ぼくの日常は、すべて自然とともにある
ようやく、昨日の朝、ヴァージニア州に入った。入ってすぐにDamascusという町があるアパラチアン・トレイルは、この町のメインストリートを通過する。スルーハイカーにとって、当面の目標地点でもある。ここに入り、身も心もひと段落という町なのだ。理由はいろいろあり、そのことは先ほどiBepal に書いた。
ここまでの過程は、やはり思ったとおりいろいろあった。前に書いた足の問題が、ここ暫くの間、かなり深刻だった。はじめ、靴ずれから始まった痛みが、次に左足の踝上の骨の痛みになり、右足の親指の付け根の骨の痛みになり、ここ3日ほどは、右足の太腿の痛みから膝の痛みになり、右足の膝の痛みをも誘発した。
ぼくの長男がアメリカの大学でスポーツ医学を勉強していたということもあり、そのことを電話で話すと、そういった痛みの連鎖はよくあることで、典型的な悪循環が始まったのだという。
人間の歩き方というのは、とても微妙なもので、その人その人で独特な力の入れかた、力の配分のしかたがあり、どこか足の一ヶ所に問題ができると、それをかばうために、通常ではない力が違う場所にかかり、それがその箇所を傷める。そして、それをかばおうと無意識にまた違うところに力が入り、そこが悪くなる。

めったにないこんなところでは、こんな写真を撮ってみたくなる
まさに、そのとおりのことが、おこってしまっている。Erwinを過ぎてから、一時、少し雨が降ったが、天候はほぼ安定していて、空はすっきりと晴れ上がり、気温も上がってきた。気持ちのいい尾根歩きや草原歩きが続き、足に問題さえなければ、最高の気分で、口笛を吹きながら、太陽を背に浴びながら、心おおらかに、多くの人々にシェアーしたいほどに幸せな気分で歩いているはずだった。ひとつ楽になると、必ず違う場所が痛む。この連鎖が腹立たしくて、悔しくて、思わず涙がでそうになる。
それでも、まあまあ順調な歩きが続いている。8時間で到着するはずの行程を10時間かければ歩ける。無理はしないほうがいいので、うまくかばいながら、調整しながら距離をこなしている。なんとか、じょうずにやりくりしながら、やがてはその状態から脱出したいと、前向きに考えようにしている。
と、マイナーな書き出しになってしまったが、心は、そんなに深刻ではない。むしろ、やはり歩くことの豊かさ、大地と常に接触していることによりいや増す自然への愛おしさ、永遠とも思えるほどのアップダウンを繰り返すことによる季節往来の楽しさを十分とはいえないまでも、大いに満喫している。
その季節なのだが、あの雪が降る前日から一昨日まで、ほぼ2週間、寒気が居座り続け、完全に春が止まってしまった。緑のまったくなかったジョージア出発し、少しずつ春の訪れを感じつつ、その季節の推移を感じつつ歩いていたのが、あの日以来、新緑前線が標高を上げなくなってしまったのだ。確か、4月の10日を過ぎ、もうあと10日もすれば緑は標高1000メートルを越えてくるというようなことを思っていたのが、その後、まったくと言っていいほどに、止まってしまったのだ。
あれからほぼ20日以上はたっているのに、このあたりの新緑前線は、まだ標高1000メートルで足踏みしている。それどころか、すでに芽吹いていた木々の葉の多くが、雪と寒気によって萎れ、枯れ落ちてしまった。早春のあの可憐な花たちの多くも、打ちのめされてしまっていた。それでも、なんとか耐え忍んで春を待つ姿が、歩くぼくの眼には、痛々しくもたくましく見える。

季節が止まり、標高1200メートルでも、まだこんな風景だ
そしてようやく、一昨日あたりから、気温が上がり始め、春らしいうららかな陽射しと、心潤す春のそよ風とが戻ってきた。それにつれ、花たちも木々たちも、元気をとりもどし、昨日、今日と、森に春の甘い匂いも戻ってきた。そよ風に混じって、時々、サァッと強い風が吹く。すると山が鳴る。これを山の音というのか、風の音というのかと、考えながら歩く。突然、なぜだか、イメージはぜんぜん違うのだが、川端康成の「山の音」という小説をもう一度読み返したくなった。
太陽が森を照らすと、歩く気分も照らされる。山の音、風の囁き、森の香り、山の輝き、春の煌きの中を歩いていると、ぼく自身の心も緩んでくる。

標高が下がって、ぼくの好きなハナミズキが緑に映える
そして昨日の朝、いつものように6時半に起き、朝食を食べ、テントをたたみ、8時前に出発し、一時間もしないうち、ふと、昨夜久しぶりにちっちゃな鏡で見た自分の顔を思い出し、ちょうど座り心地いい倒木に座り、髭の手入れをした。ダマスカスの町まであと10キロほど、という場所だった。そうだ、あのみすぼらしい、汚い顔で町に下りたくないと、ふいに思ったのだ。今まで、町に下りるとき、そんなこと気にもしなかった。きっと、春の麗らかさが、そんな気持ちにさせたのだと思う。でも、そんな気持ちが嬉しかった。
アパラチアン・トレイルは、かなり厳しいトレイルだと、あらためて知る。むろん、過去に歩いたことのあるぼくは、そんなこと、百も承知だ。承知の上で、さらに納得する。たとえば、メキシコ国境からカナダ国境まで4200キロ続くPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)と比べ、3500キロのアパラチアン・トレイルの方が、ずっときついという話を何人もから聞いた。昨年、そのPCTを全行程歩き、今回しばらくいっしょに歩いた清水さんも、同じようなことを言っていた。PCTでは、言葉では言い尽くすことができないほどの壮大な風景展開、日常から程遠い自然のスケールの大きさや意外さに驚く日々が続く。それに比べ、ATには、ほとんどそれがない。標高も低く、前半の900キロは、ほぼ森歩きが続く。風景の大きな展開は、めったになく、あっても、日常からそう遠くはない風景だ。人々が切り開き、生活している風景だ。しかも、ATは、ことごとくと言っていいほどにピークを越えさせるという過酷なトレイルだ。なんでこんなコブをわざわざ登らせるんだと文句をいいたくなる。それに比べ、PCTは山頂を避けて、迂回してつけられている。アップダウンの苦痛が少ないのだと言う。
むろん、PCTにはATにはない苦痛もある。水や食料補給。それにATほどに歩く人が多くないということからくる、孤独感という過酷さだ。
ただぼくは、恵まれている。アパラチアの自然が大好きなのだ。花や木々や苔や、そういったものたちで構成されている森が好きなのだ。それらの名前もけっこうたくさん知っている。アパラチア山脈の森が日本の森によく似ているということが、楽しくもある。なんだか日本の南アルプスや大峰山脈や秩父山系を歩いていると錯覚することすらある。それは、ある意味、つまらないことでもある。せっかくアメリカ大陸の反対側に来ているのに、日本の山と同じでは、確かにつまらないだろう。でも、植物や昆虫が好きならば、そこにあるそれらのものがどういうものか知っているならば、それは楽しいものなのだ。
しかも、アパラチア山脈、特に今歩いている南部にある、独特の文化と歴史にも、ぼくは強い興味を持っている。そういったことを、この森のなかを歩きながら、あれこれと考え、想像する。
多くのバックパッカーは、そういった楽しみ方を知らないようだ。ただ、ひたすら歩く。むろん、アパラチアという音を聞くと心が疼くと言う人々も、数多く歩く。彼らは、だからこそ、このトレイルを目指してやってくる。しかし、ぼくが接した若者たちの多くは、あまりそういったことに興味を持っていない。親しくなったバックパッカーにそういった話をすると、みな驚く。彼らが驚くことが、じつは、ぼくにとって意外なことだった。歩いてみて、歩く人を見て、アパラチアン・トレイルの印象は、少し変わってきた。そういったことは、またいずれ書くことにする。
きょうは、とりとめのない話になったので、とりとめのない、でも、ぼくの日常の写真を何枚かお見せしよう。
さきほどiBepalにも書いたが、いまこの原稿は、ダマスカスの隣のAbingtonという町のホテルで書いている。インターネット環境の問題から、今回もシャトルを頼んで、ここに来ている。今、夜中の2時半。いつもと同じで、また夜更かしの原稿書きだ。朝、ダマスカスに戻り、また歩き続けるのだが、4日後にまたダマスカスに戻ってくる。年に一度のTrail Festival があるからだ。そのレポートは、来週、またここで書くことにする。

テネシーの山村に一条の光射す

一日に一ヶ所ほど、こういったシェルターがあるが、ぼくは使わない

前を歩くバックパッカーのこんな風景に、思わず足を速め、だれだろうと確かめたくなったりする

時々、こんな気持ちのいいランチもする

ひとりぼっちだが、贅沢な時間だ

