いきなり、トレイル・デビルに遭う
3月27日。アトランタに到着。迎えにきてもらった友人のジョーとともに、彼の家がある、Dahlonega に入る。そこは、ジョージア州にあるアパラチアン・トレイルのスタート地点近くのゲートタウン。こんな田舎のスタート地点に友人がいるなんて、とてもラッキーだし、ぼくの出発準備を手伝ってくれる彼らは、まさにトレイルエンジェルでもある。
Dahlonega のダウンタウン。アメリカ最初のゴールドラッシュの町
が、なんたることだろう。日本にいるとき、もっとも心配していた事態が、こちらに来て、はやくもおきてしまった。3月10日に日本からジョー宛に送った食料その他を入れたダンボール3箱のうち、1箱がまだ届いていないのだ。遅くとも20日には届くはずなのだが、食料輸入に厳しいアメリカに60キロほどの重さの食料を送っているわけだから、間違いなくチェックはされるだろうと、想定はしていた。
しかし、届いていたその2箱とも、送った時のダンボールとは違う箱に入れられ、しかも、中身が半分ほどしかない。まだ届いていない箱分もふくめると、全体の5分の1ほどしかないのだ。さらに、同梱しておいたセクション別のガイドブック&マップセットのうち5セット、10冊のメモ帳のうち9冊も届いていない。残りのボックスが届いたとしても、これらの数字を埋めるだけのものが入っていることは、まず考えられない。
セキュリティーの厳しさを誇るくせに、アメリカという国の杜撰さにまたしてもやられてしまった。かつても、こういう被害にあっているだけに、やっぱり、またしても、という気持ちが強い。
ま、それでも、沈んでいてもしかたがない。紛失してまった分は、こちらで調達するしかない。膨大な数の食料を集めるだけでもたいへんな時間とお金がかかる。その上、それを仕分けして20箇所を超えるポストオフィスに送る作業もある。
途中、なんどもトレイルアウトして下りる麓の町でそれらを調達する時間がないぼくには、やはり出発前になんとか準備するしかない。アメリカに住むバックパッカーは、前もって送る分と、行程が進むたびに家族や友人に送ってもらったりする。が、外国人の場合は、自分で調達し、前もって送るか、その都度、町で買出しをするという方法しかないのだ。
出発前に、このDahlonegaで4日間ほど、かなりすべきことがあったぼくなのだが、それどころの騒ぎではなくなってしまった。4月1日の出発日を延ばすことも、今、検討している。日本からの延長で、睡眠不足のままスタート日を迎えることになりそうだ。
いきなりの暗いストーリー展開で、アパラチアン・トレイルのジャーナルが始まってしまった。
行ってきます
きょう夕刻、アトランタへ向けて出発します。4日前に新居に移り、ダンボールの山に埋もれながら、4日間片付けに専念している姿を友人が見て、どうみても、明日から7ヶ月も海外へ出かける姿ではないと、笑いました。とりあえず、膨大な本を書棚にぶち込むだけで、せいいっぱい。
ともあれ、きょうからはようやく、100パーセントアパラチアンモードになれます。
存分に歩く旅を堪能してきます。さまざまな形のレポートを楽しみにしていてください。
行ってきます。
こんな怪しいもの、さすがにやめました
3月27日出発に向けて、最後の準備段階に入ってきました。あと10日後にはジョージア州スプリンガー・マウンテンを出発し、歩いているはずです。あっけにとられるほどの速さで日めくりがめくられていきます。
3日前に、出発前最後の原稿を書き上げ、きのう、装備チェックをすませ、パッキングしました。機材なしの重量が20キログラム以内におさまるようにと,1グラム1グラム慎重に装備を選び、すべての重さを量りパッキングした結果、20キロを切ることに成功。モバイル、カメラなどの機材も予定どおり5キログラムにおさまり、完璧に近いパッキングに成功しました。

パッキング総重量24.5キロ(機材こみ)。理想の重さです
今回、バックパックはGregoryのPalisade

セクションごとに小分けした砂糖と粉末クリーム。あまりにも怪しすぎたので、持っていくのをやめました。これが理由でアパラチアンできなくなったら、もともこもないので・・・
これでひと段落といきたいところですが、じつは、そうはいかないのです。この23日に、なんと引っ越しがあるのです。横浜市南区から、おとなりの磯子区への引越しになるのですが、なにしろ、あまりにも出発日と接近しすぎて、今、家のなかは大混乱、頭のなかも大混乱です。おりしも、確定申告のシーズンとも重なり、さらに昨年まで住んでいた八ケ岳の土地建物を売却した関係の税金申告もあり、ほとんどパニック状態でした。が、しかし、それらは、ぶじすますことができ、残りはバックパックを明後日、成田空港に送れば、あとは引越しのみ。
昨日から、友人が手伝いに来てくれて、なんとかめどが立ちました。ただ、引越しにともなうさまざまな手続きと連絡事項が山とあり、いま、その整理をしているところです。
出発までに、少し時間ができたら、この次は装備のお話を少し書きます。お楽しみに。時間切れでだめだったら、本番で書きますね。
食糧、ぶじに届くかなぁ?
指折り数えるほどに、出発が迫ってきました。
3日前、食糧をアメリカのジョージアに住む友人宅に向けて郵送しました。ダンボール3箱。約60キロ。100日分を超える食糧ですから、この重さに抑えられたということは、さすがフリーズドライですね。ただし、アメリカの食糧輸入規制から、肉類などが入っているものは、一切はぶきましたので、残りは向こうで調達です。

食糧はセクションごとにジップバッグに分類
ほんとうは、かなりの部分をアメリカで調達しようかとも思ったのですが,ぼくの場合、仕事半分なので、トレイルアウトして、町でそういうことに割く時間があまりないのです。
町に下りて、まず郵便局に送っておいた食料を取りに行き、安宿でシャワーを浴び、コインランドリーで洗濯をし、自らの栄養補給をし、宿にもどって、トレイルで書いたジャーナルをまとめ、デジ写真を整理してパソコンに落とし、原稿を書き、写真を添えて日本に送信し、かつ、自分のブログをも更新する。歩いている間に届いているであろうメール類をチェックもする。翌日からの行程を調べ、日程を調節する。
そして、翌日、早朝にはヒッチハイクでトレイルに戻る。
こんなにたくさんのすべきことがあれば、きっと、町のスーパーなりに出かけて、食糧調達なんて、たぶんできないでしょう。
食糧を郵送したので、少しは落ち着きました。それまではぼくの家のリビングルームは食糧で埋まっていたのです。それにしても、たいへんな作業でした。なにしろ大きなダンボール3つぶんがすべて食糧なのですから、向こうでは必ず開けて,チェックされます。ウソは絶対に書けないので、正直にそのコンテンツのひとつひとつをインヴォイスに書き添付。さらに、それだけの食糧なので、商用として使うと思われてしまいますので、その目的やら日程やらを英語で文書にして添付。
しかも、3月27日にアトランタ入りして、4月1日にトレイルを出発するまで、あまり時間がないので、6ヶ月の行程のうち25ヶ所で食糧補給をするという行程表を作り、それぞれのセクションごとに朝昼晩に分けてジップバッグに入れるという作業をすませました。実際に、25ヶ所の郵便局に発送するのは、アメリカに着いてからです。
ただ、ぼくは恵まれています。こういう仕事をしていることの恩恵です。あちこちにできた友人が、ぼくを助けてくれるのです。
食糧を送付したジョージアの友人ジョゼフは、じつはアパラチアン・トレイルのゲートタウンであるDahlonegaという町に住んでいるのです。しかも、奥さんは日本人。こんなラッキーなことはありません。彼は、あるいはご存知の方もいらっしゃるかもしれません。数年前、本庄真奈美がNHK・BSの女優トレッキングシリーズの番組で、アパラチアン・トレイルの北のほんのチョコッと歩いたときの案内役兼コーディネートをした人です。じつはこの番組について、ぼくはアドヴァイスを頼まれた経緯があるのです。その番組の後、プロダクションのスタッフから紹介されたのがジョゼフだったのです。
彼がいなければ、公共交通手段を乗り継いで、さらにシャトルを雇ってスタートポイントに行くことになります。こういうコネがないすべてのバックパッカーは、アメリカ人であろうとなかろうと、みなさまざまな手段でアプローチトレイルに向かいます。ジョゼフに感謝!
なにはともあれ、食糧がぶじに届くことを祈るしかありません。なにしろ、大量の食糧です。最悪、送り返されるケースもありますと、郵便局に言われました。
もういちどだけ、すみません
ごめんなさい。これが最後のスノーシューです。
2月27日(日)、インフォメーションでもお知らせしてありました、日本トレッキング協会のスノーシューイヴェントに行ってきました。場所は入笠山。ぼくが住んでいた八ヶ岳の富士見高原のちょうと対面にある山で、南アルプスの一角をなしている山です。
初夏にはスズランをはじめ、さまざまな高原の花が咲き乱れることで知られています。この山をぼくは大好きで、八ケ岳に住んでいるときは、しょっちゅう訪れていました。
この日、なによりも、なによりも、今年出かけた吹雪のなかでのすべてのスノーシューイングを否定するような快晴。紺碧の空の下、30人ほどの参加者たちは、大感激。

完璧な紺碧の空。文句あります?
八ケ岳は、日本の3000メートルを超える高い山のほとんどを観ることができる絶好の位置にあり、展望のすばらしさを誇っていますが、じつは、入笠山はそれを超える展望なのだと、ぼくは密かに思っていました。
その入笠山が、ド快晴だったのです。北,中央,南アルプス、富士山、御嶽山,乗鞍山、奥秩父連峰ばかりではなく、後立山連峰まで見えるのです。そして、なにより、八ケ岳が目の前にその迫力をさらしています。八ケ岳の広い裾野に形成される富士見高原全体が斜めに傾いて見えます。その迫力、美しさは圧巻です。

八ケ岳です。ハハハハッハッハッ!
そして、翌28日から3月2日までは、草津高原へでかけました。これは「ヤマケイJOY」の来年冬号の取材です。こちらは、前日のような快晴とはほど遠く、乗るはずだったロープウエイが風速30メートルに近い強風が一日吹き荒れていたため運転中止となり、予定していた逆のコース。草津の町からすべてが登りという行程で、歩いてきました。
草津の高原を歩いたのは、じつははじめてのこと。子供のころからゲレンデスキーにも親しんできたぼくでしたが、なぜか一度も滑ったことはなかったのです。
草津自体は、何度も通過はしていたものの、その温泉にもつかったことすらなかったのです。初日、麓の温泉に泊まり,翌日、白根山の麓にある芳が平という高原にポツンと建つ、芳が平ヒュッテまでスノーシューイングを楽しみ、最終日に草津の公共の湯につかって帰ってくるという、優雅な旅。当初、すべてが下りの予定が、強風のため、すべてか登りとなってしまいましたが、それはそれ、なかなか素敵な旅でした。下りはテレマークスキーヤーに任せればいいのです。なにしろ、スノーシューは歩くための道具。
あ、そう言えば、2年前、国立公園をテーマにした国際シンポジウムにパネラーとして参加したとき、アメリカのマウント・レイニア国立公園長が話していたスノーシューのことを、同時通訳が、その都度「雪靴」と訳していたのを、途中、ぼくが気づいて、通訳に「西洋カンジキ」と訳すように指摘したことがあったっけ。
それにしても、芳が平ヒュッテはすばらしかったです。写真たくさん撮ってきたのですが、ぼくが写っている一点だけ、載せます。来季「ヤマケイJOY」冬号に載るストーリーを、星野カメラマンの写真とともに、お楽しみに。あ、そうそう、もうひとつ蛇足ですが、その原稿締め切り日、なんと、アパラチアン・トレイルが終わって帰国する前に、アメリカでむかえるんです。アパラチアンの興奮さめやらぬなか、書けるのかなぁ・・・。

怖い、ですか?

