を稼ぎ、けっきょくMuskratまで来た。きょう親しく話をしたのは、彼だけ。
Muskratには10人ほどが泊まっているが、ぼく自身がかなり疲れているということもあって、ほとんどはなしをしないまま、テントに入っている。彼らはみに親しそうに話をしているが、ぼくがこうして篭っているので、変わり者と思われているかも知れない。
きょうは、あまり調子がよくなかった。それでも、今までで一番距離を稼いだ。24.16km。
14時33分。Bly Gapでジョージアを越えてノースカロライナに入ってきた。125.12km歩いたとになる。Bly Gapからがきつかった。前回、雷雨のなか、Bly Gapでテントを張り、外でサラミをかじって夕食としたことを思い出した。あまりにもひどい雷雨を尾根上のテントで迎えたことが怖かった。翌日、強雨のなかをきつい登りを歩いた記憶があるが、今日ほど疲れた記憶はない。結構、楽だったように覚えている。きょうは、ほんとうにきつかった。足に力がなく、急な登りの連続で、ほとんど30メートルほど歩き、下を向き、バックパックを背中に乗せて休むという連続。
16時47分。Muskrat Shelter 着。疲労困憊。今の体力だと、20キロまではなんとかリズムをつかめて歩けるが、それを越えると、急速に体力、足の力が落ちるようだ。ただ、腿の攣り、足の痛みがほとんどなくなったのが、ありがたい。
いま、ジョンデンバーを聞きながらこれを書いているが、ipodはとてもユースフルでありがたい。

4月11日(月)at Siler Bald Gap
きょうは一日、気持ちのいい歩きだった。石楠花とローレルのトンネルの木漏れ日がきれいだったし、落葉樹の森のトラバースもよかった。余裕を持って歩け、途中、路傍の花の写真もたくさん撮った。トレイルエンジェルには感動した。コーラとドライライスのビーンズ添えを手製のサルサで食べた。おいしくて、おかわりした。
途中会ったふたりのソロハイカーのおばちゃんたちもよかった。ヴァージニアからのキャロラインは、同じサイトでテントを張ったが、この日、はじめて会話した。孫がいるのよ、といっていた。
トレイルエンジェルの話によると、2週間前、oriental legs という日本人が来たという。スルーハイクを目指し、ウイスコンシンのマジソンに住んでいるらしい。もう58年も住み、68歳だという。先日聞いた、その日本人かもしれない。
きょう、サユリさんからの情報だと、やはり斉藤さんという人もアパラチアン・トレイルを歩くらしい。清水さん10日から歩きはじめているはずなので、今年はどうやら4人の日本人が歩いていることになる。すごい。それぞれの情報がほしいものだ。
きょうは、きのうよりもさらに距離を稼ぎ、15.9マイル歩いたことになる。25.44キロだ。
ここのシェルターは半マイルわき道を歩いたところにあった。他に4人いた。ぼくだけ、またはずれたところにテントを張る。付き合いの悪い奴と思われているだろう。
4月12日(火)at Wesser Bald Shelter camp 外は雨
Siler Bald shelter camp を7時起き、8時20出発。起きたときはどんよりとした曇り空。
暗くなりはじめたころ(20時)すさまじい雷雨。テントを張っているときに降らなくて良かった。
あるきはじめて30分ほどで、ぽつぽつと降り始める。Siler shelter はラウンドしていて、どちらから歩いても半マイル。下った谷にあるため、もどりは思いっきり登りだった。Siler Bald で完全に道を間違え、10分ほど山を登ってしまった。そのころから雨。
9時15分、久しぶりにキジウチ。
11:40Wayah Bald 着。Observation tower で昼食中のクリス(ケンタッキー)に会い、挨拶。ベイグルにジャムをぬって食べていたのが、おいしそうだった。14:20大雨のなか、Cold Spring shelterにもぐりこむ。クリスももぐりこむ。先着4人がいた。ふたりは、雨のなか、出発していった。ふたりは3日間のショートハイクでデイパックひとつ、毛布に包まっている。ぼくのバックパックが大きいことにみな驚いている。クリスにせよ、スルーハイクをする人のバックパックは小さい。その上、運動靴で歩く人が多いのには驚く。
途中、Bodachious というアーカンソーからの男が来る。彼はなんと昨年4月PCTで清水さんに会ったという。彼のトレイルネームはビアーだそうだ。おととい彼もスプリンガーを出発したと言うと、驚いていた。
雨がこやみになったので、出発。天気は徐々に明るくなり、晴れ間まで見える。ラッキー。
しかし、最後のWesser Bald への登りがきつく、ぜいぜい言いながら、なんとか到達。そのタワーで昨年、Bodachious はテントを張り、夕焼け、朝焼けのすごいのを見たという。どうだと聞かれたが、今回は天気が怪しいのでやめることにする。やめてよかった。その晩、雷雨がきた。
きょうは今回の距離の記録達成。17.9mile。28.64km。
そして13日。予定通りWesser へ。すでに200キロ歩いたことになる。
4月7日ヘレンより
歩き始めて4日め。ヘレンというへんてこな町におりてきた。普通の人だと、きっと可愛い、とか、ステキとかいう感じのこぎれいな町。スイスをイメージして作られた観光地。でも、臭くて汚いぼくたちにとっては、アナザー・ワールド。居心地が悪くて、落ち着けない。
この4日間、どんなだったかは、iBepal に書いたので、そちらをどうぞ。
アパラチアン・トレイルを歩くバックパッかーは、ほぼ、全員がトレイルネームを持っている。ぼくのトレイルネームは、ミシガンに住む友人がつけてくれた「Whistling Jack Rabbit」だったのが、ジョーが、「それは呼ぶのに長すぎるから、Jack-a-roo がいい」と、ふたつめのネーミングをくれた。意味はたいしてないのだけれど、音がいいし、Jack Rabbit を短縮したのだと言えばいいと、ジョー。
それを使って、会うバックパッカーに自己紹介すると、これが、とても評判がいい。「やー、ジャッカー・ルー!と遠くのほうから声をかけてくる。テントを張っていると、早いねぇ、ジャッカー・ルーと、送れてやってきた奴が近づいてくる。
おもしろいトレイルネームがいろいろある。たとえば、テキサスからの二人組は、Lefter & Righter。右と左だ。 ペンシルバニアからのおじさんは、The flying Pig。空飛ぶ豚。シカゴからの二人組は、Dirty Harry とStink foot。汚いひげ面と臭い足。まだまだいろいろ面白いのがあるけれど、きょうは、ちょっと時間がないので、このへんで。

Blood Mountain 山頂より。南部アパラチアンは、こんな風景が2ヶ月ほど続く
3日スタート!
食料のほか、重要な書類まで紛失。時間がたつにつれ、ショックは悔しさと怒りに変わってきた。その症状がひどくなり、ほとんど一睡もできない夜もあった。それでも、気を取り直し、気持ちを前向きにきりかえ、食糧調達をし、昨日、ようやく20を越えるパッケージ詰めが終了、パッキングもすんだ。想定どおり機材一式を含めて25キロ以内に抑えることができた。ただ、後半(7月以降)の食料は、時間がないなか、かなり大雑把に集めたことによって、ばらつきがある上、相当量、足りない。それらは、なんとか時間を作って、それぞれのトレイルアウト先で調達することにする。

Adams Family
Adams house. Joe built this house in the Appalachia mountain slope.
セクション別に用意していたガイド&マップセットも、その80パーセントが紛失しまっていた。これに関しても、ふたつのセクションを除いて、なんとかそろえることができた。足りないものについては、ジョーが急いでインターネットで買い、食料といっしょに、必要なセクションに送ってくれることになった。
天気は、ひどい。アトランタに到着して以来、一週間になるのだが、晴れたのは2日間だけ。雷雨が4日もあり、そんな天候のなかを歩くのかと思うと、ちょっと腰がひける。当初の1日に出発していたら、恐ろしいほどの雷と強雨のなかを歩いていたことになり、延期してよかったんだと、思った。ただ、甘くはない。なにしろ、アパラチア南部は雨が多いところなのだ。
ジョーの家族を紹介しよう。ファミリーネームはアダムス。そう、Adams family だ。
ジョーは5人家族。Family name は Adams 。そう、Adams Family なのだ。Joseph(Joe), 妻のSayuri, 長女 Salah(星良セーラ6歳), Etowah(英登和エト5歳, Selu(世瑠ルー4歳)。素敵な家族だ。JoeがAETのプログラムで交換教師として1990年から6年ほど、北海道、千葉、山梨に住んだ。そのときの関係で、小百合さんと結婚。そして、このDahlonegaに住む。町から車で10分ほどの山中のスロープに自ら家を建て、今はフリーのカーペンターとして、生計を立てている。ワイルドで質素な作りの家で、まだまだこれから手を加える夢を持っている。小百合さんに言わせると、「外での仕事(大工仕事)は一生懸命やるが、なかなか自分の家に手をつけてくれない」。
子供たちは笑顔がとても可愛い。素直に育ち、しかもどの子も好奇心旺盛で、表現力が豊かだ。積極的にお母さんの仕事を手伝う。
Joeのことはご存知の方もいるはず。じつは、2年ほど前、NHKのBSで放送されたトレッキング女優シリーズで、本上まなみがアパラチアン・トレイル最北端を歩いたときのガイド役として登場している。ぼくが彼と知り合ったのは、その関係から。番組の製作会社から、アパラチアン・トレイルに関するアドヴァイスを依頼されたのがきっかけで、後日彼がわが家に遊びに来たことがあるのだ。
アパラチアン・トレイルを歩こうと心に決めていたぼくにとって、彼の存在は、とても大きなものになった。彼らは、ぼくのトレイルエンジェルなのだ。
こういう人々のことを、アパラチアン・トレイルを歩くバックパッカーたちはそう呼ぶ。かつて、何度かセクションを歩いたぼくも、彼以外のトレイルエンジェルに何度となく助けられた。歩く過程のなかで、おそらく、さまざまなトレイルエンジェルのストーリーがあるはずだ。ぼく自身、それを楽しみにしている。

