オリエンタルレッグス発見!
*きょうは、スペシャルバージョンとして、短い情報です。
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再び、アパラチアン・トレイルに戻ってきた。7月6日お昼にワシントンDCに到着。予定通りエメット(Log jumper)が空港に迎えにきてくれていた。彼とは、昨年8月末以来の再会になる。前回のiBepalにも書いたのだが、彼は1999年のサウスバウンダー(メイン州をスタートし南下するハイカー)のスルーハイカーで、ちょうどぼくがHarpers FerryのATC(アパラチアン・トレイル協議会)を取材しているとき、彼がそこにいたのだ。そのとき彼のことも取材し、その記事と写真が山と渓谷社の、今はなくなってしまった「Outdoor」誌2000年新年号に掲載されている。その彼と、驚くことに昨年ジョン・ミューア・トレイルで再会した。これほどの偶然というのがあるのだろうか。ふたつのロングトレイルのそれぞれの一点に、ふたりが同時に存在したのだ。彼の驚きもそうとうなものだった。
彼はクリントン政権時代の合衆国政府専属弁護士を退職し、アパラチアン・トレイルに挑んでいた。靴底が大きくはがれ、ここで妻を待っていた。よくその靴でここまで歩いてきたものだと、そのとき思ったことを覚えている。
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もうひとりのエンジェル「Emmett=Log Jumper」(Harpers Ferryで
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アパラチアン・トレイル踏破を記念して、奥さんが製作したベッドスプレッド
そんなきっかけがあって、彼が今回、ぼくのトレイルエンジェルになってくれた。
空港に迎えてくれ、その晩、彼の家に泊めてもらった。ぼくが寝た彼のベッドにかけてあったスプレッドは、彼の妻がアパラチアン・トレイル踏破を記念して製作してくれたというキルトだった。中央にトレイル中最も厳しいとされるマウント・ワシントン山頂での記念写真がパッチワークされ、上部には彼が出会った幾人かのハイカーのトレイルネームが、下部には、彼が歩いた年や日付などが縫い付けてあった。
翌7日、彼のドライブでHarpers Ferry に戻り、再びトレイルに復帰した。そして、メリーランド州を通過し、約70キロ歩き、ペンシルバニアに入ってきた。そのきつかったこと。結果的に2週間のブランクが歩くペースを忘れ去ってしまっていた。一歩一歩が辛く、あえぎながらの登りが続いた。そして、予定外の町に下りて、いま休養?している。
ところで、日本での1週間は予想していたとはいえ、それを超える忙しさで過ぎ去った。目的は、前回書いたように、ぼくがかかわっているNPO法人信越トレイルの一部50キロが開通することを記念して開催された「信越トレイルフェスティバル」のシンポジウムにパネラーとして参加することと、講演をするためだった。その翌日からのトレイル歩きも、一部だけ参加した。あとは、編集者や関係者との打ち合わせ。そして、なによりも、そうとうに崩れてしまっている身体のバランスを矯正するための整体と病院通いだった。
そのフェスティバルは盛会だった。そして、驚きがあった。なんとなんと、そこに、あのOriental legs が参加していたのだ。
彼は、2ヶ月ほど前だろうか、トレイルから信越トレイルクラブにハガキを出していた。2年前、トレイル作りの参考にしているアパラチアン・トレイルをぼくと事務局とが視察した。そのことをどこかで知ってのハガキだった。その情報をもふくめたぼくのオリエンタルレッグス遊び(失礼)だった。彼が信越トレイルにわざわざハガキをだしたのは、それなりの意味があり、そのことも、ぼくにとって彼の存在を知る大きな手がかりだった。彼は今栃木県に住んでいるのだが、生まれが長野県木島平だったのだ。木島平は信越トレイルクラブが事務局を置く「森の家」がある飯山市と千曲川をはさんだ対岸なのだ。
彼は5月18日にHarpers Ferry に到達し、全行程踏破を終えた。3年かけてのセクションハイクだった。年齢68歳は、正しい情報だった。その年齢で、3年かけて歩いた。一年平均しても1000キロ以上歩いたことになる。
ぼくのオリエンタルレッグス探しは、こういう形で幕を閉じることになった。これも、不思議な縁だとしか思えない。ぼくが、日本にも優れたトレイルをとの思いから、ここ数年、積極的に参加してきたNPOの記念行事のその場で、最終的に彼に会うこととなった。こういうかたちで、ストーリーを閉じることになった。あまりにもうまくつじつまが合いすぎている。なんらかの縁があったのだとしか、思えない。ここにもトレイルの不思議が存在する。
そして、もうひとつの驚き。それは、この記念行事に参加してきたもうひとりの男性、佐藤さんの存在だ。彼は62歳。なんと、この夏、アパラチアン・トレイル北部、ニューイングランド地方を歩き、やはり3年目でアパラチアン・トレイル全行程を成し遂げるのだというのだ。彼もまたセクションハイカーとして、2年前から歩き続けていたのだ。この情報は、まったくはじめてだった。
ぼくのところに入っている情報は、すべてではない。あるいは、他にもこういった挑戦をされている日本人がいるのかもしれない。
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信越トレイル縦走に向けて、参加者60人ほどが4班に分かれて斑尾山を登る
明日、トレイルに戻る。強大なハリケーンDennisが、フロリダで大暴れしているという情報が、ちょうど今、テレビをにぎわしている。予報では、そのまま北上し、アパラチアンの西部を通過するが、その影響はまぬがれない。それ次第で、今後のぼくの行動も変わってくるだろう。基本的にテント生活のぼくだが、ハリケーンに襲われてはたいへんだ。仮にシェルターで寝ても、前部開放式のシェルターなので、あまり意味がない。ただ、ハリケーンがくるたびになぎ倒される木々の下敷きになる危険だけは避けることができる。
できれば町でやり過ごしたい。
これから、ハリケーンの本格的シーズンに入ってくる。バックパッカーたちの行動も制約される。
次の報告をお楽しみに。
Keep going

