人の住む風景の愛おしさと、苦しみと
すさまじい一週間だった。これまで、むろん日本を含めて体験したことのない激しい雷雨が、3日間続いた。3晩、身の縮むような閃光とすさまじい轟音におののきながら、テントの中で過ごした。雷雨は遠のいても、豪雨が何日も続いた。少し小ぶりになり安心していると、数時間後にまた遠くで始まった轟きが、徐々に近づき、やがてその直撃を受ける。そんな一週間だった。全身ずぶ濡れ。テントもバックパックも、なにもかもがびしょ濡れ。
テントの中は、さすがにゴアテックスの威力で、気持ちよく寝られるのだが、朝、雨の中でテントを畳むときの惨めさ。それをバックパックに詰め、倍になった重さを背負って、豪雨に打たれながら歩き続ける辛さ。そして結局は、バックパックの中もびしょ濡れになってしまう。パソコンとかデジタルカメラとか書類とか、絶対に濡らしてはいけないものは、すべてカヌー用の防水袋にしまいこんでいるせいで、それら中身らは、濡れてはいない。
気温は連日30度を越えた中での豪雨。湿度は100パーセント。雨が上がっても、90パーセント近い高さ。レインウェアーは着ない。この季節、レインウェアーを着るバックパッカーはいない。いつもの姿で、Tシャツからパンツから濡れるに任せて歩く。雨がなくても、ここのところ、すさまじい湿気で汗がまるで滝のように全身を流れ、曇る眼鏡と、汗の臭さにうんざりしながら歩いていた。ぼくのフィールドであるシエラネバダの、あのジョン・ミューア・トレイルの暑さには湿気はない。乾燥した空気のなかで、じりじりと陽に焼けながらのバックパッキングだが、ここは違う。汗のにおいがほとんど気にならなかったジョン・ミューア・トレイルとは正反対。これがぼくの発する匂いなのかと、きれい好きのぼくにとっては、死にたくなるほどの臭さ。その匂いに、大量の蚊やハエがまとわりついてくる。常に歩きながら耳には蚊やハエのあのいやな音がうなりつづける。休憩しようと止まったとたんに、その敵たちは、いっせいにぼくの身体をTシャツの上からさえも刺しにくる。今、ぼくの身体には、数えただけで40を越える刺し後がある。
汗と雨とでずぶ濡れの服を着てテントに入りたくない。そこで毎日テントを設営したあと、水辺から汲んできた水でタオルを濡らし全身を拭き、すべて乾いている服に着替えてからもぐりこむ。濡れて臭い衣類は、木の間に張ったロープに吊るす。雨がどれほど激しく降っていようが、衣類は濡れ放題。どうせ、明日も同じだ。そして朝、その濡れそぼった衣類に着替える。下着だってどれほど新しいものに着替えたくても、それは意味のないこと。同じ下着を濡れたまま履く。ソックスも同じ。どれほど臭くても、新しいソックスを履けば、数分後に同じ状態になる。ならば、それも意味はない。ゴアテックスの性能を超えた雨で、靴のなかもびしょ濡れ。歩けば、靴の中に入った水が揺れる音がする。その靴も外に放ってある。乾かしようがない。朝、その靴を履く。そういった耐えられない状態も、2,3日すれば慣れてしまった。どうせ、濡れるなら、同じこと。気持ちの切り替えもできた。
湿気が多いこの環境。クモの巣もまた敵だ。うっかりしていると、歩きながら、あのクモの巣に顔を突っ込んでしまう。何度かそれをやる。眼鏡にべったりと張り付いた糸を取り除くだけでも、たいへんだ。気持ちがめげる。
さらに、ペンシルバニアのこのエリアは、ごろ石の連続だ。山の高低はそれほどない。楽な平坦歩きが多いにもかかわらず、なかなか距離が進まないのは、このせいだ。大小の岩と岩が重なり合い、もぐりこみ、突っ立って、しかも、その多くは浮石だ。よほど気をつけて歩かねば、ひっくり返り大怪我をし、脚を骨折する。このエリアで、どれだけのバックパッカーが、そのためにリタイアしたことだろうか。
さらに、その岩場の影に、多くのガラガラヘビが潜んでいる。幸い、このエリアでまだぼくは遭っていない。しかし、用心はしなければならない。ほとんどのハイカーが2匹会ったとか、3匹だとかいや俺は5匹だとか言っていた。
さらにさらに、夏のこの時期、たとえトレイルメンテナンスをしてあっても、草の茂りが早い。トレイル脇の雑草が伸び、トレイルを狭める。そのなかに、バックパッカーが恐れるポイズン・アイビーが魔の手を伸ばしている。多くのバックパッカーが、その被害にあっている。それにも、神経を向けなければならない。歩くことで、どれだけの神経を使っているのだろうか。歩き終え、雨の中、テントを張り、食事をし、横になり、これだけのすさまじい閃光と轟音があっても、すぐに寝入ってしまう。それだけ、疲れ果てている。]
そうしたなか、またしても天使が現れた。雷雨がやってきて4日目にはいっていた。朝起きると、いつもと違って空が明るい。晴れてはいないが、うす曇といった感じだった。その日の夜も、一晩中降っていたので、フライシートはびしょ濡れだ。テントも、地面をたたきつける豪雨によって跳ね返った土としぶきで外側は真っ黒。
その日、歩き始めて2時間ほどしたら、うっすらと陽が射してきた。ちょうどそのとき、ペンシルバニアの農村風景が薄っすらと見渡せる場所にきた。雨の中、しばらくそんな興味も気力もなかったぼくは、久しぶりに風景を眺めようという気持ちになって、トレイルを外れた。大きな岩が重なって、絶好のビューポイントだ。そこにも陽があたっていた。できれば、時間を考えて先へと進みたいが、ここでバックパックを広げ、テントなどを干すことにした。
一時間ほど経過しただろうか。ひとりの中年男性がきて、声をかけてきた。このすぐ下に家を持つ人で、散歩にきたのだという。いろいろと話しかけてきたので、ぼくも親しく話す。この数日間、トレイルでだれにも会わなかった。だれとも会話をしていなかった。久しぶりに人と話をして、楽しい時間だった。彼は、ニューヨークに家を持ち、ここの農村地帯の家は、彼のカントリーハウスなのだという。話に花が咲いた。それは、彼の職業とぼくのやっていることが、互いに興味深いものだったからだ。彼は、なんと、UAE(アラブ首長国連邦)のドバイで大学の教授をやっている。専攻は環境学なのだというのだ。ニューヨークに家を持ち、ここにカントリーハウスを持つが、彼自身はドバイに住んでいるのだという。
「これから、わが家に来て、シャワーを浴びないか? 息子に会わせたいし」という。彼の息子はあの名門中の名門大学であるジョージタウン大学の学生で、いつかアパラチアン・トレイルを歩くことを夢見ているのだという。
心が動いた。先に進みたい。早く進んで、早く、次の町に着きたい。その一心から、夢中で悲惨な環境のなかを歩き続けていた。
ただし、彼の車は、1マイル(1.6キロ)戻った場所に停めてある。そこから20分ほどもどったところで確かに地元の舗装道路と交差していた。そこにこの重いバックパックを担いで、戻らなければならない。これをするには、かなりの勇気がいることだった。普通なら、絶対にごめんだ。だが、このずぶ濡れで臭い身体を思ったとき、その1マイルはたいした距離ではなかった。再びもどってくれば、さらにその1マイルを歩かなければならない。3回歩くことになる。
だが、その誘惑は、あまりにも魅力的だった。
彼の家は、まだ建築途中のログハウスだった。家族みんなで優しくしてくれた。ぼくの話に興味を持ち、いろいろと質問をしてきた。シャワーを浴び、きれいになった身体になったからとは言え、3ヶ月も山暮らしをしているぼくを、美しい典型的なニューヨーカーの娘も、いやな顔ひとつせず、にこやかにぼくの話を聞いている。彼女もニューヨークの大学の学生だ。
ぼくを誘った彼はレバノンの生まれだということで、レバノン料理の昼食をいただいた。
けっきょくそこで3時間を過ごした。前後をいれ、4時間のロスだった。いや、ロスではないのだが、どうしても先を考えてしまう。その日は、夜8時近くまで歩き、テントを張った。その晩、雨はなかった。しかし、むしむしと蒸し暑く、テントのなかで、あまり快適には寝られなかった。
こうした嬉しい思いや辛い思いを重ねならが、やっとの思いでPort Clintonという、かつて炭鉱で栄えたささやかな町に下りてきた。アパラチアン・トレイル独特の言いまわしである「Gap」という名の峠では、そこ自体が、こうした小さな町になっているところがある。その街中をトレイルが通過する。Harpers Ferry もそうだった。
ポートクリントンの5日前にも、Dancannonという、やはり炭鉱で栄え、今は廃れ果て、見捨てられたような町を通過した。その前には、Boiling Springs という美しい町も通過した。ここは、嬉しかった。湧き水がそのままたまった、透明で清らかな水をたたえた池を中心にできた町。この池自体がこの町のシンボル。住民はこれを誇りにし、この水を決して汚したりはしない。
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Boiling Springs という名の、美しい町。名のとおり、この池は湧き水が造り、すばらしく透明な水だ
この町があるCumberland Valleyの話をしよう。一週間ほど前、約2日間、50キロの距離をカンバーランドヴァレーの中を歩いた。アパラチア山脈は、巨大な山脈だ。北アメリカ大陸東部を南北に連なるこれだけの山脈になれば、それはたったひとつの連なりではない。ましてや、地質学的に世界一古いと言われる山脈だ、さまざまな褶曲、皺がある。いくつもの小さな山脈の集まりと言ってもいい。たとえば、一ヶ月ほど前から入ったブルーリッジ山脈。これもアパラチアン山脈を構成する山脈のひとつだ。
カンバーランドヴァレーは、このブルーリッジ山脈を、一ヶ月以上かかって歩き、ようやく終えて下りてきた谷なのだ。谷とは言っても、狭隘な谷ではない。地形的に見れば、ここも小さく盛り上がったアパラチア山脈の一部。ただ、標高が低く、なだらかなため、古くから開拓された農場地帯なのだ。ペンシルバニアの人の住む風景がそこにある。アパラチアン・トレイルは、そういった人の住む風景のなかを歩かせてくれる魅力もある。歩く脇を小麦を収穫するコンバインが通過する。犬の鳴き声が聞こえる。子供の叫び声が、こだまする。心に響く、懐かしさを感じる風景だ。むろん、自然という観点から見たときの風景としては、地球環境を考えたとき、たいへんな問題が存在する。でも、ぼくもまた、人間なのだ。人間の側から見たときの人々の生き模様を想像し、愛おしくも思う。そのカンバーランドヴァレーを歩く間も、ほぼ雨だった。それでも、深刻な降り方ではなかった。
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トレイルは小麦畑の脇を通過した。すでに収穫期をむかえ、コンバインが轟音をたてて働く
この谷を越え、再び山に入った。まず、ピーターズ山脈という名の山脈を越え、隣のストーニー山脈に移る。そして、次にブルー山脈という山脈に移った。むろん、隣の山脈に移るとき、山を下り、再び登り返すという、歩くものにとっての苦痛がそこには伴う。が、このトレイルは、そのようにつけられている。これらの山脈を歩く間、ずっと恐ろしく、腹立たしい雷雨攻撃を受けていたのだ。
そして昨日、ポート・クリントンに降りた。雨は上がっていた。が、ものすごい湿気だった。日本の梅雨の湿気に負けはしない。そこにいるだけで、汗がとうとうと流れる。が、きょうは、何日ぶりだろうか。すっきりと晴れ上がった。湿気もない。ポート・クリントンの町から3マイル(4.8キロ)下ったところにある、Hamburg という町だ。この町で2日間、停滞している。目的はあのすさまじい環境からすべてをすっきりさせること。昨日浴びたホテルのシャワーの、これほど気持ちよく思えたことは、かつてあっただろうか。衣類も洗濯した。
ただ、問題が、じつはある。膝の具合が芳しくないのだ。この数日間、もろもろの苦難との戦い以上に、じつは、膝の痛みとの戦いがあった。このケアーをしなければならない。先を想うと、気持ちが暗くもなる。あまりにも、町での生活が増えたため、お尻に火がついてもきた。逆算してみて、到達時期が、かなり微妙になってきていることを知った。メイン州のMt.Katahdinのある到達点、Baxter State Park は、その気象環境の厳しさから毎年、10月15日に閉鎖される。それまでにはどうしても到達しなければならない。しかし、膝の痛さが気になる。
きょうは、ちょっといい話も書いたが、さんざん暗い話になってしまった。らさらに言えば、もうひとつ問題が起きた。デジタルカメラのメディアであるSDを挿入するパソコンのスロットが反応しなくなってしまったのだ。ということは、撮った写真をパソコンに移せず、つまり、新たな写真をブログにもiBepalにもアップできないことになる。SD用のpcカードアダプターが手に入れば、そのスロットを使いダウンロードすることができる。どこかでそれを手に入れなければならない。それがいつ、どこで手に入るか、今のところわからない。
ということで、次回の原稿、あるいは暫くお送りすることができないかもしれません。楽しみにしていらっしゃる読者の皆様には、ほんとうに申し訳ないのですが、しばらく猶予をください。あるいは、意外と早く可能になるかもしれません。いずれにしても、パソコンという精密機械を野外で使っているわけですから、なにが起こるかわからないということは、覚悟の上でこの作業をしています。
これからも、どうぞご期待ください。
今回アップした美しい写真で、心を安らげてください。
Jack-a-roo
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