色彩(いろ)なき石も花と見き

John Muir Trail2007
発売されたばかりのビーパル5月号で対談をお読みになった方、さぞや驚かれたことでしょう。それを機会に、このブログでも公表させていただくことといたしました。いつどのような形で公表すべきか、悩み続けてまいりました。
ビーパル5月号で、創刊30周年記念特別対談として野田知佑さんと語り合いました。その対談でぼくの現実を、はじめて一般読者に告白することになりました。そもそもその対談は、ぼくの現実を知りショックを受けた野田さんからの提案でした。「加藤、対談をやろう」。野田さんとぼくとの関係は、野田さんがまだまったく無名で30歳代。ぼくが編集者の時代に遡ります。そのころの、誰も知らない野田さんのエピソードをたくさん持っているぼくは、これを機会にその懐かしき時代を語り合いたいと、対談を受けることにしました。
じつは、野田さんが2月に出版された絵本『ささ舟カヌー・千曲川スケッチ』野田知佑・文/藤岡牧夫・絵(平凡社刊)のあとがきの最後に、ぼくの現実を書いています。ただし加藤ではなく、友人K。島崎藤村の『千曲川旅情の詩』を引用しつつ、次のように記されています。
先日、Kに会った。病気が進行して体が動かなくなる前に、千曲川をもう一度一緒に下ろう。そして、「千曲川いざよう波の 岸近き宿に登りつ 濁り酒濁れる飲みて」、来しかたのあれこれを懐かしもうじゃないか、という話をした。
それを読んだぼくは、千曲川旅情の詩は、ぼくが学生時代から愛し詠んでいた詩だったこともあり、感極み胸底掘り起こされ、野田さんとの懐かしきあれこれが一気に蘇ってきました。そして、この対談へと至ったわけです。
その現実がなにか。自らのなかでも、まだ信じがたき思いがあるからなのか、ずるずるとここまで引き伸ばしてしまいました。
じつは、治癒の術のない難病として国が指定する病、筋萎縮性側策硬化症(ALS)であることを、昨年、6月に宣告されたのです。筋肉に指令を発する神経細胞が破壊されていく病で、唯一ある薬も、筋肉破壊のスピードを緩める効果しかありません。宣告は、ある意味、死へのプロセスを提示されたことでもありました。発覚以来、日々、月々、明確に筋力が低下し、とりわけ今年になり、残酷なほどのスピードで筋力がそがれ続けています。今、すでに杖なしには歩けず、やがて近々車椅子生活になるかと思います。まだ、ぼくの場合喋る筋肉、食べる筋肉、呼吸する筋肉は十分にありますが、いずれこれらの筋肉もなくなり、やがて終焉を迎えます。
受け入れたくない気持ちは、未だにあります。が、ぼくは、死へのわかりやすいプロセスを提示されたことで、残された人生設計を描きやすくなったと捉え、すでに覚悟を決め、死をも含め受け入れています。これから、できることをできうる限り続けていくつもりです。
これまで、応援してくださった多くのみなさま。ほんとうにありがとうございました。みなさまの支えあってこその幸せなもの書き生活でした。衷心より感謝申し上げます。
これまでのように、自ら自然を歩き、歩く視線からものを見、触れ、感じ、考え、発信するぼくのスタイルは不可能になりましたが、これからも語れる限り、講演等でお話しさせていただき、今までのようにはいかなくとも、可能ならば書くことも続けていくつもりです。
病に伏した人生ではありますが、たとえ遠くとも見つめ続けてくださることにより、それを励みとしてゆっくりと歩んでいくつもりです。
ぼくのこのような現実があり、以前このブログでも紹介したように、妻が新たにブログ「加藤則芳 ロングトレイル行く」を立ち上げました。ロングトレイルはぼくの人生そのものでもあります。長くはなくなりましたが、できうる限り人生のロングトレイルを歩き続けるよう頑張ってまいります。今こうしてキーボードを叩いていますが、じつは、すでに指の機能麻痺が始まり、人差し指で叩いています。もともと極めつけなまけものブロガーでしたが、これからはやりたくとも、ブログ更新ままならなくなります。妻のブログはぼくのブログを引き継ぐ役割を担います。ぜひ、ときどきにでも、覗きにきてください。
たいへんなご心配をおかけしてしまったこと、お許しください。

