心のハーフウエイ、そして、サプライズ
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AT本部があり歴史の街でもあるHarpers Ferry は、ポトマック川とシェナンドア川が合流するかつての通商拠点でもあった
前回お届けしたWaynesboroを出発してから2週間以上が経過してしまった。その間のほとんどは、アパラチアン・トレイルでふたつめの国立公園であるShenandoah National Park 180キロほどを歩いた。このエリアは、国立公園局によってすべての動物が保護されているため、これほどまでに違うものかと、あらためて驚いたほどに動物に出会う回数が増えた。特にシカに会うのは日常的、大きな音を出したりしないかぎり、10メートルほどの距離にまで近づくことができる。まるで奈良のシカ状態だなと思ったほどだ。ただ、むろん奈良と違うのは、こちらのシカはあくまで野生のシカとして保護されているため、餌を与えたり近づいたりしてはいけないことになっている。
恐ろしいことにも遭遇した。クマとヘビだ。前回歩いたときは3度もクマに遭遇したのだが、今回は、ただの一度も会っていなかった。が、この国立公園に入って、まずびっくりしたのは、結果的に公園内180キロを歩いて、数えただけでもトレイル上だけで22の糞があったということだった。この数は、かなり異常だ。そして、ついに本物に出会った。それも2頭の子供を連れた母クマだった。30メートルほどの距離だろうか。しかも、トレイル脇1メートルのところにある木の下にいる。近づくとコグマ2頭はあわててその木に登っていった。母クマは、むろんコグマを守るために、その木の根元にいる。近づくと立ち上がり、鼻を鳴らしてぼくを威嚇する。それを何度かくり返し、けっきょくぼくはあきらめ、藪のなかを迂回してスカイライン・ドライブに出て、そこを2キロほど歩いた(シェナンドア国立公園内のトレイルは、スカイライン・ドライブと呼ばれるパークウエイと32度も交差しながら続いている。だからこういうことができた)。
へビにも4度会った。そのうちの2匹は、ガラガラヘビ。一度は、歩いていると突然足元で「シャラシャラ、シャラシャラ」という強烈な音がした。なんとトレイル脇50センチのところで、直径8センチほどの太さのガラガラヘビが尻尾を打ち震わせ、鎌首を立てて威嚇しだしたのだ。あわてたぼくは、2メートルは飛び退いただろう。もう一度は、大きな岩をよじ登ったところでバックパックを下ろして10分ほど休憩した。そして、そろそろ出発しようかと、背に立てかけておいたバックパックを背負おうと振り向いたとき、なんとバックパックの後ろ1メートルに、やはり大きなガラガラヘビがとぐろを巻いていたのだ。
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突然、足元脇でガラガラヘビが威嚇の音を鳴らしはじめ、思わず2メートル飛びのいた
などなど、けっこうおもしろい経験をいくつかしたのだが、残念ながら時間がなくて書けない。きょうは、ひとつ大きなサプライズを書かなければならない上、あと2時間ほどで友人が、このホテルに迎えにくる。
ようやく、という思いと、早くも、という思いが交錯している。ながかったヴァージニア州850キロを歩き終え、ウエスト・ヴァージニア州Harpers Ferry という町に下りてきた。この町にたどり着くことを、多くのバックパッカーは心待ちにしながら歩いていた。それには、むろんわけがある。
ぼくにとって4度めのHarpers Ferry だ。過去3度は取材のために訪れた。その都度、いつの日か、アパラチアン・トレイルを歩いてこの町に到達することを心に思い描いていた。それが実現した瞬間だった。距離にして1600キロを越えた。まだ全体の半分を満たすには100キロ余り歩かなければなならないのだが、ぼくにとってのこの町は、ある意味、心のハーフウエイだった。
中世ヨーロッパの町並みを思い起こさせるような、この美しい歴史の町Harpers Ferry にはアパラチアン・トレイル3500キロを整備し続ける31のヴォランティア団体を統括するアパラチアン・トレイル協議会(Appalachian Trail Conference=ATC)の本部があるのだ。ぼくがアパラチアン・トレイルを意識しだした20年ほど前から、このATCが頭にあった。ATを取材するには、まずATC本部を訪れる必要があった。そして、この町の美しさに魅せられた。この美しさは歴史の美しさだ。この町は南北戦争の発端の町としても知られ、現在は、その中心街すべてが国のHistorical siteに指定され、国立公園局が維持管理にあたっている。
アパラチアン・トレイルにぼくが興味を持ち、こうやって歩いている理由はいくつかある、と以前にも書いた。自然ばかりではなく、歴史的文化的な側面の面白さ、さらにはこのトレイル自体を維持管理しているメンテナンスシステムへの興味があった。その歴史的側面とヴォランティアによるメンテナンスシステムのキーポイントがここHarpers Ferry にあるのだ。
一般のバックパッカーにとっては、ここにあるATC本部を訪れることで、一段落ついたことになる。ここで歩いていることの登録をし、協議会の職員たちと談笑し、情報を得、記念の写真を撮ってもらう。しかも、この町の直前に、彼らの尺度であるマイルで、ちょうど1000マイルを越える。これも彼らのひとつの目標なのだ。
そういったことごとを書き連ねるには、相当の時間と文字数が必要だ。その一端は、このブログでもいずれ書くとして、全体像はやはり本にしたときにまとめることになるだろう。
きょうは、時間がない。書かねばならないサプライズ。それは、明日、一時的に一週間だけ日本に帰るのだ!
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Harpers Ferry 全体が国のヒストリカルサイトとして指定され、国立公園局が維持管理している
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18世紀に造られたこの石段もアパラチアン・トレイルの一部になっている
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街中にあるこのお墓には、南北戦争ばかりではなく、独立戦争の戦死者たちも葬られている
これは、出発前から決まっていたことだった。いつそれを書くかは、やはりHarpers Ferryに着いたときにしようと思っていたのだ。が、考えていたようにはいかない。書いたように、きょうは詳細を書く余裕はない。目的は、ぼくがずっとかかわっていたNPO信越トレイルクラブが数年にわたって構想していた「信越トレイル」の一部約50キロほどがほぼ完成し、そのセレモニーに参加するため。実際はほぼ完成したものの、本来のあり方としてぼくたちが重視しているソフト面の充実という部分がまだ不備なため、正式にはオープンとはせず、「信越トレイルフェスティバル」というイヴェントになる。そのシンポジウムのパネリストとして、また、ちょっとした講演を頼まれていたのだ。
かなり悩んだ末、その参考として2年前にスタッフとともに視察に来たこともあるアパラチアン・トレイルそのものを歩いているぼくが、そのセレモニーに参加する意味は、ぼくにとっても、信越トレイルクラブ大きなことだろうと判断した。
トレイルからどのようにして抜け出すのかが、大きな課題だったが、これはクリアーした。ふたりの友人がぼくをサポートしてくれる。ひとりはトム。もう一人はエメット。ふたりとも、かつてアパラチアン・トレイルで知り合ったハイカーだ。トムは2002年と2003年の2年にわたって全行程を踏破、エメットは1999年にスルーハイクしている。ふたりとも、定年退職したことをきっかけに歩き、今は悠々自適の生活をしている。
トムがトレイルでぼくをピックアップし、ワシントンDCの空港まで送ってくれ(Harpers Ferry はワシントンDCから車で2時間ほど)、エメットがもどってきたぼくを空港でピックアップし、トレイルまで送り届けてくれる。彼らも、ぼくの個人的なすばらしいトレイルエンジェルなのだ。
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ワシントン郊外に家を持つトムは、今、ウエスト・ヴァージニアに理想的な大きさのログハウスを拠点に悠々自適の生活だ
そのセレモニーのために抜け出す時期がちょうどHarpers Ferry の近辺というラッキーな点もあった。国際空港がある大きな町から2時間などという場所は、アパラチアン・トレイルのほかの場所ではほとんど考えられない。しかも、そのワシントン郊外に、アパラチアン・トレイルで知り合ったふたりの友人が住んでいた。
ということで、6月29日に一時帰国し、一週間だけ滞在し、7月6日にワシントンDCにもどり、早ければ翌7日には再スタートしたいと思っている。
後半も、同じようなスタイルで歩き続けます。どうぞご期待ください。
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Jack-a-roo

